18(何をしているのだろう)
月が勢い良く流れる雲に遮られては、わたしたちの足下に光と闇を落として行く。道端には草が増えて、田んぼや畑の合間を抜けて、少し文明から離れると、蚊に追いかけられた。
街はどんどん遠くなる。
海はだんだん近くなる。
まだまだ道のりは遠いけれども、一歩一歩と歩くたびに、目的の地は確実に近づいているのだ。
真夜中の道路には、トラックが走り、遠く遠くにサイレンが聞え、バイクの走り去る音が響く。でも、それ以上に虫の声が満ちていた。
──わたしは何をしているのだろう。
ふと、金色のタマゴを押しながら思った。足下は明くるなったり暗くなったり。「ねぇ、マエダ」
「何ですか」
「なんでアンタはタマゴに篭ったの?」
「云いませんでしたっけ? 気付いたらこうなっていたって」
「うん、聞いた。だけど、それは結果であって、これに至る過程ってヤツがあると思うんだけど?」
「先輩」
「ん?」
「先輩の、左手首、それは自分でやっているんですよね?」
不意をつかれた。
バンソウコウの下。赤い印。
衣替えの後もずっと長袖だったし、誰も何も云わなかった。腕を伸ばせばちょっとは見えたかもしれないけど、わたしだけの、小さな小さな秘密だったそれを、マエダは気付いていた。
いや、わたしはどこかで、誰かに気付いて欲しいと思っていた。でも、それを云われるのを望んでいながら望んでいなかった。望んでいなかったけれど、望んでいた。
マエダは云った。「最初に見た時は小さい傷だったから、ちょっと引っかけたのかなって思ってたんです。でも、治ったり増えたりを繰り返しているし」
わたしは、何か云い訳めいたことを考えたが、止めた。「そうだよ、自分で切ってた」
「すごくですね、僕、気になってたんです」
「気持ち悪いでしょ」
いいえ、とマエダは云った。「先輩、怒らないでください──先輩の白くて細い手首に小さく走る赤い傷、とても綺麗だなって思っていたんです」
すごく羨ましかったんです。
わたしはマエダの言葉に混乱した。
「羨ましいって、これが?」
ええ、とても綺麗だなって。
「……変わったヤツだね、アンタって」
拍子抜けしたわたしに、そうですか、とマエダは続けた。「春ごろには傷、なかったでしょう?」
「うん、五月くらいから。クセになった」
「だんだん、酷くなるんじゃないかなって思ってたんです」
あたり。
赤い印がないと、不安になる。
赤い印があると、安心する。
面倒な、わたし。
自分がオカシイのは十二分に分かっていた。分かっていたけど、それでいいと思っていた。そうでなければならないと思っていた。
「先輩は、自分のことを赦せなくて、嫌いなんですね」
それは突然起こった。わたしはめまいのような感覚に一瞬にして覆われた。
放課後。中学校の廊下。水道水。カルキのにおい。十四歳の、わたし。
足が止まる。胸の奥に湿った何かがじわっと膨れるのを感じた。息苦しかった。
制服。セーラー服の裾についた小さな染み。
まるで水の底から引き上げられたかのようにそれはわたしの中に広がった。
十四歳、そして放課後の夕焼けの赤い廊下。
※
その日、給食をこぼした。セーラー服の裾に、小さく。
昼休みに一度拭って、でもまた気になって、放課後、トイレでもう一度つまんで洗った。蛇口をひねると水が陶器の洗面台で飛沫になってはじけた。金気くさい、カルキのにおいが広がった。
染みは消えなかった。




