いよいよ開幕戦
4月1日。パーフェクトリーグ(パリーグ)のペナントレースが開幕した。今日からセンチュリーリーグ(セリーグ)との交流戦24試合を含む144試合でリーグの覇権と日本一をかけて戦う。
昨シーズン5位に終わったフェニックスは、敵地幕張スタジアムに乗り込み、2位の幕張パイレーツとの試合に臨む。
「せぇいっ!」
開幕戦のセレモニーを前に、健一は大輔を連れて、ブルペンで最後の投げ込みをしていた。心身ともに充実のエースは、150キロのストレートを20球ほど投げ込んでいた。
「うしっ!ナイスボール。今日はイケるぜ健一」
「はん。ルーキーに言われても嬉しかねえや」
「そんな口叩けりゃ大丈夫だ」
「さて、いよいよ開幕戦です。私たちにとっては今日は元旦と言っていいでしょう」
セレモニー直前、杉山監督はベンチ入り25人に円陣を組ませ、シーズンに臨む心構えを改めて訓示した。
「開幕戦は144分の1ではなく、そのシーズンの命運を決めてしまうと言ってもいいでしょう。過去5年間、開幕戦を勝ったのべ30チームのうち、実に25チームがAクラスに入り、シーズンの日本一を手にしたチームは全て開幕戦で勝っています。開幕戦はチームの『一年』を示す上で非常に重要なのです」
一度選手たちを見回してから、改めて口を開いた。
「私の時代とは違い、今はAクラスに入れば日本一を勝ち取れるプレーオフを戦えます。ですから、必ずやこの開幕戦をとりましょう。そして、フェニックスの歴史を皆さんで変えましょう。いいですね」
スタメン
中 渡辺
DH 田中
左 加藤
一 高橋
三 山下
右 橋本
捕 佐藤
二 中村
遊 近藤
投 鈴木
大物歌手の国家独唱、両監督への花束贈呈、さらに守備につくパイレーツナインをチアガールが作る花道で送り出すなど華々しいセレモニーの後に、地元千葉出身の人気俳優による始球式。開幕戦らしい演出が一段落し、あとは試合開始を待つだけとなった。
その合間、先頭打者の渡辺と次打者の友里は、パイレーツの開幕投手・沼神の投球練習を注視する。
三塁側ベンチのフェニックスに、背を向けて投げるサウスポー。しかし、沼神はただのサウスポーではなかった。
右足を上げ、モーションに入るとそのまま沈み込んで投げる。沼神はプロ野球の歴史においても五人いたかどうかというくらい稀有な「左のサブマリン」なのである。
「チッ。タイミングは合うが・・・やっぱどんなボールかはボックスに入って正面から見ねえとわからねえな」
舌打ちしながら渡辺はぼやき、友里も同調する。
「そうね。あの低いリリースポイント(ボールが手から離れるポイント)がどう見えるか、よね」
そう言いながらも、二人の素振りのタイミングは合っている。背中越しに二人を見て、沼神は顔をしかめた。
「いやなルーキーだな。もう俺にタイミング合わせてやがるよ・・・」
『1回の表、フェニックスの攻撃は、一番、センター、渡辺。背番号、5』
ウグイス嬢のアナウンスに対する反応は、レフトスタンドポール際近辺に陣取った応援団とファン。全体の一割に満たないか弱い太鼓とトランペット、そして「せーの、かーずまーっ!!」と精一杯声援を送るファンを目にして、渡辺は苦笑いを浮かべた。
「こんなところまでご苦労なことだ。ま、旅費に見合う戦いはしねえとな」
審判が「プレイボーっ!」とコールすると、マウンドの沼神はゆっくりとしたモーションから沈み込み、長い腕を目いっぱい伸ばして遠目から投げ込んできた。渡辺から見て、自分の背中から飛んできたようなボールは、対角線上を通りアウトコースをかすめてストライクとなった。さすがに渡辺はその角度に面食らった。
(こいつは相当厄介だな。はじめのうちは見ていくしかねえか)
そう悟った渡辺は、記念すべきプロ初打席にもかかわらず、打ち気を捨ててボールの軌道を目に焼き付けることに専念した。そして一球も振ることなく、最後は初球と同じようなコースをあっさり見送って三振に倒れた。ベンチに戻る途中、渡辺は友里に耳打ちする。友里も渡辺に声をかけた。
「で、どうだったの?」
「多分ビデオはあてにならん。この打席は捨てとけ」
続く友里。渡辺の言うように、この打席を『捨てる』。ただ、渡辺とは違い、打てそうな球はとりあえずカットする。
(すごい角度・・・。肩が開きそうで嫌だな・・・)
人間は異質なボールに相対すると本能的にそれをよりよく見ようとボールに正対してしまう。つまり、バッティングにおいてインパクトを生むタメが作れない状態、『肩が開く』状態に陥るのだ。友里はこの打席、それをしないよう意識づけることに専念。最後は外に逃げるスライダーで空振り三振に仕留められた。三番の加藤は二人よりも対戦経験があり、初球から打ちに行ったが、外角のカーブをひっかけてサードゴロに終わった。杉山監督のゲキとは裏腹に、三者凡退というスタートになった。
「ちっ。なんて様だ。ひでえ初回だな」
「そう言うなよ健一。左ピッチャーに1から4番まで左並べてんだから、むしろこんなもんだろ」
「だったら、俺が抑えるしかねえ、ってことだな」
「そういうこった」
味方の三者凡退に対してやりとりを交わして、バッテリーはマウンドとホームベースに向かって歩き出した。
その裏のパイレーツの攻撃。先頭打者のアツシは、健一に対してやりにくそうだった。
(くっそ・・・年下なのにすげえガン飛ばしてきやがる。これで去年メッタくそに抑えられてんだよな)
健一は昨年15勝を挙げているが、このうち実に5勝はパイレーツから挙げている。もっと言うとプロ初勝利、初完投、初完封もパイレーツ戦であり、過去4年間で実に23勝をマークしている。杉山監督が開幕投手に指名する上で重視した実績は、積み上げた数字以上に相性だった。ゆえに健一は初の大役にも関わらず、余計な緊張もなく試合に入った(元々強心臓ではあるが)。
「ぐわっ!」
健一に対して初球攻撃を仕掛けたアツシであるが、160キロ近いストレートにバットが真っ二つに吹き飛んだ。
「うしっ!今日は万全だ。ねじ伏せてやるぜ!」
気をよくした健一は、初回から飛ばす。続く二番検見川もストレートで押しまくってバットをへし折り、三番ワシントンには散々ストレートを見せつけてからカーブで三振を奪った。上々の立ち上がりであった。
序盤3回までは両先発が好投し、何と互いにパーフェクトに抑えのであった。
そして試合は4回に。両チームとも打者が二回り目に入る。
しかし、フェニックス打線はこの回もヒットなし。特に渡辺は二打席連続の見逃し三振。どこかふぬけたような雰囲気に、増田コーチは憤った。
「あいつ・・・やる気あるのか?二打席とも突っ立ったままで何もせず。少し、注意しましょう!このままでは味方の士気に関わります」
「まあまあ増田コーチ。そういきりたたないで下さい。彼なりに考えてのことでしょう」
「しかし、監督」
「衆人監視の中で打席を『捨てる』など、よほどの意志がなければできません。それに彼は試合に集中はしています。守備の時には一球一球動いてましたし、声も出ていましたよ」
「それは、まあ・・・」
「この試合、とりあえず様子を見ましょう。ダメならば私が彼を二軍に送還しますから」
そう指揮官になだめられて、増田コーチはとりあえず矛を収めた。
ただ、増田コーチが苛立ったのも無理はない。友里をはじめ、他のバッターは懸命にくらいついて沼神に抵抗しているのだから。いずれも打ち取られたが、友里は10球、加藤は8球、それぞれフルカウントまで粘った。
しかし、当の沼神はむしろ、打つ気なしで棒立ちのまま三球三振する渡辺のほうが気味が悪かった。粘りの投球が信条の沼神にとって、あっさりアウトに終わられるほうがかえってリズムが狂うのだ。
(しかも一度もスイングしてこないから、何を狙ってて、どういうバッターなのかがまるでわからねえな。厄介だな・・・)
完全試合ペースで投げている沼神だったが、次第に渡辺に蝕まれていたのだった。
一方でパイレーツ打線は健一に力でねじ伏せられていた。ヒットこそ二本打たれたものの、一度もフルカウントまで持っていけず、もっと言うとほとんどのバッターが5球以内で片付けられていた。
これはパイレーツ打線が淡白なのではなく、健一の投球術の妙なのである。
ストレートにタイミングがあっているのならカーブで三振を奪い、様子を見ようと打ち気を抑えているなら、きわどいコースやど真ん中にチェンジアップを投げて虚をつく。粘ってくらいつこうとするなら平気でビーンボールを投げて戦意をしぼませ、インコースのストレートで仕留める。とかく「勝つため」に全神経を注いで投げている。
「あっ!・・・」
この五回裏。先頭の六番打者・吉松も、粘っている最中に突然ど真ん中に投げられたチェンジアップに手が出なかった。
「くっそ・・・」
うつむいてそうぼやく吉松を見て、大輔は改めて健一に感心した。
「あいつほんとすげえよな。あんだけねじ伏せといて、頭はやたら醒めてんだから」
160キロ近いストレートを軸とした力でねじ伏せ、気合いを前面に押しだし時折雄叫びを挙げる姿とは裏腹に、健一は徹底的に「勝利」にこだわるリアリストであり、異常なまでに醒めているところがある。
投球前には打者の雰囲気を感じ取り「ストレートしか頭にない」のがありありなら、例え打者との真っ向勝負にスタジアム中が酔いしれているなかでも、カーブやチェンジアップで三振に仕留める。いかなる状況でも「勝ち」に徹する健一のピッチングは、時として「白ける」「魅せるのもプロ」と非難を浴び、オールスターでそれをした際には球団を巻き込んでの大騒動になったこともある。
それでも健一はひたすら勝ちに行く。勝つためにはどうすればいいか。頭にはそれしかない。
だからパイレーツ打線の小細工を時にねじ伏せ、時にかわし、そして時にへし折った。
「勝ちてえに決まってんだろ?野球が一番楽しい瞬間は『勝ちをみんなで喜び合うとき』なんだからよ!」
誰に言うでもなく健一はそう吠えた。杉山監督は健一のこの姿勢を最も評価している。ついでにこうも叫んだ。
「さあて打線よ、そろそろ頼むぜ?パリーグじゃ俺は『抑える』ことしかできねえんだからよ!」
そして六回表。いよいよ完全試合まであと12人。試合の折り返しに入り、スタジアムがにわかにざわつきだす。無論それに対する期待で。沼神も期待に応えて大輔、中村と簡単に打ち取りツーアウト。バッターは九番の近藤。誰もが簡単に片付くと考えていた。
ただ、当の沼神は妙に落ち着かなかった。次のバッター渡辺にどうしても気が向いてしまっている。
(次の打席・・・。あいついったい何狙ってんだろうな・・・)
目の前に集中できず、カウントは3ボール1ストライク。打席の近藤は、沼神の『心ここにあらず』感を見抜いた。
「やろう・・・俺は眼中にないってか?目え覚ましてやるよ」
渡辺に気が流れる中、打席の近藤に対して弛緩した気持ちで投げた一球。それを近藤はプッシュバントで三塁線に転がした。
「NOー!」
無警戒だったサードのワシントンが猛然とダッシュしたが、ゴロを捕球したときには、近藤はしてやったりの表情でベースを駆け抜けていた。
「お前よくやったぞ!」
「やったっす千葉さんっ!!」
完全試合どころかノーヒットノーランも途切れたことで、スタジアム中がため息に包まれる中、近藤は千葉コーチとハイタッチを交わした。そして渡辺はゆっくりと打席に向かっていった。
「しまったな。近藤さんに集中してなかったな」
いったんマウンドに内野手が集まる中で、沼神はぽつりとつぶやいた。それをなだめるように、捕手の吉松が声をかける。
「まあ気にすんな。その分、あのルーキーに集中すればいい。たった二打席で球筋が分かりっこないって」
「そうかな・・・」
「警戒しすぎだ。お前だって伊達でウチの開幕投手任されたわけじゃねえだろ。たかがルーキーに打たれてたまるかって話だ」
楽観的な展望で沼神に喝をいれた吉松。沼神もこれで気持ちを取り戻した。
そしてその初球。吉松はインハイに構えた。まずは渡辺の身体を起こし、そこから外へのスライダーを軸に攻めている考えだった。沼神のインコースを狙ったストレートは、左打者が最も見づらい角度から切れ込んでくるので、左を抑える上で有効な武器となっている。ここまで渡辺以外の左打者はそれでうまく抑えられたし、これまでも多くの左打者を封じてきた。その自信もあった。だから吉松は構え、沼神は投げてきた。
だが、渡辺の次元は二人の想像を超越していた。
初球のインハイ、肩に当たるかのような軌道できたストレートに、渡辺は何の躊躇もなく踏み込み、電光石火のスイングで捉えると、打った瞬間から歩き出した。
「いくらインコースに来たとしてもあとは俺の身体から離れていくだけ。二打席捨てたかいがあったぜ」
打球は弾丸ライナーでスタンドに消える。
瞬く間に2点を奪われた沼神は、それ以上にいつも必勝パターンをいきなりへし折られたことで明らかに動揺した。
(気落ちしてる。一気に行くわよ!)
そんな沼神に友里が二の矢を放つ。曲がり切らなかったスライダーをバットのヘッド(先端)を鋭く巻き込んでライト線を破ってのスリーベースを放つ。そして加藤の打席で今度はカーブがすっぽ抜けてワイルドピッチ。友里はそれを見てホームに生還。ついに3点のリードを奪って均衡を破った。
なんか中途半端なところで区切れてしまうのは反省点です




