振られて学食の席取りをやめた翌日、話したことのない女子が隣を空けていた
昼休みのチャイムが鳴ると、俺は反射的に立ち上がった。
そのまま教室を出ようとして、すぐに立ち止まる。
そうだった。
もう急がなくていいんだ。
そう思い出し席に座り直す。
昨日までなら、四時間目が終わるとすぐ学食へ向かっていた。
昼休みの学食は混む。
少し遅れるだけで、二人並んで座れる場所はほとんど残らない。
だから俺は毎日、クラスメイトである小松由奈より先に行って席を取っていた。
そうすれば彼女と話す時間ができる。
少しでも仲良くなれる。
そう思っていた。
が、昨日その必要がなくなったのだ。
「ごめん。好きな人がいるから」
「そっか」
放課後、二人きりになった瞬間、由奈に話したいことがあると告げた後で告白し、振られた。
心臓が飛び出しそうになったが、好きな人がいるという言葉を聞いて、心臓は胃の近くまで落ちた気になる。
「あと、昼の席も、もう取ってもらわなくて大丈夫」
「ああ」
由奈は言いにくそうにしていたけれど、当然の話だと思った。
俺が勝手に始めたことだ。
付き合ってもいない男が、振られたあとまで毎日席を取っていたら、彼女だって困る。
だから今日から必要が無くなった。
それだけだった。
いつもなら、とっくに学食へ向かっている時間だが、何となく気まずくて別にすることを探す。
机の中を整理する。
水筒の残りを飲む。
その間に周りの生徒が、次々と教室を出ていく。
急ぐ必要がないというだけで、昼休みは思っていたより長く感じた。
少ししてから、俺も教室を出る。
学食に着いた頃には、ほとんどの席が埋まっていた。
「そりゃそうか」
今まで、この時間に来たことがほとんどない。
二人分どころか、一人で座れそうな場所もなかった。
トレーを持ったまま何列か歩く。
空きそうな席もない。
皆が楽しそうに会話しながら食べている中に、彼女の姿を見つける。
こちらを見られないよう、目が合わないようすぐに目をそらした。
教室へ戻るか。
そう思って振り返ろうとしたときだった。
「ここ、空いてるよ」
声の方を見る。
女子生徒がこちらを見ていた。
顔には見覚えがある。
たぶん同じ学年だ。
けれど、話した記憶はない。
女子は自分の隣の椅子を軽く引いた。
「いいの?」
「うん。誰も来ないから」
「じゃあ、ありがたく座らせてもらうよ。ありがとう」
俺は女子に勧められるまま、その椅子に座った。
向かいにも二人座っている。
知らない女子と二人きり、というわけでもない。
女子も俺を座らせると、何事もなかったように昼食を続けた。
俺も食べ始める。
しばらく会話はなかった。
気まずいというほどでもない。
何しろ気まずい相手はほかにいる。
そもそも話したことのない相手なのだから、当然だろう。
とはいえ席を譲ってもらった手前、何か話すべきだと思い、話題を探す。
半分ほど食べたところで、女子がこちらを見た。
「今日は遅いんだね」
意外な言葉に驚き箸が止まり、視線を向ける。
「え?」
「いつも、もっと早いでしょ」
俺は女子の顔を見た。
見覚えがあるくらいで、それ以上の覚えがない。
俺が女子にモテるとは思えない。
なら席を取る時、彼女に失礼なことをしたんじゃないだろうか。
そう思い嫌な汗をかき始める。
「お、俺のこと知ってるの?」
「顔くらいは」
「話したことあったっけ」
「ないと思う」
女子は普通に答えた。
話したこともない顔を知ってるだけの相手に、席をわざわざ譲るはずがない。
これはいよいよ不味いな。
ひょっとして俺に話があるんじゃないかと考え、率直に聞くことにする。
「な、何か前に失礼なことをしたかな」
「そんなことないよ。ただ、あなたはよくここに早くからいるから」
「そ、そうなんだ」
昨日まで毎日毎日早く来て席を取り、クラスメイトの女の子を待ち続ける男。
傍から見ればさぞや目立つ存在に違いない。
それがこんな時間に来たのだから、驚かれるのも無理はないだろう。
恐らく哀れに思って席を譲ってくれたに違いない。
「水野」
改めて感謝を告げようとした瞬間、突然女子が言った。
「え?」
「名前。水野千紘。二組」
「ああ。俺は――」
「桐谷くんでしょ」
答えようとした俺を遮り、彼女はそういった。
驚いて目を丸くする俺を見て、水野は少しだけ笑った。
「それくらいは知ってる」
「俺、有名だった?」
「全然」
「だよな」
即答された。
噂されてないと思い、少し安心した。
「桐谷直人。三組」
「うん」
知っていると言われたあとで名乗るのも変な気がしたが、一応言っておく。
その後は、ほとんど話さなかった。
食べ終わり、水野より先に席を立つ。
「席、ありがとう」
「うん」
「じゃあ」
「またね」
俺は食器を返して学食を出た。
廊下を歩きながら、さっきの会話を思い返す。
水野千紘。
二組。
今日初めて話した女子。
俺が普段もっと早く学食へ来ていることを知っていて、席をなぜか譲ってくれた。
毎日同じ場所に早く来て陣取れば、知っていてもおかしくはない。
物珍しくて話してみたかっただけだろう。
そう思って、その日はそれ以上考えなかった。
次の日。
昼休みになっても、俺は急がなかった。
とはいえ昨日のように完全に出遅れると、あの子に気を使わせてしまうかもしれない。
そう考えて少しだけ早く学食へ向かった。
昨日よりは空いている。
空席を探していると水野がいた。
昨日と同じ辺りだ。
隣の椅子には鞄が置かれている。
今日は誰か来るのだろう。
俺はそのまま別の席を探そうとした。
そのとき、水野と目が合った。
水野は隣の椅子から鞄を持ち上げ、自分の足元へ置いた。
空いた椅子を見る。
それから俺を見た。
俺は少し迷った。
昨日一緒に食べたから、今日もどうぞというお誘いだろうか。
「……いいの?」
「うん」
昨日と同じ答えだった。
俺は隣に座る。
「今日も混んできたね」
「この時間はね」
「昨日よりマシだけど」
「桐谷くん、今日は昨日より早いし」
水野は俺の来る時間をよく覚えているらしい。
自分が名物みたいになってたら嫌だなぁと思いつつ、彼女に探りを入れてみることにする。
「水野、俺がいつ来るかよく覚えてるな」
「そう?」
「昨日も言ってたじゃん」
「そうだった?」
どうやら本人は大したことだと思っていないらしい。
反応を見るにつけ、名物になっていたようではないと感じ、それ以上は聞かなかった。
途中、午後の授業について少し話した。
水野は数学が嫌いで、俺は体育の方が面倒だと言った。
深く話したわけではないが、女子とうまく会話のキャッチボールが出来た気がする。
男子とはそう苦労しないのになと思いつつ、食べ終えたので立ち上がる。
「じゃあ、また」
「うん。またね」
学食を出る前に、一度だけ振り返った。
水野の隣の椅子には、もう一度鞄が置かれていた。
俺が来る前から、あそこに置いてあった。
そして俺と目が合った途端にどけた。
俺のために空けていたのか、と一瞬思ったが、再び置かれた鞄を見て否定する。
昨日一度一緒に食べただけだ。
知り合いを見つけたから、席を譲ってくれた。
たぶん、それだけだ。
三日目。
今日はさらに早く学食へ来た。
特に理由はない。
教室に残っていてもやることがなかっただけだ。
まだ空席はかなりある。
好きな場所を選べる程度には空いていた。
俺は端の方の席に一人で座った。
毎日水野に気を遣わせるのも申し訳ない。
別の知り合いが座りたくて、俺がいて座れなかった可能性もあるからだ。
食べ始めて少しした頃、水野が学食へ入ってきた。
なんとなく目に入った。
水野もすぐ俺に気づいた。
周りには席がある。
いつもの辺りも空いている。
それなのに、水野はまっすぐこちらへ歩いてきた。
「ここ、いい?」
「ああ」
俺の向かいに座る。
「今日は俺の方が早かったな」
「ほんとだ」
「空いてる時間もあるんだな」
「だから私、普段はこのくらいに来るよ」
「そうなの?」
「うん」
俺は少し考えてから聞いた。
「水野って、人のことよく覚えてるよな」
「人のこと?」
「俺がいつ学食に来るとか」
「ああ」
水野は味噌汁を一口飲んだ。
「人見るの、結構好きだから」
「趣味?」
「そんな大げさなものじゃないよ。暇なときにぼーっと見てるだけ」
「それで覚えてるのか」
「覚えてない人の方が多いけどね」
「じゃあ俺は覚えやすかった?」
水野は少し考える。
「たぶん」
「なんで?」
「それは秘密」
「なんだそれ」
水野が笑った。
俺もつられて少し笑った。
それ以上は聞かなかった。
昨日までより、話している時間が長かった。
けれど何を話したかと聞かれたら、他愛のない話だ。
教師の話とか、売り切れていたメニューとか、その程度だったと思う。
食事を終えると、水野が立ち上がった。
「じゃ、またね」
「ああ」
水野が去ってから、俺は周囲を見る。
空席はまだ残っている。
水野は今日、隣の席を俺に譲ったわけではない。
席がなかったから一緒に食べたわけでもない。
俺が座っていたところへ、自分から来た。
その事実だけが、少しだけ頭に残った。
四日目。
昼休みに学食へ行くと、いつも使っていた辺りは全部埋まっていた。
呆然と立ち尽くしていると、
「今日はすごいね」
隣に来た水野が言う。
「何かあったっけ」
「限定メニューじゃない?」
「ああ、それか」
二人で空席を探す。
少し離れたところに、一人分だけ空いている席があった。
「あそこ空いてるよ」
水野が言う。
「一人分だろ」
「うん」
俺はそのまま通り過ぎた。
しばらく歩いて、二人並んで座れる場所を見つける。
「ここでいい?」
「うん」
二人で座る。
料理を食べ始めてから、俺はさっきの席のことを少し思い出した。
一人ならすぐ座れた。
以前の俺なら、たぶん迷わなかっただろう。
水野がどうするかなんて考えず、自分だけ座っていたと思う。
別に、水野のために席を探したつもりではない。
ただ一緒に来たのだから、二人で座るものだと思った。
「午後、体育だっけ」
水野が聞く。
「俺のクラスはな」
「いいな」
「よくない。今日走るぞ」
「私、数学」
「そっちの方がいい」
「代わる?」
「嫌だ」
「じゃあ文句言わない」
「それは別だろ」
そんな話をしながら食べる。
途中で会話が切れても、別に気まずくない。
水野は普通に食べ、俺も普通に食べる。
それでよかった。
食器を返しに行く途中、水野が言った。
「明日も混んでるかな」
「どうだろ」
答えてから、少し遅れて気づいた。
明日も一緒に食べることを、水野は当たり前のように話している。
そして俺も、何も変だと思わず返事をした。
教室へ戻る途中、水野とは階段で別れた。
一人になってから、昼に見つけた一人分の空席を思い出す。
あそこに座れば、もっと早く食べ始められた。
それでも俺は座らなかった。
なぜかは、考えなかった。
五日目。
四時間目が終わる少し前、学食が臨時休業だという話が教室に回ってきた。
厨房設備の点検らしい。
「マジか」
弁当を持ってきていない生徒たちが騒ぎ始める。
俺も何か買いに行くしかない。
今日は水野とは別々だろう。
四日間続いただけなのに、そんなことを考えた。
昼休みになる。
財布を持って教室を出ようとしたところで、廊下から名前を呼ばれた。
「桐谷くん」
水野だった。
「どうした?」
「今日、学食ないじゃん」
「らしいな」
「駅前のパン屋行かない?」
一瞬だけ意味を考えたが頭を振る。
それよりも距離が問題だ。
行って帰ってくる頃には、予鈴が鳴るかならないかくらいある。
「今から行くのか?」
「昼休みなら間に合うよ」
どうやら彼女は行きたいらしい。
なら行ってみようか、という気になった。
「じゃあ行こう」
二人で階段を駆け足で下りる。
体育が苦手だという割に、水野は遅れず息も切れずについてくる。
校門を出て、そのまま駅前へ向かう。
水野は店までの近道を知っていた。
「よく行くの?」
「たまに」
「一人で?」
「友達とも行くよ」
「じゃあ今日も友達誘えばよかったじゃん」
「誘ったよ」
「俺を?」
「うん」
あっさり返された。
それ以上、何も言えなかった。
パン屋でそれぞれ好きなものを買い、近くの小さな公園のベンチへ座る。
学食より静かだった。
しばらく食べてから、俺は前から少し気になっていたことを聞いた。
「水野」
「ん?」
「最初の日、なんで席空けてくれたの?」
「最初の日?」
「俺が遅れて行った日」
「ああ」
水野は少し考える。
「前から知ってたから」
「俺を?」
「桐谷くんっていうより、席取ってる人として」
「何それ」
「毎日すごい早く来て、二人分取ってたでしょ」
「見てたのか」
「だから、人見るの好きって言ったじゃん」
水野はパンの袋を畳む。
「その日は来るの遅かったし、一人で立ってたから」
「それで?」
「隣空いてたし」
「それだけ?」
「最初はね」
最初は。
その言葉が少し引っかかった。
けれど、水野はその続きを言わなかった。
俺も聞かなかった。
食べ終えて学校へ戻る途中、水野が言った。
「この店、また来る?」
「学食、来週から開くんじゃなかった?」
「そうじゃなくて」
水野がこちらを見る。
少しだけ笑っていた。
俺も意味が分かった。
「じゃあ、来週また来ようか」
「うん」
それだけ決めて、二人で学校へ戻った。
来週から学食はまた開く。
昼休みになれば、空いている席を探せばいい。
早く行けば、一人分くらい簡単に見つかるだろう。
それでも来週のどこか一日は、あの席には座らない。
そのことだけは、もう決まっていた。




