2.命名
少女はアライグマを肩に乗せ、まるでそこに道がある事を確かめるための様に、うつ向き加減で道を歩いていた。
「どこにあるの?」
無表情のまま首を傾げる。
どうやら少女は、何かを探しているらしく、メモを片手に持っていた。
少女が目覚めて一週間が経っていた。少女とアライグマは未だに名前が決まらなかった。それを見兼ねたのか、マリーがある店を教えてくれたのだ。
彼女は「ここは本が多いから、名前探しにはピッタリかもね」、と言っていた。
少女は立ち止まった。目的地は一向に見つからない。本当なら少女はマリーに連れて行ってもらいたかった。だが、彼女は『ようじ』があるらしい。
彼女は「人間なんて、面倒よね」、と笑っていた。が、少女はマリーの言っていた『ようじ』が何なのか、分からなかった。
二時間程歩きまくって、少女は根をあげた。少女はそばにあったベンチに腰を下ろす。歩き慣れたとはいえ、しばらく歩けそうにもない。少女は空を見上げて、空に話しかけるように呟いた。
「どこにあるの。『としょかん』っていうのは」
アライグマが少女の肩から飛び降り、チョロチョロと少女の周りを走り出した。少女は元気良く走り回るアライグマを見て独り言を言った。
「この子。げんきね…」
そして少女はマリーが書いてくれた『図書館』への地図を、眺めた。
「この近くのはず、なんだけど」
少女は立ち上がって辺りを見回したが、それらしい建物は見つからなかった。少女は溜め息を付いた。
そして諦めて帰ろうとした時だった。少女は声をかけられた。
「神を、信じていられますか?」
少女は信じる以前に『かみ』を知らなかったので、何も答えられなかった。
「神は、常に私達を見ています」
「かみって、なにものなの?」
少女は、聞いてみた。
「私達人間を創り、全ての事を知る。それが神なのです」
少女は分からなかったので、代わりに図書館までの道程を尋ねようとした。
「私、図書館に行きたいの。どこにあるの?」
だが話しかけて来た人は、少女の質問には答えず話続けた。
「神を信じていれば、救われます」
少女は黙って聞いていたが、アライグマがスカートの端を引っ張るので、アライグマを抱き上げ、そしてその人から離れた。
自称・宗教者は足早に去ろうとする少女を止めようとし「あなたには黒い影が付きまとっています」、と言った。だが足早に歩く少女の耳には届かなかった。
自称・宗教者から離れた少女は、とうとう図書館に辿り着く事が出来た。少女は看板を見て、目的地かどうか確かめた。
「やっと、着いた」
そして少女は中に入った。中は本でうめつくされていた。少女は適当に本を選び、開いてみた。
最初に目に飛び込んできた名前は『カルメン』だった。少女は小さな声で「カルメン」、と言ってみた。
しっくりこない、と少女は思った。もう少し長い名前はないのだろうか、と少女は本を漁った。
『アリス』は短すぎるかな。『スカーレル』は長いけど、何か違うかも。少女は、次から次へと名前を探して疲れたので、一休みする事にした。
そこで少女はアライグマがいない事に気付いた。
「あれ。いつの間に」
少女は本を立ち上がり、次はアライグマを探し始めた。図書館中くまなく探したのだが、アライグマはなかなか見つからなかった。少女はふと思った。
「そうだ。あの子にも、名前がいるのかしら」
少女はアライグマを探すのを忘れ、また本を漁り始めた。少女は一心不乱にアライグマの出てくる、はたまた動物が出てくる本を読み始める。
「あの子。オス、メス。どっち?アライグマ、アライグマ、と」
少女はアライグマが出てくる本を、一心不乱に探し始めた。少女は自分の名前を探している時に、アライグマが出てくる本を読んだ気がしたのだ。だが探し物というものは、探している時に見つかりにくい。少女はアライグマが出てくる本の代わりに、アライグマを見つけてしまった。
「いた」
アライグマは小さな男の子に懐いていた。彼の足下をぐるぐると回っている。少女はその和やかな風景に魅入ってしまった。
しばらくした時だった。小さな男の子に懐いていたアライグマが、急に男の子に噛み付いたのだ。噛み付かれた男の子は、必死になって振りほどこうとする。彼の側には誰もいないからか、気付いたのは少女のみだった。
「なんとかしなくちゃ」
少女は慌てて、男の子の元に駆け寄った。
アライグマは少女が男の子に駆け寄ると、またどこかにいなくなってしまった。
「だいじょうぶ?」
少女が男の子に声を掛けると、男の子は安心したのか大声で泣き出した。
しばらくして、アライグマは少女に襲いかかってきた。少女は驚いて、アライグマに向かって手を差し出した。
その時だった。アライグマから影が出て、少女の手の平に収まった。それと同時にアライグマは床に落ち、動かなくなった。男の子は一部始終を見ていたが、影は見えなかったようだ。アライグマから遠ざかり、近寄ろうともしない。少女はアライグマを広い上げ、自分の名前を探す事を諦めて帰った。
少女を出迎えたのはマリーだった。少女を見るなり「いい名前あった?」、と尋ねてくる。少女は首を振り、動かなくなったアライグマを見せた。
マリーは、アライグマを受け取ってからそっと触れた。
「ぬいぐるみに戻ってるわね」
少女は図書館で起きた出来事をマリーに話した。マリーは黙って聞き、少女の話が終わると話し始めた。
「そうなの。急に?どうしてかしらね」
少女は泣きそうな顔をしていた。いや、実際に泣いていた。
少女の涙粒は徐々に大きくなり、最後に彼女は号泣してしまった。少女は泣きじゃくりながら、マリーに尋ねた。
「この水は、何?どうして、目から出て、止まら、ないの?」
マリーは少女にハンカチを渡して答えた。その言葉は優しかった。
「それは涙、よ。あなたは悲しいから、泣いているの。泣きたいだけ、泣いていいのよ」
そして少女が泣きやむと、マリーは喫茶店に連れて行った。そしてパフェを頼む。
「疲れた時には、甘い物が一番よ。にしても、あなたの名前決まらなかったわね」
少女は顔を上げ、パフェを持ってきたウェイトレスに尋ねた。
「このお店の名前は何ですか?」
ウェイトレスは怪訝な顔をしたが「アントワネットです」、と答えた。
「アントワネット」
少女は小さな声で何度か繰り返して言った。
「私の名前、アントワネットにする」
「アントワネット…。良い名前ね。改めてこれからもよろしくね。アントワネット」 マリーは、少女、アントワネットの手を取り微笑んだ。
彼女らの隣ではある会話がなされていた。だがその声は小さく、二人の耳には入らなかった。
「やはり、人形にしろ、ぬいぐるみにしろ元の影の人格が現れるのでしょうか」
「確かに。少年を、少女を襲ったアライグマの元となった影は、そういう人格の持ち主でしたからね」
「今後も調査が必要ですね」




