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3.記憶

 私は病院の待合室にいる。治療とやらを受けるため、待っているのだ。

 私は自分が誰なのか、知らない。名前も分からない。何もかも、思い出せないのだ。どうして自分がここにいるのか、ここにいる前、何をしていたのかすらも思い出せずにいる。

 私がここに来る前に肌身離さず持っていたという腕時計もあるが、どうして私はこんなものを肌身離さず持っていたのだろうか。もしかしたら私が記憶を失うきっかけになったのかもしれないが、それも思い出せない。

 毎日、知らない人が見舞いに来ていた。話に拠ると、私の親らしい。だが、私はそれすらも思い出せない。一体、私はどうなったのだろう。知りたいのだが、知る術が分からない。

 今は誰も来ていない。私は独りきりだ。いや見舞いに来てくれていた人を知らないのだから、元々私は独りきりなのだろう。

 「こんにちは」

 知らない少女に声をかけられた。もしかしたら私が知らないだけで、相手は私の事を知っているのかもしれない。

 私はそう思い「こんにちは」、と返事を返した。少女は微笑んで話しかけて来た。

 「結構、待ってますね。付き添いの方ですか?」

 「いえ、違います。あの、失礼ですが名前は?」

 「アントワネットです。付き添いで来ているの。よろしく」

 「私は…」

 少女に続いて、私も名前を教え様と思ったが、ここで詰まってしまった。

 名前は知っている。周りの人が、教えてくれていたから。でも、それが本当に私の名前だという実感なんて、まるでない。

 私は間を置いて、『自分の名といわれている名』を名乗った。

 「私は、真弓よ。よろしくね」

私はアントワネットと話をしていた。しばらく経つと呼ばれたので、私は診察室へと移動した。

アントワネットとは二三分話しただけだが、新鮮だった。私は心の底で思っていた。彼女と触れる事に拠って、私の記憶が戻るかもしれないと。



 アントワネットは去って行く真弓を見ていた。真弓には大きな影が掛かっていた。彼女はその影について知りたくて、真弓に話しかけたのだ。

 アントワネットは軽く溜め息を付いて、病院から出た。本当は付き添いでも、何でもない。真弓から発せられている影に惹かれて、やって来ただけに過ぎない。彼女は診察を終えたのか、自室へと戻る真弓を見て呟いた。

 「真弓さんの影は、暴走とかしそうにないわ。なんとかして手に入れないと」

 その後アントワネットは真弓の後をこっそりと付け、真弓が入って行った病室を調べた。そしてしばらく様子を見て真弓の面会人が少ないこと、真弓がいつ部屋の外に出るかを調べて、帰った。偶然を装い、真弓に会う機会を作るために。

 次の日。アントワネットはまた真弓がいる病院を訪れた。

 真弓は病院の売店にいた。アントワネットは軽く真弓の肩を叩き、偶然を装い挨拶をした。

 「真弓さん、こんにちは」

 真弓は振り返って笑った。その笑みは彼女が入院して以来、見せた事のない明るい笑みだった。



 私はこれから独りきりなのだろうか。もう何か月も入院しているのに、何も思い出せない。

 私が考え事をしていると、後ろから声をかけられた。振り返ると、アントワネットだった。

 彼女は私が見てきた人間とは違った空気を発している。暖かいのか冷たいのかは分からないが、中性的な匂いがするのだ。

 私は彼女と話をしたいと思っていたので、場所を自室に移す事にした。そこで私とアントワネットはしばらくの間、取り留めのない会話を交わした。

 私はアントワネットに自分に記憶がない事を話し出した。彼女は無表情で聞いていた。そして彼女は私の話が終ると話し出した。

 「…そう。私は、自分が誰なのか分かっていないの」

 そしてアントワネットは驚く私を見て、話し出した。 

 「言語関係の記憶はあるけども、私がこれまでに培った思い出は全く覚えてないのよ」

 私は少女に、自分と似た何かを感じとっていた。そしてもっと彼女と話をしたい、という気持ちになっていた。

 私と同じ、記憶喪失者。今まで記憶を失った事を嬉しく思ったことはなかった。だが私は一瞬記憶を失ってよかった、と心の底から思った。



 アントワネットは「私も、なのよ。私も、自分が何者なのか分からないの」、と返した。

 真弓はアントワネットの話を聞いて、嬉しくなった。少女も自分と一緒だなんて。だが、記憶が思い出せないのは喜ばしい事ではない。真弓は一瞬でも喜んだ自分を恥じた。そしてそれを隠すかのように話始めた。

 「よかったら、何時でもいいし来てくれないかしら?いつも独りだから、寂しいの」

 アントワネットは微笑みを返した。

 「ええ」

 アントワネット自身も真弓に近付くチャンスが増えて、嬉しかった。だが、勿論だがそれを表情には表さなかった。

 アントワネットはしばらく話をして、出て行った。真弓は彼女の後ろ姿を見送った後、部屋を見回した。そして部屋の隅を見つめた。そして思った。

 気のせいだろうか、隅の壁紙が周りよりも黒っぽくなっている気がするんだけど。

 偶然だろうか、その場所はアントワネットが座っていた場所だった。だが、その一致に真弓が気づくことはなかった。

 その日の夜も、真弓に変化が起きた。寝ていても、寝た気がしないのだ。寝る度に疲れて行く気がする。



 すごく久々に親が来た。私はアントワネットの事を話して聞かせた。親が私に言った言葉は私の考えとはかけ離れていた。

 「真弓、その子と会わない方がいいわ。このままではあなたは記憶を戻さないような気がするの」

 私は苦笑して返した。

 「心配してる意味がわからないわよ。オカアサン」

 少女一人に記憶が影響されるぐらいだったら、とっくに全て思い出してるわよ。ばっかみたい。

 私の言葉に親は少し、悲しそうな表情を見せた。それでも、私は何の感情も湧かない。この親が初めて見せた愕然とした表情。妙に心が痛くなった事は事実だが、記憶を取り戻すきっかけにはならなかった。


 それから一週間経った。親がアントワネットに関わるな、と言って以来、彼女は一回も来ていない。あの子に、何かあったのだろうか?

 私の調子も、少しずつだが確実に弱っていくのが分かる。体調に変化はないのだが、心理的に何もする気が起きないのだ。私は今日で数十回の溜め息を付いた。今までこれほど多くの溜め息を付いた日があっただろうか。

 「こんにちは」

 声が聞こえて、ドアが開いた。入って来たのは、アントワネットだった。私は彼女を見るなり、ホッとした。

 それと同時に、私が少女がぬいぐるみを持っているのに気がついた。それは犬のぬいぐるみだった。とても可愛いぬいぐるみなのに、何故か胸が締め付けられる想いがする。

 「来てくれて有難う」

 それでも私は少女に微笑み掛けた。



 アントワネットは真弓に話しかけた。その声は冷淡だった。

 「私は、やらないといけない事があるの」

 真弓は黙ってアントワネットの話を聞いていた。アントワネットは無表情にのままで、話続けた。

 「この子に命を吹き込まないと、いけないの」

 アントワネットの話を聞いているうちに、真弓の体は震えてきた。寒さのためではない。真弓はこの無垢な少女に、脅えを感じているのだ。

 それでも真弓はそれを悟らせない口調で問いかけた。

 「それで。私と何か関係があるのかしら?」

 アントワネットは即答した。

 「ええ、あるわ。あなたの影を頂戴。この子に命を吹き込むために」

 真弓は何も出来なかった。言われている意味が分からなかったからだ。アントワネットは話す事なく、真弓に両手を差し出した。

 その時だった。真弓の瞳はどんどん閉じられていき、彼女はベッドに座ったまま動かなくなった。そして最後の力を振り絞って言った。

 「そんな…私……ない」

 だが、真弓の言葉はアントワネットには届かず、真弓の体からは黒い影が出て行った。そしてその影はアントワネットの持つ犬のぬいぐるみに吸い込まれるように移動していった。

 アントワネットの手の中、犬のぬいぐるみには命が無事に吹き込まれたらしく、犬の目が瞬き始めた。

 アントワネットはパピヨンを見て微笑み、真弓の病室から去った。真弓の病室には影を取られ、記憶だけではなく、意識も取られ植物状態となった真弓だけが残された。



 別の世界で真弓の姿を見守る少女と青年の二人組がいた。

 この二人は真弓が気を失う理由を知っている。二人組は真弓の願いを叶える代わりに記憶を取ったのだから、彼女の記憶喪失の原因ともいえる。

 それ以来、二人は記憶喪失となった真弓の事を気にかけていて、時々真弓の様子を見ていたのだ。

 真弓が意識を失い茫然としている様子を見て、少女が言った。

 「あの子。記憶だけじゃなく、意識までも取られたのね」

 少女の言葉に青年が尋ねた。

 「前に渡した腕時計はどうなったんですか?まだ真弓さんの病室にありましたよ」

 「あれ?とっくの昔に壊れたわよ。自らの身を危険に晒した時点で、ね」

 青年の質問に答えた少女は、茫然とベッドに座っている真弓を見て言った。

 「本当ならば彼女は命も取られるはずだったの。私達との契約で命の安全は得たから、意識を失うだけで済んだのよ」

 少女の視線は真弓から、外でパピヨンと遊んでいるアントワネットの姿に移動した。少女はアントワネットから目を離さずに言った。

 「この子とは関わり合いたくないわね。嫌な予感がする」

 アントワネットは少女の視線に気付く事なく、パピヨンを見て微笑んでいた。その笑みには若干だが邪な感情が含まれていた。だが、彼女の感情に気付く者はいなかった。


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