勝ちにこだわる理由
紀州ボールパークは、西武ドームをモデルにしていますが、個人的には西武ドームは屋根がないほうが好きです。
『一回の裏、フェニックスの攻撃は、一番、センター、渡辺、和真。背番号、5』
ウグイス嬢がそうアナウンスし、ボンジョビの「イッツマイライフ」をBGMに、渡辺は打席に向かった。迎え撃つツインズの先発は、開幕投手候補のエース能田篤規。セリーグ屈指のサウスポーで、3年連続二桁勝利の実績を持つ。額面から言えば、フェニックス打線には荷が重く思えた。
だが、渡辺の考えは違っていた。
「調整中とはいえ、ここで打てれば俺の株が上がるわけだ。左対左だしな」
臆することなく、かといって変に気負う事もなく、自然な表情で打席に立った渡辺。そこから醸し出す雰囲気に、マウンドの能田は押された。
(なんだこいつ・・・。本当に新人かよ)
疑心暗鬼のままモーションに入り、初球を投じる能田。アウトコースぎりぎりにストレートを投じた。打席の渡辺は特に微動だにせず、あっさりとしたほどストライクが取れた。二球目のストレートもさっきより甘いコースに投げたものの、またも渡辺は微動だにしない。キャッチャーの樫山は三球目を迷った。
(どうする?何を狙っているのかまるで分からん。だが、まだ変化球見せてないし、一球外しとくか)
そう言ってサインを出し、能田はこれに従う。キャッチャーは少し立ち上がって真ん中高めに構えた。
だが、能田がボールを投げた瞬間、それまでまるで覇気のなかった渡辺が、右足を上げて体をひねる。そして踏み込み、フルスイングでボールを捉えた。打球は飛んだ瞬間それと分かる一発。ゆっくり歩き出す渡辺に、キャッチャーの樫山は何が起こったのかわからず棒立ちだった。悠々とした足取りでダイヤモンドを回る様は、既にプロで何年もプレーしているスラッガーのようだった。
「お、おまえ、なんで打つ気なかったのに、あんなボール球打ちやがったんだ?」
自分のもやもやを解消したくて樫山は、ホームベースを踏んだ渡辺に不意に尋ねた。すると常人離れした答えが返ってきた。
「初球のストレートを見て『こりゃ打てねえ。まずは球筋だけ見て帰るか』と思ってたんすどね。バットが届くところに打てそうなボール球来たんで打ったまでですよ」
「打てそうなところって・・・ボール球だぞ?」
「でも、カウントをいじるだけでキレもなんもない棒球でしょ?当てれりゃ飛ばせるんでね」
そう言ってベンチに帰る渡辺を見て、樫山はぼやいた。
「ああいうの、天才っつーのかな。8年プロでやってるけど自信なくすわ」
『二番、指名打者、田中、友里。背番号、4』
球場中がまだ渡辺のホームランの余韻に包まれる中、友里は打席に入った。
「いい雰囲気。初球から行けるかしらね」
一方でボール球をホームランにされるという屈辱を喰らったツインズバッテリーは、友里が女であることに無意識に気を緩めていた。確かにかわいらしい顔立ちとヘルメットから垂らされている黒髪で、まず同じ男と感じる方が無理な話だ。だが、無意識の弛緩が、友里の技術とバットの長さを頭か打ち消す。アウトローに投じたストレートを、芸時術的なバットコントロールで払うように捉え、サードの頭上を越えるライナーでレフト線を破るツーベースヒットにした。
そこから友里は、性別の違いから不安視されていた脚力を見せつけた。
まず、三番の加藤が左中間に大きな飛球を打ち上げる。センターが左利きなのを確認すると、捕球と同時に三塁へタッチアップを試み、成功させた。
「ナイスランだったな田中。左利きのセンターは、左中間の打球を取ると、投げるのにターンする必要があるからな。打球を追いかけているせいで体も流れてしまうからな。よく見てたぞ」
「ありがとうございます、小島コーチ」
三塁ベース上で友里は、ベースコーチの小島からほめられた。
そして四番高橋が、今度はレフトに打球を飛ばす。それほど深いところまで飛ばなかったが、レフトを守るマットソンは緩慢な守備に定評(笑)のある外国人選手。テレビで何度もその拙さを見てきた友里は再びタッチアップの構えに入り、マットソンの動きを注視した。落下点に立ち止り捕球体勢に入った位置は、定位置とあまり変わらない地点。普通なら男性選手でもある程度足が速くないとホームに還れない位置だ。だが迷いはなかった。
(助走を取ってない。還れる)
小島コーチも同じ考えだった。
(相変わらず雑な守備だ。ランナーが三塁にいるときは、落下点よりやや後ろから助走をつけながら取らねえといけないのにな)
そしてマットソンがボールを取ると、小島コーチは「ゴーッ!!」と叫び、友里はスタートを切った。
『げっ!行くのかよ!』
マットソンは友里がタッチアップするとはまるで考えなかったか、取った瞬間に気が緩んだ。そんな状態ではいかに肩が強くても強いボールを投げ返すことはできない。中継役のサードに返球するのが手一杯で、友里は悠々とホームに滑り込んでいた。キャッチャー樫山は思わず聞いた。
「思ったより足速いじゃねえか。ほんとはロン毛で女っぽい顔した男なんじゃねえのか?」
対して友里は目の死んだ笑みを浮かべて言い返した。
「じゃあ胸触ります?セクハラで訴えますけど」
「いや、悪い・・・」
この後能田は五番山下を三振に抑えたが、首をひねりながらマウンドを降りた。
「二失点か・・・。なんか、とられた感じがせえへんなあ」
そんな能田を冷やかすように、スタメンから外れていた本来の一番打者、西野勝佳は冷やかすように声をかけた。
「散々やの能田。訳わからんうちに2点も取られて」
「ええ。正直気分悪いっすよ。二点目は完全にマットの適当守備のせいだし」
「マットの守備は今に始まったことやないが、あの女はなかなか野球を知っとるで。バッティングもそやけど、あれだけ観察力がなかったらプロじゃやってからな」
そう言って立ち上がり、バットを手にベンチ裏に下がる。
「ニシさん、どこ行くんすか?」
「ん~。今日は休むつもりやったけど、気ぃ変わったわ。やられたまんまじゃ胸糞悪いんでな。監督にゆうといてくれ。勝負所で呼んでくれってな」
健一をはじめとした和歌山の若手の躍動に、西野の負けず嫌いに火が付いたようだ。
火がついたのは健一も同じだ。
「ちぇ。渡辺も友里も目立ちやがって。そんじゃ俺も、マウンドから降りるまでパーフェクト続けるとするか」
そこからしばらく、試合は投手戦となる。かたや健一はストレートを軸に力で押し込むピッチングでツインズ打線をねじ伏せ、五回までノーヒット、8奪三振の快投を見せる。片や能田も二回以降は立ち直り、五回二失点とまずまずの内容でまとめた。
そして六回。ツインズ打線が反撃する。
カッ!
上西が放った打球は一二塁間をしぶとく破り、レフトスタンドが沸いた。
この回打者二人を片づけたところで、指名打者を使わない影響で九番に入っていた能田に代わって、ツインズは代打の切り札・関口を投入。それに初球攻撃でセンター前ヒットを打たれると、一番に戻って上西が粘りに粘った11球目。
「ちっ。ちょっと甘かったか?」
ややど真ん中よりのストレートを弾き返され、ツーアウトながら一、二塁のピンチを迎えた。打順は今日2三振の山尾。ここでツインズのベンチから和多田監督が出てきて、主審に代打を告げた。ヘルメットを被って現れたのは西野だった。それに気づいたツインズファンがまた沸いた。
『ツインズ、選手の交代をお知らせします。バッター、山尾に代わりまして、代打、西野。背番号、7』
本来の中軸の登場に、健一も望むところであった。
「へへ。そうこねえとな。簡単に抑えれてちゃ張り合いがねえや」
そこに大輔がマウンドに来た。
「何しに来たんだよ大輔」
「いやなに。おいしいシチュエーションだからどうしようかと思ってな」
「というと?」
「手も足も出ないピッチャーからチャンスを作ってスター登場。ファンにはたまらないシチュエーションだ。だったら三振で切って捨てるのが、それを上回るスターだと思うんだけど・・・狙うか」
「・・・4年の大学生活は相当ぬるかったらしいな。いつからそんな甘い考えになっちまったんだ?」
「プロは、『魅せる』のも仕事じゃねえの?」
「知ったこっちゃねえ。ファンは金払ってるんだから文句を言う権利はあるだろうけど、現場の人間はここでの結果が明日のメシを左右すんだ。いくら魅せたところで、試合に負けちゃ何の意味もねえよ」
健一の持論を聞き、大輔はにやりと笑った。
「変わってなくてほっとしたよ。おまえこそ、弱小チームの負け犬色に染まってなくてよかったよ。そんじゃ、どんな形でも、仕留めるぞ。ここ」
「おう」
大輔が戻るところで、健一は一度帽子をかぶりなおした。そしてこう心の中で吐き捨てた。
(俺たちがやってんのは見世物じゃねえ。勝つか負けるかの修羅場なんだよ。そんなに絵になる勝負が見たかったら台本でも書いとけ)
誰に対してかはわからないが、そう腹を括ると、健一は手にしたロジンバッグを叩きつけた。
「さーていっちょ勝負と行こか。来いや」
バットを突き出して挑発する西野。だが健一は特に乗ることもなく、そしてためらいなく、初球にいきなりビーンボール気味のインハイのストレートを投げる。西野がのけぞったのをみて、レフトスタンドからは罵詈雑言の雨あられだった。だが、当の西野はむしろ楽しむように笑っていた。
「はは、やるやんけ。その喧嘩、買うで」
二球目、今度はど真ん中。しかしこの日最速の158キロのストレート。しかし威嚇された後にもかかわらず、西野はきっちり当ててくる。打球は真後ろに立つ審判のマスクを吹き飛ばす。
(真後ろに飛んだ。つまりタイミングドンピシャ。威嚇球が頭にあった分当てきれなかったか・・・)
プロの技術に大輔は冷や汗を流す。だが、むしろ気合が入った。
三球目はアウトローのストレート。しかし、西野はこれに踏み込みフルスイング。強引に引っ張りライト方向に飛ばす。ホームラン性の打球だったが、僅かにポールの右に飛びファール。力と力のぶつかり合いにスタジアムは大賑わいだ。
誰もが男の勝負の果てに絵になる決着を望んでいたが、健一はそれを平然と裏切る。
四球目。カーブを投じてきた。
「ははっ。なかなかの食わせ者や。ここへきて勝ちにきよったでっ!!」
嘲りながら、西野はボールに食らいつこうと必死にあてに来る。だが、球速差約50キロでタイミングが狂っている上に、次第に滑りが大きくなっていくカーブの軌道に身体がついていかない。前のめりで空振り三振に倒れた。
ピンチを脱して一安心のはずが、どこかがっかり感のただよう妙な雰囲気の中、健一はほくそ笑んで西野にグラブを突き出した。やれやれと一つ息を吐いて大輔もベンチに戻ろうとするが、途中西野に呼び止められた。
「お前、ルーキーにしちゃ、なかなかやっかいな奴とバッテリー組んどるな。ある意味でファンの期待を裏切るような奴とよ」
大輔は対して笑いながら返した。
「ははは。昔からそうですよ。なにせ勝てば大好きな野球が続けられるから、あいつは誰よりも勝ちにこだわってきたんすよ。一発勝負の高校野球って特にそうでしょ」
それを聞いた西野は、納得するように言った。
「・・・確かに、一理あるわな。ワイらかて結果残せんようなったら、いつ首切られるかわからんさけな」
「だからあいつとのバッテリーもある意味楽ですよ?まず勝ちに行くリードができますからね」
「そうかい。ま、がんばりや」
一方で健一も、最後の投球を杉山監督から直々にほめられていた。
「素晴らしかったですよ。雰囲気にのまれず、よく自分のピッチングを貫きました。これからもそれで頼みます」
「ウッス。あざっす」
「その調子で、開幕戦も頼みましたよ」
さりげなく出てきた言葉に、健一は一瞬面食らう。そして思わず聞き返した。
「えっ、開幕っすか・・・。俺が、開幕投手っすかっ!」
「おや?君でも驚くことはあるんですねえ。ですが、その通りです。今のピッチングを見て、開幕戦は君に任せることにしました。この試合を完投して、開幕に勢いをつけてください」
「う、うすっ!任せてください!!」
まさかのサプライズに、さすがの健一も声が上ずった。
そのお礼かどうかは分からないが、7回も健一は打者3人で片づけたのであった。