いろいろな関係が生まれているようである
「あと一球、あと一球・・・」
紀州ボールパークのライトスタンドから、フェニックスファンがそう声援を送る。マウンドの健一は、それに笑顔を見せる。
「よーし、そいじゃその期待に応えようじゃねえか」
自信満々の表情を見せながら振りかぶる健一。左脚を上げ、モーションに入り力強くそれを踏み出す。
「でぇいっ!!」
そして気合いと共に右腕を振り抜く。放たれたボールはうねりをあげながら、相手のバットに空を切らせ、高めに構えた大輔のミットに突き刺さった。
「ットライィッ!バッター、アゥッ!!ゲェームセッ!!」
審判がそうコールして、スタジアムの右半分が歓喜にわいた。
球団史上初、4月首位通過確定の瞬間だった。
「今シーズン、早くも5勝目。しかも4完投2完封とすばらしいピッチングが続いていますねえ」
その日のお立ち台は無論健一。相方で3安打3打点の大輔と共に上がり、インタビュアーがそう言葉をかけられた。健一は得意満面で返した。
「まあ今年から昔の相棒がマスク被ってるし、それも大きいんじゃないですかね。ま8割方は俺の調子のおかげかなとは思ってるんすけどね」
「いやちょいまちよ。半分は俺のリードのお陰だろ?」
そんな健一に大輔が突っ込む。するとお立ち台は漫才のような丁々発止が始まった。
「お前が気持ちよーく投げれるようにうまく俺がリードできてるから今日は完封できたじゃんか。俺がうまくお前の才能を引き出してるから、半分は俺のお陰だろ」
「いやいや、引き出しがいのある才能があるからお前が気持ちよーくリードできてるんだろ?だから俺のお陰だって」
和やかな雰囲気のままヒーローインタビューが続くことに、今のチームの調子の良さが現れていた。
元々フェニックスは地力が全くない訳ではない。13勝は軽く計算できる健一と、タイトル争いに絡める打力をもつ高橋。さらにはセーブ王になりえる松本と、力のある選手は少なからずいる。今年はルーキーながら上位打線に並べられた渡辺、友里、大輔に新守護神として台頭した高木と徐々に役者が揃いつつあった。それが噛み合った結果が、開幕8連勝、4月首位であった。
その翌日。ゴールデンウイーク前のオフ。
紀州ボールパークでは、新人選手ら若手選手数人が、休日返上で練習をしていた。アピールに余念がないというより、体を動かしたほうが落ち着くという感覚だ。だから遊び感覚もあった。今ゲージでバットを振り回している男は、まさにその典型だ。
「そうりやぁっと!」
ゲージで叫びながらフルスイングした健一の打球は、広い紀州ボールパークのバックスクリーンに飛んでいった。後ろでそれを見守っていた大輔と友里は感嘆とした。
「へー。テレビで何度か見てたけど、お前のバッティング全然錆びついてねーな」
「あんたってホントバケモノね。いっそのこと二刀流目指したら?」
舌を巻く大輔と冷やかす友里に、健一は得意満面だ。
「甲子園優勝投手の才能ってのは、そう簡単に錆びつかねえもんさ。それに俺はあくまで“ピッチャー”だからな。野手並の制約がないから飛ばすことに専念できんだよ」
プロ野球においてピッチャーのバッティング能力は、四番を兼任することの多い高校野球のそれとは違ってほとんど期待されいない。大概は9番打者で起用され、せいぜい「バントぐらいできて上位にチャンスを回せ」という役回りが一般的だろう。基本的に打席に立たないパ・リーグのピッチャーなら、その役割を認識すること自体皆無だろう。
だが中には健一のように、野手顔負け、いや野手以上の打力を持つ選手もいるし、そもそも投手をする選手は、高校生以下ならばチームでも頭一つ以上抜きんでているのだから、下手な野手よりは磨きようもある。ピッチャーとして生きる以上バッティングを磨く余裕はないが、あてにされていないことを逆手に取った健一は、ストレス発散がてらホームランを打つ技術に磨きをかけ続けていたのだ。
ちなみに健一はプロ生活の過去4年、指名打者制を採用しない試合があるセ・リーグとの交流戦で11本のホームランを放っており、一昨年は5本放って野手を含めた全体で3位タイという偉業をなしている。
そう言いながら、またもホームランを、今度はレフトスタンドにかっ飛ばす。健一の態度に友里はあきれるばかりだ。
「お山の大将とはよく言ったものね。投げんのも打つのもどんだけ自分勝手なのよ」
「まあいいじゃねえか友里。普段はふざけてるけど、こいつはやるときゃちゃんと仕事するぜ。そうでなかったら15勝も勝てえねえって」
「おいおい何言ってんだ大輔。俺はいつでも、まじめだぜっ!!」
三連続ホームランが、レフトスタンドの最上段に飛んでいった。
健一のストレス発散に同行した大輔と友里の目的は、「感覚の維持」だ。特に友里は打撃投手の菊池に、ど真ん中の棒球ばかりを投げさせ、それを右に左に打ち分けていた。
健一はそれをじっと見つめ、時々「ふーん」「ほー」とささやく。はじめは気にしていなかった友里だったが、次第にいら立ち問いただした。
「ねえ。ちょっと後ろでつぶやくのやめてくんない?あたしにとって大事な練習なんだから」
「嫌悪いな。お前の身体のラインがキレイなんでよ。ちょっと目の抱擁をさせてもらってんだ」
「目のって・・・。ちょっとアンタ!!」
あからさまなセクハラ発言に顔を紅潮させた友里だが、健一はすぐに詫びる。
「おいおいそうムキになんなよ。いい練習してることぐらいわかってるって。どんだけ集中してど真ん中を打ち分けてりゃ、プロでも簡単に打てるってことが分かったからうなづいてんだ。半分はな」
「あとの半分は女のケツを見てるってわけね。フンだ!」
「見られてる女のほうが『ケツ』っつうなよ」
再び打ちなおす友里。健一のセクハラにいら立ちはあったが、同時に見直してもいた。
(あたしの練習の意図が分かってるだけマシか。・・・やっぱり、野球の才能はすごい。悔しいけど、それだけは認めるしかないわ・・・)
そう言いながら友里は、教科書の手本となるようなセンター返しを放った。
読者の皆さんはこんな話を聞いたことはないだろうか。
高校野球の試合で、剛速球投手の対策として、「ピッチングマシンでそのピッチャーの最速以上のボールを打ち込む練習をした」という話を。
作者は万年補欠だったためにあまり偉そうなことは言えないが、結論から言うとこれは『無駄』である。このチームの特訓は、慣れない速球を打つことで本来の打撃フォームを見失い、かえって歯が立たなくなったというブーメラン的オチがついた。大切なのは自分に合ったフォームを徹底的に身体に叩き込むことである。薫の練習はまさにそれなのだ。
ど真ん中のボールが一番打ちやすいのは、その時のバッティングが、一番フォームの性能を引き出せるからである。「インコースや外角を練習しなくていいのか?」と疑問に思うかもしれないが、それらは応用であり、基本型である『ど真ん中を打つときのフォーム』が固まっていないとどちらかに得意不得意が顕著になり、いわゆる『穴のあるバッター』になってしまうのだ。
ど真ん中を打ち込むもうひとつの理由は、『失投を確実に仕留める冷静さの鍛練』である。
こんなシーンも見たことはないか(野球をする人なら経験あるはず)。
今友里が打ち込んでいるようなど真ん中の棒球。それの打ち損じ。ピッチャーは誰しもヒットやホームランを打たれまいといろいろコースを散らしたり、力を込めたボールを投げる。バッターもそれを意識する。そう張りつめているなかで突然きた絶好球。大抵は「ヒットを打ってやる!」と、つい力んでミスショットしてしまいがちだ。
相手ピッチャーの力量が高いほど、失投を仕留められる意味は大きい。ど真ん中のボールを欲張ることなくフォームを意識しながら確実に打ち返す。こんな練習をしている成果は、『女子プロ野球史上ナンバーワン打者』の称号と、現時点でのリーグ首位打者という結果につながっている。
「ねえ健一。あんたあたしがホームラン打てるって思う?」
突然、今度は挑発するように友里が声をかけてくる。健一は首を傾げた。
「・・・どうだろうな。たぶんその顔は『実は打てるのよ』って書いてっけどよ。ここじゃ無理なんじゃねえか」
「じゃ、入ったら3万ちょうだい」
「3万?なんでま」
「すいませーん、ラストちょっと高めで」
健一が返す前に、友里は打撃投手に高めを要求する。そして有無を言う前に投げさせた。
「3万、いただきまーす」
無邪気に笑いながら友里はフルスイング。打球はライトスタンドの中段に飛び込んだ。
「はい。3万円」
ニヤリと笑みを浮かべ、友里は手を差し出した。健一は嫌々ながらも要求をのんだ。
「なんて強引な女だ・・・。ま、フェンスギリギリじゃなくてちゃんとしたホームランだ。払ってやるよこんちくしょう」
そして健一もまた友里を見直した。
(自分のセンスをきっちり磨いてるかこんだけ打てるわけだ。頼らねえわけにはいかねえな)
「なんかお前ら似た者同士だな。つくづく見てて思うぜ」
「あん?」
「はぁ?」
取り残された感のある大輔の冷やかしに、二人は「そんな訳ないだろ」的な返事をした。