↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

おやじのマクドナルド

作者: YB
掲載日:2026/08/05

 唐突だが、昨晩、父親が死んだ。たぶん60後半ぐらい。


 別に父の死にドラマもなければ、お涙もなにもない。


 だって、僕の父親は世間的にはクソ野郎だったから。


 じゃあ、なぜこんな散文を書き殴ってるかというと、これは父親を思ってというより、僕自身に整理をつけるためだ。


 つまり、本当の本当にクソみたいなブログである。ただの日記、愚痴、自己主張。


 まあ、書いてしまった以上、どっかに残しておかないのもどうかと思い投稿した次第です。





 僕が小学生にあがるころ、おやじは仕事をしなくなった。


 もともと、警察官で、バカ真面目で厳しいヤツだった。


 しかし、なんか腰が痛いとか、同僚に殺されるとか言いはじめて、仕事をやめてしまった。


 当時のことは、幼いせいかあまり覚えていない。ただ、おやじはよく家にいるようになって、殴られる回数が増えたことだけは覚えている。


 警察をやめてから、いくつかの職を転々としていた記憶もあるが、どれも一ヶ月もたず、僕が小学二年の頃には晴れて完全無職になっていた。


 おやじは元警官ということもあって、160後半の身長、体重が100キロ超えというガタイをしていた。


 そんな親父は仕事をやめてから、常に妄言を吐き出し、ひとたびスイッチが入ると意味不明な(それこそ監視されてる!みたいな)ことをグチグチ並べ、最後はよく僕を殴った。


 今思い返しても、ロクな理由がない暴力である。虐待であり、DVである。


 僕には兄と妹がいるが、何故か僕だけ特別殴られていた記憶がある。


 親父に木刀で殴られ、腕にヒビが入ったこともあるし、投げ飛ばされて足が折れたこともある。


 どこか遠くの山の湖畔に捨てられ、2日間山の中で遭難したこともあれば、家を追い出され一週間ぐらい帰れなかったこともある。


 と、書き並べてみると、不幸な幼少期を送った哀れな子どもに思われるかもだが、僕は不幸とは無縁であった。


 どれだけ殴られても、家に帰れなくても、野犬の遠吠えを子守唄に山の中で眠っていても、僕はけっこう楽しんでいた。


 そして、僕には小説があった。ゲームも漫画も、テレビさえ家でやれない僕にとって、小学校の図書室は夢の国だった。かいけつゾロリ、江戸川乱歩、ありがとう。




 父親が仕事をしなくなって、母は昼間は醤油工場で働き、夜はスナックで働いた。


 これも、まあ、こう書くと苦労人みたいな感じだが、母は家にいて父親と顔を合わせるのが嫌で、ついでに子育てとか家事とかも嫌いな人だったので、逃げていただけだ。


 だから、僕ら子どもに飯がなくても、母は店の客とそこそこ良いものを食いに行ったりしていた。


 うちに関していうと、みんなこんな感じである。


 兄はひょうきんだったし、妹は学校にいかず絵を書いたりして、それなりに楽しい幼少期を送っていた。


 家が貧乏で有名だったが、兄も僕も小学校の児童会で会長をやったし、剣道部で部長をしていた。いわゆる、クラスの中心的な人物であったのは間違いない。




 つまるところ。おやじは無職クソ野郎だったが、僕はその程度のことを理由に、絶望したり、グレたりしなかったし、万引きも信号無視もしなかったわけだ。


 ‥‥‥まあ、兄貴はそれなりにグレて、妹は不登校だったから、訳あり家庭にありがちな結末を辿ったともいえるが。


 僕が中学にあがる頃、おやじが脳内出血で左半身不随になった。


 ずっと、腰が痛いや、誰かに殺されると言っていたおやじにようやく病名がついた。脳内出血、左半身不随。


 近所でうさぎ小屋と呼ばれていた僕の暮らす平屋の庭で、おやじは倒れていた。冬だった。学校から帰ってきた僕が発見したとき、うめき声をあげて意味不明なことを呟いていた。


 珍しく、母が家にいて、妹もいた。二人とも、おやじが倒れたことに気づいていたが、どうやら無視を決め込んでいたらしい。いつもの、虚言だと。そう言い聞かせていた。


 僕はそれはもう完全犯罪なのでは、と思いながらも、救急車の手配をし、病院に付き添い手術を見届けた。


 おやじが入院してからも、うちはなにも変わらなかった。むしろ、いないぶん平穏であった。


 そりゃあ、口を開けば、家族の悪口を言い、戦争の話をし、論理が破綻すると殴ったり、暴れたりしていたわけだから、いないほうが助かるのは間違いない。


 おやじが入院をしてから、母親はそれなりに病院に通い、着替えを届けたりしていたし、兄貴や妹はまともに学校に通っていなかったので、よくついて行っていたように思う。


 僕は一応、人並みに勉強していたし、剣道を頑張っていたし、深夜アニメを見ながら、吉本ばななを真似して小説の練習をはじめていたから、忙しかったので見舞いにはいかなかった。


 それから、おやじは入退院を繰り返すようになった。


 入院しているあいだ、家は静かだったが、帰ってくると、地獄のように喚いたり、叫んだり、警察に電話したりする。


 おやじが家にいると、母と兄は帰ってこなくなるし、妹はもともと忍者みたいに気配を消していたしで。おやじが家にいるあいだは、だいたいの面倒は僕がやっていたわけだ。


 とはいえ、まだトイレには自分で行けたから、体を起こしたり、歩行を手伝ったり。近所のスーパーで飯を買ったりとかで、別にたいしたことはやっていない。


 僕が中学二年ぐらいのころから、家事全般とおやじと妹の世話はけっこうやっていた記憶がある。


 でも、当時は特になにも思っていなかった。何故なら僕は吉本ばななや江國香織、角田光代に夢中だったからだ。


 遊ぶ友達もたくさんいたし、部活も全国を狙うぐらいの強豪だったし、勉強も平均ぐらいはがんばっていた。


 だから、おやじの世話とかは僕にとって、思い返せばやっていたなーぐらいのことである。


 今の僕があるのは、僕自身の結果であり、家庭とかおやじはほとんど関係ない。そりゃあ、足をひっぱられたが、蹴り飛ばして終わりだ。




 僕にとっておやじは些事であったが、家族はそうではなかったようだ。


 僕が高校にあがる頃、母と兄はギャンブルにのめりこみ、笑えない金額の借金をしはじめていた。


 妹は完全に引きこもりになり、あまり話さなくなった。


 僕はそんな家族を見て、いつも笑っていた。自分から不幸に足を突っ込んでいく身内というのは、かなり滑稽で笑えるものである。


 そして、僕は深夜アニメやライトノベルに夢中だった。高校では部活をせず、毎日バイトをしていたのでお金もあって、大量の小説や漫画を買い、寝る間も惜しんで青春を楽しんでいた。


 バイト仲間と朝まで、ハルヒやシャナについて語ったり、京アニやIGの作画議論をよく交わしていた。


 そう、僕はオタクになったのだ。近所からウサギ小屋と呼ばれる家に似合わない高性能パソコンで、アニメやゲームを寝ずにやっていた。


 そして、僕はコソコソと小説を書き始めた。目標は芥川賞。人生の指針が決まった。


 人生の方向性を決めたときでも、おやじはおやじで、家族は家族だった。


 僕は小説家になるために、東京の大学に進学するつもりだった。だから、お金をためていたし、バイトも頑張っていた。


 高校二年の頃、母親が僕に父の入院費を頼ってきた。聞くところによると、高額医療制度で戻ってくるが、一時的に支払う分が足りないそうだ。


 金額はちょうど百万円。まあ、返してくれるならと貸したわけだが‥‥(当時、毎月4万円家に入れていた)


 母と兄のパチンコで一週間でなくなってしまった。これは、流石に効いた。裏切りとかそういうものじゃなく、単純に大学進学費用が消えたことで、人生設計が狂ってしまったのがきつかった。


 でも、一時間ぐらいの口論で終わったように思う。僕はもうその時には、家族に期待していなかったし、小説家になりたかったのだ。


 それから、一ヶ月ぐらいで返ってきたのが、YAMAHAのYB1というバイクだった。


 百万円を返せない母親は、退院してすぐのおやじと中古のバイク屋に行き、おやじが選んだのがYB1という原付バイクだった。


 12万ぐらいだったと思う。


 めちゃくちゃである。百万返せないから、12万の原付を勝手に買ってきて、これで勘弁しろ、と。


 ただまあ、YBはかっこよかった。イカしていた。僕はYBにまたがり、それからよく一人で遠出をするようになった。いや、百万は返せよ。




 原付を手に入れてから、おやじが入院すると着替えや、世話をしにいくのが僕の役目になった。


 僕は週に一回、高校を遅刻して、おやじの病院に通った。大きな手術のときも、付き添ったし、トラブルを起こして呼び出されるのも僕だった。


 病院に行くたびに、マクドナルドをせがまれた。僕はわざわざ遠回りをして、マクドを買ってから病院に通っていたのだ。


 病室でおやじとマクドを食べ、永遠と悪口を聞いていた。本人も誰になんの怒りを向けているのか分かっていないようだった。


 母と兄はギャンブルに本格的にハマりはじめ、二人とも仕事をやめて無職になったこともあって、そのへんのめんどいことは僕がやっていた。


 おやじは入院期間が増えて、一年のほとんどを病院で過ごすようになっていた。


 いつの間にか、右手しか使えなくなり、トイレも一人で行けなくなっていた。


 それでも、口を開けば悪態をつき、担当のお医者さんに「殺さる!」と叫んだり、看護師さんのお尻を触ったりと、クソ野郎なのは変わっていないので、同情なんてしなかったし、むしろ軽蔑していた。


 高校生活の終わりが見えてくると、僕は逃げるように家をでて、バイトを増やして一年浪人をしてから通える範囲の大学に進学した。


 ‥‥‥小説家にはなれなかった。これも、別におやじのせいではない。僕の実力不足なだけ。





 だいたい、この辺までが僕のおやじの記憶である。


 それから、僕は大学を中退して、サラリーマンを一年だけやって、夢を諦められず上京して、いろいろあって、アニメ監督になった‥‥‥のは、またどっか別のお話で。


 さて、僕がそんな感じで23歳で上京して、その一年後に母親は自殺した。重度の鬱だったらしい。


 兄は派遣で工場を回りながら、おかしな宗教にはまっていった。


 妹は母の自殺を目撃し、それから父親の介護をすることになった。


 そして、15年ぐらいかな。父親がようやく死んだ。


 今朝、妹の電話でおやじの死を聞かされた僕は、「あ、そう」というのが感想だった。さすがにこれで、「おやじーー(涙」みたいなテンションになれるわけがない。


 恨みつらみもない。だって、僕の人生はそこそこ楽しい。それなりに夢も叶えてるし。小説家にはなれなかったけど。


 ‥‥‥小説家になりてーっ!


 おやじの死より、本音はこちらである。


 おやじは最後にマクドナルドを食べたいと言っていたらしい。


 少しだけ、人生の無意味さというか、そういうのを感じた。


 僕が知るおやじは仕事もせず、家に寝たきりで、悪態ついて、暴れて、子どもを殴ったり、山に捨てたりするような人生であった。


 最後の願いがマクドナルドであったのも、おやじらしいと思うが、そんな人生で良かったのかと思ってしまう。


 この年齢になって理解できるが、おやじはずっと統合失調症だったと思う。その妄言に付き合ってしまった家族も、まあ、似たようなものである。


 僕は小説に助けられたし、小説家になりたかったから、ひっぱられなかっただけ。けっこう、紙一重だった気もする。






 最後に。


 唯一と言えるおやじとの良い思い出がある。あれは、幼稚園のなにかの行事で、竹馬を作る催しであった。


 何故か、その日、おやじが来てくれて、竹馬を一緒に作ってくれた。その竹馬は、一番安定していて、きれいに立っていた。


 運動音痴の僕でも、すぐに乗りこなせたぐらいに。


 またいつか、マクドナルドぐらい、買ってやってもいいかもなあ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。