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金の繭  作者: 長束真
9/28

9(不満)

 部屋に戻ったわたしは読みかけの文庫本の続きでもと思って手を伸ばしかけ、でもやめた。明かりを点ける代わりに、カーテンを開けた。街灯の光が部屋を薄く照らしていた。

 自堕落にごろごろと寝そべって、台所の換気扇の下でタバコを吸い、寝るまでの時間を潰した。明日からまた同じ一週間。月曜日はマニック・マンデー。きっと来週もその先も、ずっとずっと同じような一週間。予定は未定。でもずっと同じ毎日の繰り返し。すっかりくたびれて、すりきれて、動けなくなるその日が来るまで。

 やがて、予報通りに雨が降り出した。ぽつりぽつりと雨粒が窓を濡らし始めた。

 起き上がって窓の外を見た。街灯に照らされた雨が銀色に光って、次から次へと落ちてくる。路面に出来た小さな水たまりに、雨粒の作る輪が幾つも見えた。

 不意にマエダのことを思った。

 ヤツはまだ殻に閉じ篭ったままなのだろうか。公園にあのままいるのだろうか。

 ちょっと考え、カッターとゴミ袋、タオルと傘を手にし、スニーカーに足を突っ込んで雨の降りしきる夜の街へと出た。なんかマヌケな取り合わせ。途中、コンビニでガムテープを買った。

 マエダは公園にいた。

 街灯の下で、濡れそぼっている金のタマゴ。

 雨は出てきた時よりもずっと酷くなっている。わたしはぬかるんだ地面の上を、注意深く歩いた。

 マエダはわたしに気付いて、驚いたようだった。

 わたしは何も云わず、傘の下でゴミ袋を切り裂き、広げて、ガムテープで止めて、また切り裂いて、広げて、ガムテープで止めて、それを繰り返して、なんとか大きなシートを作った。

 傘は役に立たなかった。むしろ邪魔だった。髪の先から雫がぽたぽたと滴り、服を存分に濡らして身体はすっかり冷えきっていたけれども作業する手を止めたりしなかった。

 ベンチに上って、わたしは出来上がった即席シートをマエダにかけてやった。もう、その頃には傘を放り出して、水滴だらけの眼鏡も取って、濡れるままになっていた。

 適当に作った割に、シートはマエダを雨からすっぽり守ってくれた。

「どう?」

 ベンチから降りて、わたしは尋ねた。

 マエダは何も答えない。

「なに? 不満なの!?」

 わたしは泥だらけのスニーカーでマエダを蹴った。金色の殻に足跡が残った。

「ありがとうございます、先輩」

「最初からそう云えばいいのよ」

 わたしは濡れて頬に額に張り付く髪をかき上げた。「じゃ、帰る」

 傘を拾って、歩き出した。持ってきたタオルもすっかり水を含んで重たかった。絞るとたっぷり雨水が滴った。

「先輩!」

 呼び止められて、振り返る。

「本当に、ありがとうございます!」

 わたしは軽く手を振った。マエダはズレてるし、寝癖だし、前歯が出てるけど、根はやっぱり丁寧だ。

 帰り道、わたしは濡れて冷えて最悪だったけど、顔は笑ったままだった。鼻歌交じりにわざと水たまりを歩いたり、昔観た映画の主人公みたいにして帰宅した。赤い傘と黄色いレインコート姿だったら、きっと最高だったろう。


   ※


 週末、レジャーシートを探しに近所のホームセンターへ行った。花柄やキャラクタものはちょっと華やかすぎて、結局、わたしが買ったのは工事現場にあるようなブルーのものだった。ただ、縁にハトメが打たれていたので、それが便利に使えそうに思えた。業務用は一味違う。

 わたしはマエダにそれをかけてやった。先日、夜中にかけてやったゴミ袋シートは、翌日には風で飛んでいた。同じ轍は二度踏まない。

 今日も良く晴れた休日だった。梅雨だなんて嘘みたいな五月晴れ。公園には家族連れ。子供たちが笑っている。

 わたしはベンチに座ってシートのハトメに紐を通し、それを広げてマエダにかぶせると、殻から突き出る突起に縛った。

「どう?」

 出来上がったところで、わたしは聞いた。

「いいと思いますよ」

「なによ、その曖昧な返事は」

「だってまた風で吹き飛ばされないとも限らないし」

 おお、よく云った。「上等だ」

 わたしはマエダを蹴った。良い感じに足跡がついた。それから笑った。マエダも笑った。金色のタマゴにかぶせられたブルーのシートはマヌケだった。

 遊んでいた子供たちが近づいてきた。

 子供たちにとって金色のタマゴは別段不思議なものでないようだ。突起にぶら下がったり、わたしを真似てか蹴っ飛ばしたりする乱暴者もいた。

 マエダは楽しそうに笑っていた。わたしも笑っていた。それは楽しい休日だった。


   ※


 わたしの頑張りに反して、今年は空梅雨だった。

 梅雨明けを聞いたその日に、わたしはマエダに被せたシートを取ってやった。少しは役立ったかと聞けば、まぁまぁですねとマエダは答えた。わたしが金のタマゴに足跡を増やしたのは云うまでも無い。

 いつしか、帰りがけに公園に寄るのがわたしの日課になっていた。

 マエダは変わらず殻の中で、出てくる様子もなく、けれども別にわたしはそれに不便を感じることも無く、夏を迎えた。

 わたしはストレスの捌け口を見つけたのかもしれない。会社でイヤなことがあれば、マエダに愚痴った。仕事がうまくいったら、マエダに自慢した。喋ることで身軽になるのを感じ、遅刻と残業が減った。ありがとうマエダ式カウンセリング。本の一冊でも書けそうだ。

 仕事は一段落し、時間がゆっくり過ぎるようになっていた。

 休日、わたしは木陰になるベンチに座り、マエダのそばで過ごす。本を読んだり、子供たちの相手をしたり、その親と談笑したり。

 自分にしては良く笑っていた──と思う。

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