キャッチャー大輔の力量
『二回の表、エクスポズの攻撃は、四番、ファースト、ロビンソン。背番号、42』
この日最初の大歓声。日本の野球ファンにも知名度の高い選手が打席に入るからだ。
ジェフ・ロビンソン。メジャー実働18年で2112安打231本塁打。首位打者2回、打点王8回、生涯得点圏打率4割弱と、「よくこんな選手が呼べたな」というほどの好打者。マウンドのリカルドはもちろん、大輔も緊張が収まらない。テレビの向こう、海の向こうの超一流選手が目の前にいるのだから。
「やっべぇ・・・あのロビンソンが目の前に居やがるぜ」
気持ちが高ぶる中、生唾をのみこんで大輔は座り、まずロビンソンの挙動を見る。そして次第にその凄みに押されそうになる。
(すげえ・・・スキがねえ。こういうのが『自然体』なんだな)
独特のオーラを感じつつ、大輔はサインを送る。リカルドはまず初球、アウトコースにボールになるスライダーを投げた。ロビンソンはピクリともしない。
二球目、今度はアウトコース低めに、またもボールになるカーブ。ロビンソンは不動のまま。
(狙いが読めねえな・・・とりあえずカウントを整えるかな)
三球目、今度は一転インハイにストレート。ロビンソンの避ける仕草にスタジアム中がどよめくがストライク。その時のロビンソンの表情に、大輔は戸惑う。
(クソッ。笑ってやがる。どんだけ余裕あんだよ)
大輔は気を取り直してサインを送り、リカルドは従って真ん中低めにフォークを投じる。
(げっ!!)
そのボールに大輔は驚く。打ち頃のストライクからボールになる質の高いフォーク。さすがのロビンソンも空振り、ツーストライクと追い込んだ。にも関わらず、大輔は冴えない、むしろ悔やむような表情だった。
(なんで『決める前』にそんないいの来るかなあ・・・)
リカルドのように多彩な変化球を駆使するタイプは、得てして決め球に使えるような勝負球に乏しく、追い込んでから苦労することが多い。直感的なものであるが、ロビンソンほどの実力者なら、ただ当てるくらいならリカルドの全てのボールに対応できるだろうと、大輔は考えていた。
(変に粘られたらきつい・・・どうしたものかな)
かえって追い詰められた格好になった大輔だが、「歩かせてもいい」という発想はなかった。次打者ゴンザレスには長打力があり2ランのリスクをはらむ。何より初対戦で弱気になるとシーズン通してカモられる可能性もある。長丁場のペナントレースを考えた場合、苦手意識のあるバッターは、一人でも少ないほうがよい。
(まだ打たれたっていい。大事なのは逃げないことだ!)
大輔は肚を括ってサインを出し、リカルドは応じて投げた。
アウトローに目一杯のストレート。ロビンソンは、教科書の手本となるような逆らわないスイングでボールを捉え、一塁線に鋭い打球を流し打つ。
「っ!」
これをファーストの友里が見事な反応。横っ飛びで捕球し、そのままベースを踏んだ。
「いったぁい。いつやっても、横っ飛びは胸が痛くなるわね」
苦笑する友里だったが、渾身のファインプレーにスタジアムが沸いた。
『素晴らしいプレーだったよ、お嬢さん』
「えっ!あっ、あの・・・さ、サンキュー」
讃えて手を差し出してきたロビンソンに、友里は戸惑いながら握手した。
一方で、大輔は手応えを感じだ。ファインプレーに助けられたとはいえ、強気の姿勢が結果に繋がったからだ。リカルドの表情からも緊張がとれていた。
「お〜し、こっからしめていくぜ!」
大輔のリードにリカルドも乗った。変化球を低めに集めて早いカウントで勝負するハイテンポなピッチング。的が絞れないエクスポズ打線は手を焼き、三回までパーフェクトに抑える。一方でパクも力で押しながらスライダー、スプリットで仕留める投球で若いフェニックス打線を手玉にとり、こちらも3イニングを9人で片付けた。
「リカルド、予想以上のピッチングですねえ。あれほどの打線をここまでよく抑えてる」
試合を見守る増田コーチは、リカルドのピッチングに感嘆としていた。
「リカルド君がいいのもありますが、佐藤君のリードが冴えてます。彼が強気の姿勢を見せて、リカルド君をうまく乗せているのでしょう。だからこそ、二回り目に入る四回からのピッチングが大事です。変化球を多投しているのも気になりますしね」
杉山監督がそう危惧した四回、予言通り最初のピンチを迎えた。
先頭打者の星川、三番の豊橋がヒットを放ち、一死一、三塁のピンチに、四番ロビンソンを打席に迎えた。ここで大輔はマウンドに向かった。
「低メニ変化球?」
「ええ。ワンバンなってもいいんで、フォークやカーブ、シンカーでいくっす。しっかり投げきって下さい」
大輔の言葉に、リカルドはいささか不安を覚える。低めの変化球は大抵のバッターに効果を発揮するが、その分捕球も難しく後逸のリスクも伴う。まして今はランナーが三塁にいるわけで、後ろに逸らした瞬間に即失点となる可能性大だ。
だが大輔は弱気の虫を見せるリカルドを鼓舞した。
「大丈夫っすよ。絶対全部止めますから、思いきって投げてください。いいっすね」
「ワカッタ。頼ムゾ」
(こういう場面。低めの落ちる変化球が一球でも入ると、バッターは一気に狙いを絞れなくなる。ましてやリカさんはとにかく球種が多い。少しでもバッターを迷わせるためにも、死ぬ気で止める!!)
ロビンソンに対し、リカルドはフォーク、カーブ、フォーク、シンカーと来て、カウントツーツー。
(クソッ、あのガキなかなか後ろそらさんな・・・)
三塁ランナーの星川は、懸命に止める大輔に苦虫を噛み潰す。打者のロビンソンも低め一辺倒の投球に首をかしげる。
(キャッチャーの気持ちがピッチャーに通じている。だんだんとキレが良くなっている・・・)
(さあリカさん!この一球頼むぜ!)
そして五球目。リカルド渾身の一球。
「What!?」
その一球、真ん中やや高めのストレート。虚をついた絶好球に、ロビンソンは手が出なかった。
マウンドのリカルドは若干興奮気味にガッツポーズを取った。
しかし、大輔はリードの手ごたえに浸るまでもなく、すぐにマウンドに駆け寄り、その頭をはたいた。
「あんたバカか!まだツーアウトだぞ!次こそ腕振れよ?少しでも抜けたら飛んでくぞ?」
「ワ、ワカッタ・・・ゴメン」
そのゲキに、ベンチの杉山監督は唸った。
「さすがですねえ。よくわかってますよ彼は。リカルド君はこれほどの成功体験には乏しいですから、舞い上がってかえって打ち込まれかねない。ましてやホームランバッターには気が抜けることが一番危うい。いい合いの手ですね」
舞い上がりそうになったところで大輔が喝を入れたことで、リカルドは再び気を引き締めてゴンザレスと対峙する。追い込んでからの三球目。インハイのストレートを打たれはしたが、腕を振り切っていた分押し込むことができ、打球は高橋への平凡なフライ。やや危なっかしく高橋が捕球した瞬間、リカルド以上に大輔が雄たけびつきのガッツポーズ。会心のリードを見せたのだった。
紀州ボールパークは、内野のファールゾーンにブルペンがあり、待機している選手はフェンス越しに試合を観戦できる。この日ベンチ入りしながらも当番予定はない健一と木村は、パイプ椅子にふんぞり返って試合を観戦していた。遠巻きに大輔のガッツポーズも見えた。
「ずいぶん派手なガッツポーズっすね、佐藤さん。もっと冷静な人だって思ってたけど」
「そうでもねえぜキム。あいつは俺以上に熱血漢だぜ?」
「マジっすか?あんたより熱い人っているんすね」
目を見開いて驚く木村に、健一は首を傾げた。
「おまえなぁ。俺をなんだとおもってんたんだよ」
「しかし、佐藤さんってマジすごいっすね。器用貧乏なリカルドさんで無失点に抑えてんだから」
「辛口だな。リカルドさんはそこまでひどくねえぞ。使う球しぼりゃそれなりに何とかなるもんさ」
「いやでもですよ?千葉で佐藤さんに受けてもらったけど、マジで自分が自分じゃない感じでしたよ。知らない自分が引き出されるつーか」
「今度はえらい持ち上げようだな。だがま、大輔の魅力が分かっただけでも上出来だ。掛け値なしにあいつと組んだら、おめえは今年15勝できるぜ」
「いや、そりゃわかんないっすよ」
先輩からの言葉をしれっと否定した木村。
「15できるかどうかは打線の兼ね合いでしょ?」
「どういうとこリアリティなんだよお前」
健一は笑うしかなかった。
そして四回裏、ワンアウトからフェニックス打線が反撃を始める。
『何っ!!』
心地よい打球音とともに、パクの自慢のストレートがセンター前にはじき返された。
「よしっ!タイミングばっちり」
友里が3球目のストレートを捉えたのだ。まさか女に打たれるとは、パク自身まるで想定していなかった。
『くそっ。アイツホントに女かよ。髪が長いガリガリの男じゃねえだろうな』
そして微妙に集中力が切れていることを大輔は見逃さなかった。
『三番、キャッチャー、佐藤』
アナウンスとともに流れる、DEENの「君さえいれば」。そのサビが大音量で流れる中、大輔はボックス横で素振りをする。そして頭の中を整理していた。
(友里にヒットを打たれてちょっと戸惑ってんな。・・・・狙えるか)
初球、アウトコースにストレート。ストライク。威力は変わっていないようにも見えたが、マウンドのパクは少々投げにくそうだった。
(やっぱトントンと抑えてきたからな。想定外のバッターに打たれてしかもセットポジション。リズムが狂わないわけがねえ。・・・打つなら次のだ)
大輔がそう腹を括った中、パクが二球目を投じる。やや真ん中寄りにスライダーが入ってきた。
「甘い。いけるっ!」
ややオープン気味に左足を踏み出した大輔は、食い込んできた甘いボールを思い切り引っ張った。打球は痛烈に三塁線を破った。地を這う打球にレフト豊橋は一歩目が遅れ、打球はレフト線の最深部まで到達する。二塁を回った瞬間、友里は決めた。
(還れるっ・・・コーチっ!)
視線を送られた小島コーチも同じ考えだろう。ひたすら腕をぐるぐる回している。友里はそのまま三塁を蹴った。
「大輔っ!お前も三塁に来いっ!!」
小島コーチの声が聞こえた大輔も、躊躇なく二塁を蹴った。ボールはちょうどレフトからショート鶴見に渡たっていた。
「女の足で、還れるものか!!」
強肩の鶴見は迷わずホームに送球。だが力んだ分、わずかに一塁方向にそれる。逆を突かれたキャッチャーはなんとかタッチに行くが、友里はかいくぐってベースを手でタッチ、滑り込んだ。
審判の手が真一文字に広がり、友里の生還を認めた。守りで魅せた大輔が、3番起用に応える先制のタイムリー三塁打を放ったのだった。
「どうだいキムよ。15勝、現実味あるだろ?」
健一のドヤ顔に、木村はため息をつく。
「へーへー。ま、今日の上位打線が今後も継続すれば、ね。佐藤さんも3番打者と正捕手を兼任できればね。でもま、マジですごいっすよホント」
最後は折れたような木村の背中を、健一は叩きながら言った。
「まあ見てろ。今シーズンの俺たちを。まずは日本シリーズだぜ」
健一はそう言いきった。