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金の繭  作者: 長束真
4/28

4(また明日)

 マエダの話をまとめると。

 金曜の晩にしたたかに酔った。

 酔った頭を冷やそうと公園に寄った。

 おそらく翌朝、目覚めたら気持ちが良かった──そしてそのまま。

 たったそれだけ。ものの一分に満たない時間で話は終わった。

「アンタ、自分の姿、分かってるの?」

 わたしの問いに、分からないですね、とマエダは云った。金色のそれになっても、なぜかマエダがちょっと困ったような、でも微笑んでるのが分かった。

 何も見えないの?

 うーん……そうですね、感じる、って云うところですね、日が昇ったり沈んだり、寒かったり暖かかったりするの分かりますよ。その他にも色々と。

 わたしは、金色のそれを右手の人差し指でつついてみた。柔らかくないけど、硬いと云う感じでもない。少しざらりとした表面。それはちょうど──、

「タマゴかぁ……」

「なんですか?」

 わたしは手のひらで金色のそれを撫でながら云った。「タマゴみたいって思っただけ」

「タマゴですか」

 タマゴだ。

 マエダは殻に篭ったのだ。

 今度は握った指の節でこつこつと叩いてみた。割れそうな感じはしない。立ち上がって両手で表面に触れて、どこかに何か……たとえば穴が開いてたり、出入りできるようなものがないのかと思い、ぐるりと一周しながら撫で廻してコツコツ叩いて、突起を引っ張ってみた。

「先輩、遊ばないでください」

「あ?」

「分かるんですよ、何をされているのかって」

 へぇ……。

 ますますもって不可解。いや、理解を遙かに超えたモノだけに不可解も何もあったものじゃないけど、そう思わずにいられない。

 しかしこれが三日も放置されているとは。

 善良な市民は一人もいないのか、通報した者は一人もいないのか、このまま放置され……だけど、放置プレイはマエダらしい。

 素っ裸にされたマエダが手足を縛られ、局部あらわに羞恥で身悶えしつつ、捨てられた仔犬のような目、上目遣いで哀願をするけれど、てらてらに光る真っ赤なエナメル、ぴちぴちスーツに身を包んだ仮面のボンデージ女王がそれを肴にマティーニをひっかける、そんな姿は容易に想像できる。マエダは苛められキャラだ。そして短小だ。たぶん早漏だ。

「先輩、何か変なこと考えてません?」

「うん? そんなことまで分かるん?」

「やっぱり変なこと考えてるんだ」

「そう、変なこと考えてる」

 わたしは腕を振り上げると、握った拳で思いっきり金色のそれを叩いた。

 拳は跳ね返されもせず、振り落とした腕の力はすうっと金色のそれの内へと吸い込まれた。不思議な感触。こんなもの、知らない。

 ひとつ深呼吸してわたしは云った。

「分かった」

「何がです?」

「アンタは金曜の晩にここで寝込んだ。そして宇宙人にさらわれて数々の世にも恐ろしい生体実験をされた。宇宙人は用済みのアンタを殻に閉じこめて、ここに放置した」

「本の読み過ぎですよ」少し呆れを含んだ声。

「相手は金星人ね」

「どうして?」

「なんとなく」

「弱いですね」

 あー。

 わたしは金色のそれに頭をもたれかけさせた。

「じゃぁ、金色だけに金星人。良かったね、金星人は美人らしいよ」

 そして金星人は身体のラインあらわなぴったりの金色エナメルスーツに身を包んでいる。間違いない。わたしはぺちぺちと力なくマエダを叩いた。

「何も憶えてないですよ」

 ちぇッ。つまらないヤツ。

 一歩差がって、腰に手を宛て、ぐるりと顔を巡らせた。陽はすっかり暮れ落ちて、街灯がわたしたちを照らしていた。団地には、どの家も明かりがついていて、わたしにはその向こうに一家団欒の風景が見えた。息子はグレることもなく、娘は髪を染めることも無く、父親は野球を観ながらビールを引っかける。母親の作った夕食をそれぞれの茶碗と箸で食卓を囲み、一日の出来事をおのおの喋り、笑い合う──いつの時代の話だ。

「マエダァ」

「何ですか」

「アンタどうするの?」

「何をです?」

「家族とか会社とか」

 わたしの問いに、ややあってマエダは答えた。「特に何も」

「何がどれよ」

「僕はタマゴで、でも日は昇るし、夜は来るし、月だって出るし、先輩は遅刻しつつも会社に行くし、何も変わらないですよ」

 その物云いにむっとした。わたしは顔にかかる前髪をかき上げる。ああ、今きっと眉間に皺寄ってんだろうなぁ。深い深い縦皺。

「とにかく出てきなさい、そこから」

「出る? 出るんですか?」

 そう、出てきなさい。それから二、三発、グーで殴る。話はそれから聞こうじゃないか、坊主。

 けれども次に続いたマエダの言葉は、わたしには意外だった。

「必要ないでしょう」

 出るとか出ないとか、そう云うものじゃないんですよ。

 当然のことを話すようにマエダは続けた。

「適切かどうか分からないですけど、たぶんですね、僕は先輩の知っている世界とは全く違う世界に属しているんです。だから同じ尺度で測ることは出来ないんです」

 わたしは春先に買ったばかりの茶色いローファーのつま先でマエダを蹴った。

「理屈はいいから、まず出て来なさい」

 すると、マエダと云うか、金色のタマゴは困惑の雰囲気を全体に滲ませた。わたしは両手を腰に当てて、ため息をついた。

「じゃあ仕事どうするのよ。部長に云われたのよ、わたし。ガキの使いじゃないんだから手ぶらじゃ帰れない」

 草蔭から囁くように虫の声がする。夜の公園って、こんなに静かだったろうか。

 マエダが云った。「じゃあ退職でお願いします」

「分かった」

 鞄を手に取り、わたしは応える。「伝えとくわ」

 たぶん、部長はそれを聞いても何も云わずにマエダの退職を受理するだろう。

「じゃ、帰る」

「先輩」

「何?」

「お疲れさまでした」

 それはすごく普通に聞こえた。まるで、また明日会うことが自明であるかのように聞こえた。日が昇り、日が沈み、夜が来て、月が昇ったり昇らなかったり、また日が昇り──。

 まったく変わらない、ありふれた日常の会話のようだった。

「お疲れ」

 わたしは思わず「またね」と言葉を付け加えそうになって、慌ててその場を去った。落ち着いて考えろ。

 マエダはタマゴの中に篭っている。

 なんであんなデカいものに。

 なんで金色なんだ。

 ありえない。

 おかしい。

 普通でない。

 むしろ異常だ。

 お疲れさま、また明日──。

 また明日?

 また明日、何をどうすると云うのだ。

 マエダは自分でタマゴを作った。

 マエダは自分で金色に塗った。

 マエダは自分で中に入った。

 マエダはトチ狂った。

 公園から出るところで一度、振り返った。街灯の下、金色のタマゴが佇んでいた。

 どうしてだろう。

 わたしの目には、それがとても満足気に映った。

 何も怖れるものもなく、ただそこにいるのが、ただそこに在ることが、幸せで満ち足りて充分でそれ以上に望むモノなど何もなく──。

 マエダはたぶん、家族、会社、地域、社会、見えないけれど、属する世界として確実に自分の四肢をがっちり縛りつけるそれらから解放されている。

 マエダは、殻に篭って自由になった。

 そんなこと、認めるワケにいかない。

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