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振られて学食の席取りをやめた翌日、話したことのない女子が隣を空けていた

作者: 田島久護
掲載日:2026/09/17

 昼休みのチャイムが鳴ると、俺は反射的に立ち上がった。


そのまま教室を出ようとして、すぐに立ち止まる。


そうだった。


もう急がなくていいんだ。


そう思い出し席に座り直す。


 昨日までなら、四時間目が終わるとすぐ学食へ向かっていた。


昼休みの学食は混む。


少し遅れるだけで、二人並んで座れる場所はほとんど残らない。


だから俺は毎日、クラスメイトである小松由奈より先に行って席を取っていた。


そうすれば彼女と話す時間ができる。


少しでも仲良くなれる。


そう思っていた。


が、昨日その必要がなくなったのだ。


「ごめん。好きな人がいるから」

「そっか」


 放課後、二人きりになった瞬間、由奈に話したいことがあると告げた後で告白し、振られた。


心臓が飛び出しそうになったが、好きな人がいるという言葉を聞いて、心臓は胃の近くまで落ちた気になる。


「あと、昼の席も、もう取ってもらわなくて大丈夫」

「ああ」


 由奈は言いにくそうにしていたけれど、当然の話だと思った。


俺が勝手に始めたことだ。


付き合ってもいない男が、振られたあとまで毎日席を取っていたら、彼女だって困る。


だから今日から必要が無くなった。


それだけだった。


 いつもなら、とっくに学食へ向かっている時間だが、何となく気まずくて別にすることを探す。


机の中を整理する。


水筒の残りを飲む。


その間に周りの生徒が、次々と教室を出ていく。


急ぐ必要がないというだけで、昼休みは思っていたより長く感じた。


少ししてから、俺も教室を出る。


学食に着いた頃には、ほとんどの席が埋まっていた。


「そりゃそうか」


 今まで、この時間に来たことがほとんどない。


二人分どころか、一人で座れそうな場所もなかった。


トレーを持ったまま何列か歩く。


空きそうな席もない。


皆が楽しそうに会話しながら食べている中に、彼女の姿を見つける。


こちらを見られないよう、目が合わないようすぐに目をそらした。


教室へ戻るか。


そう思って振り返ろうとしたときだった。


「ここ、空いてるよ」


 声の方を見る。


女子生徒がこちらを見ていた。


顔には見覚えがある。


たぶん同じ学年だ。


けれど、話した記憶はない。


女子は自分の隣の椅子を軽く引いた。


「いいの?」

「うん。誰も来ないから」


「じゃあ、ありがたく座らせてもらうよ。ありがとう」


 俺は女子に勧められるまま、その椅子に座った。


向かいにも二人座っている。


知らない女子と二人きり、というわけでもない。


女子も俺を座らせると、何事もなかったように昼食を続けた。


俺も食べ始める。


しばらく会話はなかった。


気まずいというほどでもない。


何しろ気まずい相手はほかにいる。


そもそも話したことのない相手なのだから、当然だろう。


とはいえ席を譲ってもらった手前、何か話すべきだと思い、話題を探す。


半分ほど食べたところで、女子がこちらを見た。


「今日は遅いんだね」


 意外な言葉に驚き箸が止まり、視線を向ける。


「え?」

「いつも、もっと早いでしょ」


 俺は女子の顔を見た。


見覚えがあるくらいで、それ以上の覚えがない。


俺が女子にモテるとは思えない。


なら席を取る時、彼女に失礼なことをしたんじゃないだろうか。


そう思い嫌な汗をかき始める。


「お、俺のこと知ってるの?」

「顔くらいは」


「話したことあったっけ」

「ないと思う」


 女子は普通に答えた。


話したこともない顔を知ってるだけの相手に、席をわざわざ譲るはずがない。


これはいよいよ不味いな。


ひょっとして俺に話があるんじゃないかと考え、率直に聞くことにする。


「な、何か前に失礼なことをしたかな」

「そんなことないよ。ただ、あなたはよくここに早くからいるから」


「そ、そうなんだ」


 昨日まで毎日毎日早く来て席を取り、クラスメイトの女の子を待ち続ける男。


傍から見ればさぞや目立つ存在に違いない。


それがこんな時間に来たのだから、驚かれるのも無理はないだろう。


恐らく哀れに思って席を譲ってくれたに違いない。


「水野」


 改めて感謝を告げようとした瞬間、突然女子が言った。


「え?」

「名前。水野千紘。二組」


「ああ。俺は――」

「桐谷くんでしょ」


 答えようとした俺を遮り、彼女はそういった。


驚いて目を丸くする俺を見て、水野は少しだけ笑った。


「それくらいは知ってる」

「俺、有名だった?」


「全然」

「だよな」


 即答された。


噂されてないと思い、少し安心した。


「桐谷直人。三組」

「うん」


 知っていると言われたあとで名乗るのも変な気がしたが、一応言っておく。


その後は、ほとんど話さなかった。


食べ終わり、水野より先に席を立つ。


「席、ありがとう」

「うん」


「じゃあ」

「またね」


 俺は食器を返して学食を出た。


廊下を歩きながら、さっきの会話を思い返す。


水野千紘。


二組。


今日初めて話した女子。


俺が普段もっと早く学食へ来ていることを知っていて、席をなぜか譲ってくれた。


毎日同じ場所に早く来て陣取れば、知っていてもおかしくはない。


物珍しくて話してみたかっただけだろう。


そう思って、その日はそれ以上考えなかった。


 次の日。


昼休みになっても、俺は急がなかった。


とはいえ昨日のように完全に出遅れると、あの子に気を使わせてしまうかもしれない。


そう考えて少しだけ早く学食へ向かった。


昨日よりは空いている。


空席を探していると水野がいた。


昨日と同じ辺りだ。


隣の椅子には鞄が置かれている。


今日は誰か来るのだろう。


俺はそのまま別の席を探そうとした。


そのとき、水野と目が合った。


水野は隣の椅子から鞄を持ち上げ、自分の足元へ置いた。


空いた椅子を見る。


それから俺を見た。


俺は少し迷った。


昨日一緒に食べたから、今日もどうぞというお誘いだろうか。


「……いいの?」

「うん」


 昨日と同じ答えだった。


俺は隣に座る。


「今日も混んできたね」

「この時間はね」


「昨日よりマシだけど」

「桐谷くん、今日は昨日より早いし」


 水野は俺の来る時間をよく覚えているらしい。


自分が名物みたいになってたら嫌だなぁと思いつつ、彼女に探りを入れてみることにする。


「水野、俺がいつ来るかよく覚えてるな」

「そう?」


「昨日も言ってたじゃん」

「そうだった?」


 どうやら本人は大したことだと思っていないらしい。


反応を見るにつけ、名物になっていたようではないと感じ、それ以上は聞かなかった。


途中、午後の授業について少し話した。


水野は数学が嫌いで、俺は体育の方が面倒だと言った。


深く話したわけではないが、女子とうまく会話のキャッチボールが出来た気がする。


男子とはそう苦労しないのになと思いつつ、食べ終えたので立ち上がる。


「じゃあ、また」

「うん。またね」


 学食を出る前に、一度だけ振り返った。


水野の隣の椅子には、もう一度鞄が置かれていた。


俺が来る前から、あそこに置いてあった。


そして俺と目が合った途端にどけた。


俺のために空けていたのか、と一瞬思ったが、再び置かれた鞄を見て否定する。


昨日一度一緒に食べただけだ。


知り合いを見つけたから、席を譲ってくれた。


たぶん、それだけだ。


 三日目。


今日はさらに早く学食へ来た。


特に理由はない。


教室に残っていてもやることがなかっただけだ。


まだ空席はかなりある。


好きな場所を選べる程度には空いていた。


俺は端の方の席に一人で座った。


毎日水野に気を遣わせるのも申し訳ない。


別の知り合いが座りたくて、俺がいて座れなかった可能性もあるからだ。


 食べ始めて少しした頃、水野が学食へ入ってきた。


なんとなく目に入った。


水野もすぐ俺に気づいた。


周りには席がある。


いつもの辺りも空いている。


それなのに、水野はまっすぐこちらへ歩いてきた。


「ここ、いい?」

「ああ」


 俺の向かいに座る。


「今日は俺の方が早かったな」

「ほんとだ」


「空いてる時間もあるんだな」

「だから私、普段はこのくらいに来るよ」


「そうなの?」

「うん」


 俺は少し考えてから聞いた。


「水野って、人のことよく覚えてるよな」

「人のこと?」


「俺がいつ学食に来るとか」

「ああ」


 水野は味噌汁を一口飲んだ。


「人見るの、結構好きだから」

「趣味?」


「そんな大げさなものじゃないよ。暇なときにぼーっと見てるだけ」

「それで覚えてるのか」


「覚えてない人の方が多いけどね」

「じゃあ俺は覚えやすかった?」


 水野は少し考える。


「たぶん」

「なんで?」


「それは秘密」

「なんだそれ」


 水野が笑った。


俺もつられて少し笑った。


それ以上は聞かなかった。


昨日までより、話している時間が長かった。


けれど何を話したかと聞かれたら、他愛のない話だ。


教師の話とか、売り切れていたメニューとか、その程度だったと思う。


食事を終えると、水野が立ち上がった。


「じゃ、またね」

「ああ」


 水野が去ってから、俺は周囲を見る。


空席はまだ残っている。


水野は今日、隣の席を俺に譲ったわけではない。


席がなかったから一緒に食べたわけでもない。


俺が座っていたところへ、自分から来た。


その事実だけが、少しだけ頭に残った。


 四日目。


昼休みに学食へ行くと、いつも使っていた辺りは全部埋まっていた。


呆然と立ち尽くしていると、


「今日はすごいね」


 隣に来た水野が言う。


「何かあったっけ」

「限定メニューじゃない?」


「ああ、それか」


 二人で空席を探す。


少し離れたところに、一人分だけ空いている席があった。


「あそこ空いてるよ」


 水野が言う。


「一人分だろ」

「うん」


 俺はそのまま通り過ぎた。


しばらく歩いて、二人並んで座れる場所を見つける。


「ここでいい?」

「うん」


 二人で座る。


料理を食べ始めてから、俺はさっきの席のことを少し思い出した。


一人ならすぐ座れた。


以前の俺なら、たぶん迷わなかっただろう。


水野がどうするかなんて考えず、自分だけ座っていたと思う。


別に、水野のために席を探したつもりではない。


ただ一緒に来たのだから、二人で座るものだと思った。


「午後、体育だっけ」


 水野が聞く。


「俺のクラスはな」

「いいな」


「よくない。今日走るぞ」

「私、数学」


「そっちの方がいい」

「代わる?」


「嫌だ」

「じゃあ文句言わない」


「それは別だろ」


 そんな話をしながら食べる。


途中で会話が切れても、別に気まずくない。


水野は普通に食べ、俺も普通に食べる。


それでよかった。


食器を返しに行く途中、水野が言った。


「明日も混んでるかな」

「どうだろ」


 答えてから、少し遅れて気づいた。


明日も一緒に食べることを、水野は当たり前のように話している。


そして俺も、何も変だと思わず返事をした。


教室へ戻る途中、水野とは階段で別れた。


一人になってから、昼に見つけた一人分の空席を思い出す。


あそこに座れば、もっと早く食べ始められた。


それでも俺は座らなかった。


なぜかは、考えなかった。


 五日目。


四時間目が終わる少し前、学食が臨時休業だという話が教室に回ってきた。


厨房設備の点検らしい。


「マジか」


 弁当を持ってきていない生徒たちが騒ぎ始める。


俺も何か買いに行くしかない。


今日は水野とは別々だろう。


四日間続いただけなのに、そんなことを考えた。


昼休みになる。


財布を持って教室を出ようとしたところで、廊下から名前を呼ばれた。


「桐谷くん」


 水野だった。


「どうした?」

「今日、学食ないじゃん」


「らしいな」

「駅前のパン屋行かない?」


 一瞬だけ意味を考えたが頭を振る。


それよりも距離が問題だ。


行って帰ってくる頃には、予鈴が鳴るかならないかくらいある。


「今から行くのか?」

「昼休みなら間に合うよ」


 どうやら彼女は行きたいらしい。


なら行ってみようか、という気になった。


「じゃあ行こう」


 二人で階段を駆け足で下りる。


体育が苦手だという割に、水野は遅れず息も切れずについてくる。


校門を出て、そのまま駅前へ向かう。


水野は店までの近道を知っていた。


「よく行くの?」

「たまに」


「一人で?」

「友達とも行くよ」


「じゃあ今日も友達誘えばよかったじゃん」

「誘ったよ」


「俺を?」

「うん」


 あっさり返された。


それ以上、何も言えなかった。


パン屋でそれぞれ好きなものを買い、近くの小さな公園のベンチへ座る。


学食より静かだった。


しばらく食べてから、俺は前から少し気になっていたことを聞いた。


「水野」

「ん?」


「最初の日、なんで席空けてくれたの?」

「最初の日?」


「俺が遅れて行った日」

「ああ」


 水野は少し考える。


「前から知ってたから」

「俺を?」


「桐谷くんっていうより、席取ってる人として」

「何それ」


「毎日すごい早く来て、二人分取ってたでしょ」

「見てたのか」


「だから、人見るの好きって言ったじゃん」


 水野はパンの袋を畳む。


「その日は来るの遅かったし、一人で立ってたから」

「それで?」


「隣空いてたし」

「それだけ?」


「最初はね」


 最初は。


その言葉が少し引っかかった。


けれど、水野はその続きを言わなかった。


俺も聞かなかった。


食べ終えて学校へ戻る途中、水野が言った。


「この店、また来る?」

「学食、来週から開くんじゃなかった?」


「そうじゃなくて」


 水野がこちらを見る。


少しだけ笑っていた。


俺も意味が分かった。


「じゃあ、来週また来ようか」

「うん」


 それだけ決めて、二人で学校へ戻った。


来週から学食はまた開く。


昼休みになれば、空いている席を探せばいい。


早く行けば、一人分くらい簡単に見つかるだろう。


それでも来週のどこか一日は、あの席には座らない。


そのことだけは、もう決まっていた。


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