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金の繭  作者: 長束真
6/28

6(はっきりしない)

 昨日早退した分、今日は遅くなった。

 梅雨入りは来週くらいになりさそうだと、昼に休憩室のテレビが教えてくれた。

 日がな一日、マエダのことがちらついて集中できなかった。見積りを間違えた、締め切りを忘れてた、部長に小言を貰った──疲れた。次の休みまで明日、明後日とある。今週は土曜出勤だ。足がますます重くなる。

 くたくたな身体を引きずるような帰宅途中、公園の脇を歩いて、やっぱりそこにマエダが街灯の下で、なんだか幸せそうにしているのが見えた。

 無性に腹が立った。一日の疲れが怒りに変わった。

 わたしは公園に入ると、真っ直ぐマエダを目指した。先輩、こんばんは、なんて間抜けな挨拶に、昨日とは別の、くたびれ傷だらけのローファーで返事代わりの蹴りを入れた。けれども、やっぱり力は全部タマゴに吸い取られた。畜生、ほんっとに腹が立つ。

「何がこんばんは、だ」

 ハハハ、とマエダは笑った。「機嫌悪そうですね」

「最低、最悪」

「だからって僕に当たらないでくださいよ」

「アンタに当たらず誰に当たればいいのよ」

「僕はサンドバックですか?」

 だからわたしはマエダを拳で叩いた。何度も叩いた。

「そう、アンタはサンドバック。幾らでも叩いてやる、なんならこの悪趣味な殻にマジックで書いてやる、殴ってくださいって」

 ハハハ、とマエダは笑った。面白いジョークを聞いたとでも云いたげにマエダは笑った。その笑い声を聞いて、わたしは急に何もかもがバカらしくなった。

 すっかり脱力したわたしは、だから昨日と同じようにベンチを軽く払い、座ってタバコを吸うことにした。

 タバコを半分くらい灰にして、わたしは云った。「アンタの退職、受理されたから」

 はい、とマエダは云った。「お手数おかけしました」

 わたしは煙を吐きながらちょっと笑った。マエダはズレてるし、寝癖だし、前歯が出てるけど、根は丁寧だ。

「先輩」

「何よ」

「笑うと、すごく可愛らしく感じますね」

「口説いてるの?」

 わたしはくわえタバコのまま立ち上がると、昨日と同じように表面を両手で撫で廻して、どこかに穴でもないかと探した。「アンタ、どっから見てるの? 呼吸は? 食事は? どうしているのよ」

 やだなぁ。

 マエダは云った。「違う世界のモノに、自分の尺度を当てはめてもダメですよ」

 わたしはふう、と唇の端をひしゃげて、横へと長く煙を吐いた。「アンタ、楽しい?」

 暫くマエダは黙っていた。だからわたしも黙っていた。公園のどこかで、虫がちりちりと鳴いていた。

「悪くないですよ」

「良くもないってこと?」

「そうでもないです」

「はっきりしないヤツだな」

 わたしはタバコの火を消し、携帯灰皿に放り込んだ。「帰る」

「怒りました?」

 立ち去りかけたわたしにマエダが云った。

 振り返ることも無く、黙ってわたしは公園を後にした。


   ※


 その晩、夜中に目が覚めた。暗がりの中で印をつけてやろうと、ふと思った。

 それは直ぐに、あまりにも強烈な意思になった。疑問なんて無かった。そうしなければならないと思った。明かりもつけずに手探りでカッターを探し、その刃を左手首に押し当てて、押し当てて押し当てて押し当てて──さっ、と引いた。

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