緊張してる場合じゃない
友里のセンター返しを皮切りに2点を先制したフェニックス。その裏、ツインズの攻撃前。投球練習を終えた先発清水は、緊張した表情を崩さないままだった。見かねた大輔が声をかけた。
「おまえ大丈夫か。投げる前から顔をリンゴみたいにしやがって」
「す、すみません・・・。だって、甲子園、ですよ!女子じゃ絶対に立てないマウンドに今私がいるんですよ?むおうめっじゃ緊張しぢゃいますよ・・・」
「あ~そっか。んじゃ水差させてもらうわ。俺はここが庭みたいなもんだからな」
「に、にわ~・・・・うらやまじいでず~・・・べふ」
ミーハーな反応をする清水を見て、大輔はミットで頭をはたいた。
「あのな。お前今から始球式するんじゃねえんだぞ?プロとして、金払わせてる試合に投げるんだぜ?ガキじゃねえんだからさっさと目の前に集中しろ」
「す、すいません・・・。あ、そうだ」
ホームに戻ろうとする大輔に、清水は最後に呼び止めた。
「あ、あの!タイムリー、打ってくれてありがとうございます。・・・頑張ります!」
「そうそう。それでこそだ。そんじゃ、しっかり仕事するぞ。1番手」
その様子を一塁から見守っていた友里も、自分の頬をはたかれたような気分になり、気持ちを切り替えた。
(そうだった。いつまでも『お客さん気分』じゃだめだった。アタシは見学者じゃなくて、ここでプレーするプロ野球選手なんだよね)
「一回の裏、ツインズの攻撃は、一番、セカンド、上西。背番号、4」
瞬間、9割9分の観衆が沸いた。ただでさえ大きな球場の四方から5万人の声が飛んでくる。四面楚歌の故事の状況そのものといっていい。慣れなければ、いや何年来プレーしても敵として来たくはない球場である。
だが、マウンドの清水はとにかく冷静だった。一度スイッチが入ると驚くほど冷静になれるのが清水の持ち味であり、そのタイミングで喝を入れるうまさが大輔の武器である。
そして清水のナックルは、ツインズの上位打線に見事にはまった。
「あれっ?」
1番上西、2番山野とミートのうまいバッターが連続するが、清水は3種類のナックルをフル活用して面白いように翻弄した。さらにこの日の二遊間は、土のグラウンドでのイレギュラーバウンドにめっぽう強かった。山本、中村と平然と処理し、瞬く間に2アウトを取った。
しかし、ツインズ打線もそう簡単にやられはしない。3番時谷が落ちそこなったナックルを捉えると、打球は右中間を破る二塁打となった。
「あちゃ~。落ちそこなっちゃったな」
苦笑いをして首をかしげる清水。気を取り直して次の打者に集中した。だが、その次こそ難しいバッターだった。
「四番、サード、筧。背番号31」
170センチほどしかない小柄な左バッターがアナウンスされると、甲子園早くもこの日一番の大歓声。人呼んでミスターツインズ。セリーグを代表する強打者が打席に入った。
「いやいや良かった。トリで終わってたらどうしようかと思ってたよ」
足元をならしながら筧は誰にでもいうわけでもなく独り言を言う。
「どんなナックルなのか・・・。楽しみだね。キャッチャー、いいの頼むよ?」
さわやかな笑みを浮かべながら、語り掛けるようにつぶやく筧。大輔はあえて挑発した。
「いいんすか?リクエストなんかして。、打ちそこなったら恥ですよ」
「ハハハ。恥なんていくらでもかけばいいさ。恥をかけるのは生きてる証拠さ」
(・・・・だめだな。こりゃちょっとやそっとじゃやれねえな)
さらりと返してきた筧の言葉に、大輔は筧の打者としての力量を察した。
大輔は初球から勝負に出た。
(こい、清水。四本指ナックルだ)
マウンドの清水もすぐにサインに頷いた。最も変化が大きく、最も握力を使う諸刃の剣である四本指ナックル。それを初球から使うのはかなりの賭けだ。しかし、バッテリーに迷いはなかった。
(いけっ!!)
清水は思いを込めてボールを弾いた。
(よしっ!)
渾身のナックルが要求どおりにきて、大輔は心の中で叫ぶ。だが・・・筧は微動だにしなかった。ボールはストライクゾーンからみるみるうちに外れていった。審判が無情のボールをコールする。
「勝負焦ったね。初球から切り札を使うなんて、君も賭けに出たね」
見送って余裕の表情を見せる筧に、大輔は舌打ちした。
ミスターツインズと称えられ、四番打者として5年連続30本塁打の実力はやはりだてではない。清水は執拗にナックルを放つが、筧はことごとくカット。追い込んだ後の一球はポール際まで運ばれた。次第に大輔は焦りの表情を浮かべ、清水も肩で息をし始めた。対して筧の表情は余裕そのものであった。
(そろそろ握力もなくなってきただろう。いい武器だが、ナックルしかないようではね)
そして追い詰められた清水の一球は、またもどろんと沈んだボール。ほとんど棒球だった。
(よし、スタンドインだ)
スイングの瞬間、筧はそう確信したが、すぐに驚きに変わる。
(揺れない!?)
ナックルと想定して微妙にバットを動かしていた筧だが、ただ沈んでいくボールをミートしきれず、ファーストへのゴロに終わった。友里がベースを踏んだ瞬間、大輔がガッツポーズしているのが見えた。
「おいおい。たまたま抜け球を打ちそこなってくれただけだろ。偶然の産物に喜びすぎだろ」
呆れる筧に、大輔は言い返した。
「偶然の産物?バカ言わないで下さいよ。練習の賜物、あれチェンジアップすよ。ナックルを意識させ切った中で投げるきれいな変化、意外と打てないでしょ」
大輔はベテランに対しておどけ切って見せた。筧はその三味線にひっかかった格好だ。
「はは。やりよるね」
そう負け惜しみを言う事しか、筧にはできなかった。