それぞれにとってのオープン戦
3月。オープン戦が始まった。
というのがかつての流れだったのだが、試合数が増えて日程が前倒しになるにつれ、オープン戦は早いところで2月下旬から始まる。二軍や新人選手がこの期間にアピールし、3月ごろに試合に出だす主力と凌ぎを削る。まあ3月のオープン戦は、開幕一軍の28枠を争う最終試験のようなものだ。
そして今日、本拠地紀州ボールパークに、セリーグの老舗球団関西ツインズを迎え撃った。
「今日はめっちゃ黄色いなあ」
一塁ベンチからスタジアムを見渡しながら、今日の登板予定のない木村は呟いた。
「しかしまあこんな便の悪いところに、わざわざ足運ぶなんて、ツインズファンは物好きですよねえ、吉田さん」
「キムよ。確かに間違ったことは言ってないが、あんまりここのことを悪く言うなよ。スケールは日本じゃ一番の球場なんだからよ」
背後にいた先輩左腕の吉田が言うように、この紀州ボールパークは、和歌山県が総力を挙げて作り上げた「ハコモノ」である。
センター130メートル、両翼は110メートルと日本一の広さを誇る。それでいてフェンスは2メートル50センチと低く、よじ登ってのホームランキャッチがある一方で、軽く弾むだけでスタンドに入りエンタイトルツーベースも高い頻度で見れる。収容人数は4万人。内野は全席固定席。対して外野は芝生席で寝転がっての観戦が可能。開閉可能の屋根を持ち、全面天然芝のドーム球場という世界でも類を見ない極めて珍しい球場だ(札幌ドームも天然芝になるがあくまでサッカー用)。
ただし、木村の言ったように便の悪さでも他の追随を許さない。
山一つを削り取って土地を確保したのだが、アクセスは車、バス、タクシーでしか基本行けず、電車では最寄駅ですら徒歩1時間。しかも球場までの道のりは片側一車線の抜け道なしなので行き帰りで道路渋滞との戦いが待っている。道路の拡張工事や電車を引く噂もあったが、チームの成績もあってとん挫している。
そんな劣悪なアクセスにもかかわらず、ツインズファンだけはオープン戦、交流戦問わず大挙押し寄せる。だが今日はホームのフェニックスファンも多く訪れ、ライトスタンドをチームカラーの深緑とオレンジに染めていた。
「まあ、甲子園を沸かせた黄金バッテリーの復活・・・。立場抜きにしてホント楽しみっすね」
「ああ。佐藤は鈴木の持ち味を知り尽くしているからな。リリーフ系はともかくとして、俺たち先発投手の出番はないらしいからな。じっくり見ようじゃないか」
「そうっすね」
その頃のブルペン。
健一が大輔相手に最後の投球練習をしていた。高校時代からなじみのあるストレートとカーブ、さらにツーシームとチェンジアップ。すべての球種の状態を確認するように、丁寧に20球ほど投げた。
「どうだ、今日は何がいける?」
健一の質問に、大輔は鼻で笑った。
「言うのめんどくせえよ。どれもいいから」
その答えに、健一も満足そうに笑った。
『続きまして、後攻の和歌山フェニックスの、スターティングオーダーです』
試合開始前、球場ではウグイス嬢が淡々と両チームのスタメンを読み上げていた。近年はスタジアムDJといって男がアメリカっぽくコールするのが主流になりつつあるが、ここは今も昔も一貫してウグイス嬢が担当している。
『一番、センター、渡辺、和真。背番号、5』
期待の逆指名ルーキーが初っぱなに読み上げられると、早速ライトスタンドがわく。すでに5本塁打を打っており「先頭打者アーチ頼むぞー」という声援も出る。
『二番、指名打者、田中、友里。背番号、4』
今度は球場全体がどよめく。話題の女性選手が上位打線で起用されたからだ。しかもわざわざ打撃専門の指名打者(DH)でだ。
『三番、ライト、デニス加藤。背番号、10』
『四番、ファースト、高橋、謙二。背番号、3』
『五番、サード、山下、幸雄。背番号、26』
『六番、レフト、橋本、功。背番号、25』
三番から六番までは去年から聞き慣れているメンバーなのであまり盛り上がらなかった。ただ五番山下と六番橋本は、それぞれ右と左の代打の切り札として去年は活躍しただけに、
『七番、キャッチャー、佐藤、大輔。背番号、2』
そしてライトスタンドがまた盛り上がる。対してそれを打ち消さんと獲り逃した格好のツインズファンはブーイングをぶつけた。
『八番、ショート、近藤、知樹。背番号、36』
『九番、セカンド、中川、康平。背番号、49』
残りの二人はついで扱いで特に騒がれなかったが、最後に先発投手がアナウンスされると、スタジアムが敵味方問わず沸いた。
『先発ピッチャー、鈴木、健一。背番号、1』
「けっ。ずいぶんと沸くじゃねえか」
スタジアムの盛り上がりを、どこか疎ましく思う選手がいる。昨年までのチームの正捕手である石川和正だった。11年のプロ生活で1179試合に出場してきたベテラン捕手だが、今年はオープン戦の時点から特に故障も不調もないのに、捕手のスタメン争いで新人の大輔と、札幌からFA移籍してきた小林裕三に次ぐ3番手に甘んじている。長らくチームのホームを守ってきた男として、ルーキーや新顔が優先して使われている現状は面白くない。今回は特にその色合いが強い。
「なあタケよ。いくら甲子園を沸かせた黄金バッテリーつっても、プロでそれがまんま出るとは限らねえよなあ」
「そうっすよ。それに佐藤はまだ新人だ。とりあえず、お手並み拝見ってやつですよ」
傍らに立つ右の大砲、竹内克己は先輩を立てるようにうなづく。彼もまた友里のスタメン起用のあおりでベンチでの日々が続いている。女に奪われているだけにその嫉妬は石川よりもあるいはひどいのかもしれない。
今の和歌山は杉山監督の起用法に、早くも不満をあらわにする選手が少なからずいる。特に昨年スタメンを張っていた外野手の原田と内野手の中野は、代打要員にそのポジションを否応なしに奪われていることに杉山監督への反発心が芽生えていた。石川と竹内はその旗頭であるといっていい。そんな選手たちを遠巻きに目をやりながら、杉山監督はつぶやいた。
(果たしてあの中に、今日の試合から目を代える人はいるんでしょうかねえ)
やがて、ホームの和歌山の選手たちが、一人一人ポジションにつき、最後に健一が威風堂々とした歩みでマウンドに登り、待ち構える大輔からボールを受け取った。
「甲子園を思い出すか?」
大輔は突然聞いてきた。対して健一はそっけなく答えた。
「バーロー。もう忘れちまったよ。つーかここ甲子園じゃねえし」
大輔は安堵したように笑った。
「それさえわかってりゃいい。完封狙うぞ」
「狙うんじゃねえ。やるんだ。大学仕込みのリード、お手並み拝見だぜ」
「任せろ」
最後にグラブとミットを重ね合わせて、大輔はマウンドからホームに走って行った。
一人になった健一は、振り返ってバックスクリーンのスコアボードを見た。そしてツインズのスタメンに目を移す。そこには若手や新外国人ばかりがラインアップされ、チームの顔ともいえる主力選手の名前がなかった。それが大いに不満だった。
(去年の最多勝と防御率1位になめた真似してんじゃねえか。思い知らせてやるぜ)
そう心の中でつぶやいて、マウンドの足下を踏み固めた。
『一回の表、ツインズの攻撃は、一番、セカンド、上西。背番号4』
ウグイス嬢がそうアナウンスするや、レフトスタンドから早速トランペットやら太鼓やらが鳴り響き、ファンが応援歌の大合唱だ。その声量の合間を縫うかのように、主審が「プレイボー!」とコールした。
特にサイン交換するまでもなく、主審のコールが終わるやいなや、健一はすでにワインドアップモーションに入っている。高く上げた左足を力強くを踏み込み、自然な体重移動で胸を張り、ボールを握った右腕を振り下ろす。日本球界で一般的にストレートと呼ばれる、何の変化もなく一直線に放たれたフォーシームは、うなりを上げながら大輔がど真ん中に構えたミットの中に吸い込まれ、激しい音を立てた。主審が右手を高く上げて「ストライィっ!」とコール。バックスクリーンのビジョンに『155km』と球速が表示され、さっそく球場がざわめいた。
「ざわつくのは早えよ。とりあえず、さっさと役者を引きずり出してやるさ」
日本球界において、俗にストレートと呼ばれるスピードボールは、言葉どおりそのまま真っ直ぐな軌道を描く。極端な話球速だけの何の変哲もないボールだ。だからそれで三振をとれるのは、ある種至難の技である。2球目も、ほぼ同じくど真ん中に放たれたにも関わらず、上西は全く手が出ない。
(くそっ!なんだよこれただのストレートだろ?なのに・・・)
打席の上西は、ただただうろたえる。何の変哲のない、ど真ん中のストレート。なのに身体が全く反応できない。
「本物のストレートにゃな、バッターを寄せ付けねえオーラってもんがあんだよっ!!」
そう吠えながら放った三球目。上西のスイングの軌道の上に、浮き上がったようにストレートがミットに吸い込まれた。
次のバッター山尾も、健一はストレートでねじ伏せる。初球のインハイで身体を起こされ、目線の届かないアウトローで追いこまれ、最後は勢いにつられてアウトハイのボール球を振らされた。
『ほう。日本にはまだあんなクレイジーなピッチャーがいたのか。相手に不足はないな』
そういって意気揚々と打席に立つは、メジャーで首位打者二回の実績を持つ新外国人ウィンブリー。左打席に入り「カモン、カミカゼボーイ」と挑発してみる。
対して健一は満面の笑みでモーションに入る。今までと同じように振りかぶり、同じように豪快に腕を振る。だが、投げられたのは、ストレートよりも40キロ以上遅いチェンジアップだった。
「Why!?」
まさかの一球に、前につんのめり、腰砕けのスイングをさせられたウィンブリーは怒り心頭。続く二球目は唐突なクイックモーションからのど真ん中のストレート。140キロ台と打てないスピードではなかったが、タイミングが狂った後なので手も足も出ない。完全に遊ばれ、恥をかかされた格好の現役メジャーリーガーはいきり立っていた。
それをさらに嘲笑うように、健一は伝家の宝刀を投じる。さっきのチェンジアップよりも高く浮き上がったボールは、緩やかに、それでいて鋭く曲がっていく。当てにくるウィンブリーのスイングをかわすように、ボールは空を切らせ、ウィンブリーの足元あたりに構えられたミットに収まった。
『お、おいキャッチャー。今のボールは何だ』
まるで敵わなかった最後の一球に面食らったウィンブリーは、思わず大輔に聞く。「いろんなピッチャーと組むだろうから」と大学で英語とスペイン語、さらには韓国語も取得していた大輔は、にやついて返した。
『今のか?ただのカーブだよ』
『カーブだと?バカな!メジャーであんなカーブ投げるやつなんて見たことないぞ』
『そりゃそうでしょ。そっちじゃいじくったカーブばっかでしょ。でも、今のが・・・まあ言えば“純粋な”カーブ。教科書通りのカーブってわけですよ』
「あの外人に何話してたんだ?」
「ん?別にお前のカーブは打てっこないっていうボヤキを聞かされてただけさ」
英語を理解できない健一に、大輔ははぐらかすように説明した。
「ようケン坊。相変わらずいいピッチングするな。誰がキャッチャーでも最高の立ち上がりだぜ」
そこに石川が声をかけてくる。その口調はどこか嫌味が入っていて、暗に大輔を口撃しているようでもあった。
「そうっすね。でも石川さんよりも投げやすかったすよ。あんたの場合バッターと一緒に緩急につられるからカーブ使いにくいし」
対して健一は悪びれもなく先輩を口撃する。返す刀で竹内にも言った。
「竹内さんも、現状を愚痴ってないで素振りの一つでもしたらどうっすか。言っちゃ悪いけど、あの女のほうがずっと期待できるし」
そう言って健一はドリンクを手に取りそれを飲む。
「くそったれ・・・。ガキの分際で生意気言いやがって」
石川のいら立ちを健一は気づかないふりを貫いた。
11 吉田豊一 投手 左投げ右打ち 180センチ69キロ
プロ15年目のチーム最年長投手。大卒で入団し、10年以上チームの先発ローテーションを守る。投手をするにしては指が小さいが、握り方が苦しくないカットボールやスプリット、チェンジアップを駆使して試合を組み立てる。健一にチェンジアップを習得させた仕掛け人。気さくで若手投手の兄貴分的存在。
昨年成績 29試合7勝11敗 防御率3.98 奪三振113
27 石川和正 捕手 右投げ右打ち 185センチ86キロ
プロ11年目の正捕手。新人の年から常に100試合以上でマスクをかぶり続けた。意外性のあるバッティングとオーソドックスで堅実なリードに定評があるが、特に落ちる変化球を後逸するクセがある。12年目のシーズンはオープン戦からスタメンを剥奪されふてくされ始めている。
昨年成績 131試合 打率231 6本塁打 24打点
55 竹内克己 内野手 右投げ右打ち 177センチ99キロ
健一の3つ先輩で、体格通りのパワーヒッター。二軍で2回ホームラン王になっている。一昨年から指名打者のレギュラーになったが、去年の不振の影響で今年はスタメンの地位を追われている。石川とは出身校の先輩後輩の間柄。
昨年成績 119試合 打率208 10本塁打 37打点