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金の繭  作者: 長束真
17/28

17(夏の朝)

 夜明けなんて別に見たのは初めてじゃない。徹夜なんて散々経験済みだ。なのにそれは、まるで初めて見た世界のようにわたしの目に映った。

 朝の光が空一面にゆるやかに、そして目一杯広がっていた。深い青と淡い青の合間を朝日の放つ色がしっとりと溶けて、ほんのさっきまで世界を覆っていた夜が音もなく静かにするする滲んで消え行く。

 夏の朝。

 明けない夜はない。

 空を見て、わたしはちょっと笑った。夜は必ず明けるもので、自明。真夜中に不安になることはあっても、夜は必ず明けるものなのだ。

 その時、さっきから何かずっとうるさいと思っていたそれがセミの鳴き声だと気が付いた。なんでこんなに主張していたのに聞き流していたのだろう。何年も何年も土の中にいて、やっと地上へ出られても、わずか一週間しか生きられない、そんな蝉たちの懸命な声。空気を震わし、まるで夜明けを、地上の夜明けを祝うかのようだった。今日も一日、暑くなりそうだ。

 ふと、街路樹の幹に白いセミを見つけた。わたしはマエダを呼んだ。「セミが羽化している」

「どうですか?」

「翅がしわしわ。でもすごく綺麗」

「子供の頃、観察したことありますよ」

 そう? わたしは初めて。

「直ぐに黒くなりますよ、白い身体は柔らかくて狙われ易いから」

「ふうん」

「せっかく土の中から出てきても、そこで死ぬ場合もあるんです」

「わずか一週間の為に何年も土の中にいたのに、必ずしもそれが報われるとは限らないんだ」

「でも、全体で見れば、それは予定されたことなのかもしれませんね」

「じゃないと、絶滅か」

 ええ、とマエダは云った。

 この世界の予定。

 このセミがここで捕食されても予定通りで、そうならなくても予定通りで、でも別の場所で別のセミが捕食されても予定通りで、そうして、この世界はずっと廻っていて、予定通りにこれからもずっと廻って──。

 延々と繰り返される、この世界の輪の、疑いようも無い予定の一端。

 わたしたちは、羽化したてのセミが、わずかな夏に自分の生きた証を残そうと鳴くのを確認して、少し歩いた。ちょうど国道沿いの、駐車スペースをたっぷりと取ったコンビニがあったので、そこで仮眠することにした。

 金色のタマゴを引き連れ、汗くさくてくたびれた女にバイトの店員はかなり訝しげな視線を投げてきたが、相手に余計な口を挟ませないで、責任者か店長がきたら改めてご挨拶しますと告げ、少し気を使って冷えたお茶のペットボトルと、おにぎりを買った。

 駐車場の奥の一角を陣取り、ブルーのシートを一人分の大きさに折り畳み、お尻の下に敷いた。マエダを壁にし、日陰を作って朝食のような夜食のようなものをとった。それからマエダに寄り掛かり、パーカーを肩にかけて寝ることにした。わたしの発する一晩分の汗のにおいが移らなきゃいいけれど、何より今はくたくただ。寝心地の善し悪しだなんて贅沢も云わない。とにかく、少しでも寝ておかないと倒れないとも限らないのだから。

 原始の生活、原始の生活。わたしは自分を云い含めるように呟き、目を閉じた。


   ※


 ふと、店長と名乗る女に揺さぶられて、寝るなら事務所でと、涙が出るほど嬉しい申し出をしていただいた。

 駐車場での睡眠は、がちがちに身体がこわばって、白いセミが出てくる妙な夢に悩まされ。何しろ事務所は冷房が効いている。連れられて入った店内はひやっと冷たかった。壁に掛かっていた時計を見たら、九時ちょっと前だった。

 わたしはすいません、すいません、と何度も頭を下げてお礼を云った。事務所で、優しげな面持ちの丸顔、ちょっと太った店長にマエダのことを少し話た。

 大丈夫かな、と店長は云った。「どんどん気温、上がるみたいだよ。今日は三十二度だって」

 聞いただけで気が遠くなる、夏の夏のまさに真夏日。しかし、だからと云ってあの図体、金のタマゴはどうしようもない。

 わたしたちは外に出て、マエダに訊いた。アンタ、大丈夫?

 マエダは大丈夫ですよと、まるで他人事のようにハハハと笑った。

 ならそうだろう、ずっと野晒しだったし。

 わたしはトイレを借り、蛇口をひねってカルキのくさい水でタオルを濡らした。それで身体を拭いて、汗くさいシャツを脱いで着替えた。こざっぱりした気分になった。最後に印を隠すための、汗でしおれたバンソウコウを貼り替えた。そして、店長の申し出に甘え、事務所の片隅で眠らせてもらった。

 目が覚めたのは、まだ日が落ちるまで時間がある頃だった。自分でも驚くほど良く眠っていた。

 またトイレを借りて顔を洗って外に出て、マエダにもたれ掛かって地図を眺めた。突起がちょうど肘を乗せるのに楽だった。

 ふと、わたしは気が付いた。「アンタ、短くなってない?」

 そうですか、とマエダ。

「気付かなかったの?」

「少しも」

「海に着く頃には全部削れちゃうかも」

 ハハハ、とマエダは笑った。「河原の石と一緒ですね」

 ローリングストーン。ロッケンロールにはほど遠い、呑気なヤツ。どうせ削れるものなら、先にノコギリで切っておけば良かったと、わたしは一人ごちた。鹿のツノみたいに。

「なんです?」

「真ん丸になったら楽だなと思っただけ」

「運動会でやりませんでした?」

 二人で声を揃え、「玉転がし」見事なハモりにちょっと笑った。

 わたしは親切なコンビニ店長にお礼を云って、申し訳ないと思いつつも少量の兵糧を買わせていただき、わたしたちは二日目の夜を歩き出した。

 良く眠れても、やはり一日目の疲れが残っている。わたしたちは休み休み一路、海を目指す。

 話すこともネタがだんだん尽きてきたので、夏の夜に相応しくどこぞで仕入れた怖い話をしたら、喋りながら腕に鳥肌が立った。そんなわたしに、マエダがかなり失礼に笑ったので、蹴っ飛ばして、ごろごろヤツを転がした。

 今夜は風が強かった。

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