【序章】情報の暁
世界を構築する公理系の中で、完全性と無矛盾性を問う。
問うてもどうしようもない事もある。
世界とは「そういうもの」であるからだ。
黄金色に輝く高純度のインペリアルストライト。
この鉱石が持つエネルギーは、この世界に「とある可能性」を示した。
連綿と、無限のごとく織り重なっている世界。
もしも世界の「先」を目にしたなら、何が見えるのだろうか。
【序章】情報の暁
茶の香りを肺腑の奥まで吸い込んで、ゆっくりと味わいながら一口含み、嚥下する。
湯呑みを口にあてたままで、山と積まれた論文のひとつを手にとった。
『インペリアルストライトのエネルギー波利用による上位層への接近と、それによる情報網構築の可能性について』
その長たらしい題目に恩田は苦笑した。
自分で題しておきながらなんと抽象的な文字列だろうと、そのページをめくる。
散乱する机の中央に無造作に置かれた、小指の先ほどの大きさしかない美しい黄金色の鉱石ーーインペリアルストライトを手にとると、その鉱石を宙にかざした。
普段、黒い手袋をしている右手の甲が熱くなるのを感じて目を閉じる。
見えない「視界」が恩田の脳内に拡がった。
見えるのに、見えない。
その視界の中では、立っていながら頭を何かに押さえつけられているような圧迫感があった。
足もとを見ようとして、しかし自分の体の存在が認識できず、かわりに浮遊感を覚える。
まるで自分が空間そのものとして融けてしまっているかのようで、それは不安のようでもあり、安堵にも似ていた。
いつもそうなのだ。
そして十数年にも渡り興味を引き続ける最大の関心事ーー、この空間には「距離」が存在しないという事実である。
恩田はこの空間に入る事を接近と呼んでいた。
カッと踵の合わさる鋭い音が聞こえて、はっと我に返る。
山と積まれた書類の向こうを見るため、椅子から少し腰を浮かして背を伸ばした。
直立不動、その角度も美しく敬礼をしていたのは同期の桜であり、恩田の大学からの腐れ縁でもある山崎大輔軍曹だった。
恩田はへらっと笑って片手を上げる。
それに応えるように山崎もまた片手をあげて気軽に室内に入ってきた。
「恩田少佐殿はお忙しかったかな?」
「そうだよー。私はとてもお忙しいから、お茶でもどうかな? 山崎軍曹」
片側を書類に占領されたソファを勧めて、恩田はその向かいに座る。
普段来客などない反動もあって、恩田はいそいそと手ずから茶を入れたり茶菓子を勧めた。
「気い使うなって。端から見るとおかしいぞ」
同期とはいえ恩田は特進制度により現在少佐の地位を得、山崎は軍曹である。
元々普通の会社員として働いていた山崎を軍へと招いたのは恩田だった。
昔から態度だけは柔和なくせに、掴み所がないとあまり周囲に友人らしい友人がいなかった恩田にとって、山崎は心から友と呼べる数少ない人間なのだ。
「階級的にはそうかもしれないけど、この研究室には誰もいないし、こういう時はそういうのは無しにしようって私は前にも言った」
むすくれるように言う恩田。
事実、皇軍は上下の関係に厳しい。
故に同期であろうと顔見知りであろうと、人ではなくその階級に対して正しい使うべき言葉を使う。
山崎は優秀な同期に苦笑して、そしてふと視界の端に捉えた色彩を見る為、顔を窓の外へと向けた。
薄紅色が真っ青な空の下で咲き誇っていた。
明確に国花として制定されているわけではないが、皇国の民は誰しもが「この花こそ、我らである」と口を揃える五花。
皇軍の軍旗にも描かれているその花を二人揃って見上げた。
「花見には穴場だな、ここ」
「団子を持ってくるべきだったね」
「まったくだ」
「気の利かない男は出世しないし、女性にももてないぞ」
「うるせー」
笑って、そうして他愛もない話をする。
とはいえ、そんなくつろげる時間など本当にひとときであり、山崎は幾杯目かの茶を飲み干すと立ち上がった。
「俺、そろそろ戻るわ」
「うん、そうだね」
恩田も立ち上がって二人は対峙すると、どちらからともなく手を差しだし、固い握手を交わす。
「武運を」
恩田が言うと、山崎は一歩下がって敬礼をした。恩田はその敬礼に対して答礼する。
明日、山崎は最前線へと向かう。
それらしい言葉は無くとも、別れを惜しむのは、友としての情である。
もう一度握手を交わして、そして山崎は恩田の研究室を後にした。
一人になった恩田は、一人掛けのソファに座り、そして今し方まで二人で見ていた五花を見上げる。
皇国は他国の侵攻を受けていた。
もう三年になる。
皇国の国土は細長く、唯一山深い北深地方が大陸と繋がっており、他方はすべて大潮で囲まれているという特殊な地形をしていた。
その豊富な地下資源を巡り、皇国は長い歴史の中でも度々他国より侵攻されている。
武をもって永世中立国の宣言をしたのは数百年も前の話だが、同時に「国民皆兵を国是とする」旨も公布された。
それ以来、皇国の民は幼少期より軍事訓練を受けてきており、有事の際には誰もが自分を育んでくれた国を護る為、立ち上がる。
恩田ら職業軍人からすれば、当然護るべき国民らが徴兵される事態になるのは避けたい、否、避けなければならないと考えていた。
皇国での戦闘は敵国の侵攻を食い止めるーー、つまり防衛戦であり、採用できる作戦も限定されてしまうだけに難しい。
両手で気合い入れの為に頬を叩く。
「よし」
恩田は冷めてしまったお茶を飲み干し立ち上がると、壁にかけてあった白衣をはおった。
ここまでお読み下さり有り難うございました。
今後とも、宜しくお願いいたします。