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拝啓、かつて私が断罪したあなたへ 

作者: 女郎花
掲載日:2026/04/26

人気が出たら長編にします。



 アルヴェイン王国の元第一王子クリスティアンは、薪を割っていた。


「……なぜ私がこんなことを」


 乾いた音を立てて斧が外れ、丸太の横に突き刺さる。クリスティアンが持ったことのある武器は剣だけだ。それも訓練用のやや軽い木剣。斧は木剣より重く、重心も異なり振りにくい。


 その様子を、腕を組んだ女がじっと見ていた。


「手首だけで振るからです。腰を使ってください」


「うるさい。私は第一王子だぞ」


「今はただの居候です」


 ぴしゃりと言い切られ、クリスは顔をしかめた。


 ルルティア。


 王都から離れた辺境の街で冒険者をしている女だ。王都を追放され、行き倒れていた自分を拾った張本人でもある。

 あの日のことを思い出し、クリスは今でも納得がいかなかった。


 卒業記念の夜会。大勢の貴族が見守る中、彼は婚約者であったフィラリア・エルグラン公爵令嬢を断罪した。

 男爵令嬢ヴィヴィアンを虐げた冷酷な女。


 そう信じていた。


 だが――。


 証拠は不十分。証言には矛盾があり、周囲の貴族たちは冷ややかだった。


 そして何より、フィラリアは静かに言ったのだ。


『やっていないことを、やったとは申しません』


 その一言で、空気が変わった。

 調べ直された結果、ヴィヴィアンへの嫌がらせの多くは確かに存在したが、それがすべてフィラリアの指示だという証拠はなかった。


 むしろ問題視されたのは、自分だった。

 国政を学ばず、感情で婚約破棄を宣言したこと。王族としての未熟さ。

 そして――側妃の子である自分を、元より快く思わない者たち。


 フィラリアの実家であるエルグラン公爵家が後ろ盾を降りたことで、すべては決まった。


 王位継承権剥奪。

 廃嫡。

 平民落ち。

 王都追放。


「理不尽だ……」


「まだ言ってるんですか」


 ルルティアが呆れたようにため息をつく。


「ご飯食べます?」


「食べる」


「じゃあ薪を割ってください」


「横暴だ」


「働かざる者食うべからず。仕事をしないものにご飯はありません」


 クリスは渋々、再び斧を握った。



   *   *   *



 最初の頃、彼は何もできなかった。水を汲めば桶をひっくり返し、洗濯をすれば服を駄目にし、買い物に行けばぼったくられた。

 孤児院の手伝いに連れて行かれた時には、本気で帰ろうと思った。


「なんで私が子供の相手を」


「あなた、暇でしょう」


「暇ではない」


「じゃあ何してるんです?」


「……考え事」


「はいはい、ご立派ですね」


 まるで褒めていない。

 孤児院の子供たちは、最初こそ元王子という肩書きに目を輝かせたが、すぐにそんなものは関係なくなった。


「クリス、遅い!」


「鬼ごっこ弱い!」


「お前ら王族への敬意はないのか!?」


「ない!」


「ない!」


 即答だった。信じられない。だが、気づけば彼も笑っていた。



   *   *   *



 ある日、孤児院でパンを配る手伝いをした。

 焼きたてではない、少し硬いだけの普通のパンだった。

 それを、小さな女の子が両手で抱えるように持って、嬉しそうに笑った。


「今日のパン、すごい」


「……これが?」


「うん! 白いパンだもん!」


 クリスは言葉を失った。王宮では当たり前だったもの。毎日、当然のように食卓に並んでいたもの。


 それが、この子には“すごい”のだ。


 ふいに、思い出す。


『民を見てください、殿下』


 フィラリアは何度もそう言った。


『貴族の都合ではなく、その先にいる人たちを』


 煩わしかった。説教のようで、嫌だった。

 だから聞かなかった。


 ヴィヴィアンは違った。


 無邪気に笑って、自分を特別だと言ってくれた。

 だから、信じた。


 ——いや。


 本当は。


 私は、ただ——。



   *   *   *



 その夜、眠れなかった。


 雨の音がしていた。

 暗い部屋の中で、クリスはただ天井を見つめていた。


 孤児院の子供が、昼間に言った。


「王子様はねぇー、強くて優しいんだよ。悪いやつをやっつけて、お姫様と幸せになるんだから!」


 無邪気な声だった。

 悪意なんてなかった。


 だからこそ、刺さった。


 優しかっただろうか。


 フィラリアに。


 ヴィヴィアンに。


 誰に対しても。


 悪いやつ(フィラリア)をやっつけて、お姫様(ヴィヴィアン)と幸せになるつもりだった。


 自分は、正しかっただろうか。


 思い返すほど、胸が苦しくなる。


 自分は何も見ていなかった。

 何も知らなかった。


 それなのに、断罪した。


 大勢の前で。

 誇らしげに。

 正義のつもりで。


「……っ」


 息が詰まる。

 気づいた瞬間、涙が止まらなくなった。


 情けなくて。


 恥ずかしくて。


 取り返しがつかなくて。


 ただ、苦しかった。

 声を殺して泣くしかなかった。


 扉が静かに開く。

 ルルティアだった。


 何も言わず、隣に座る。


 慰めもしない。

 責めもしない。

 ただ、そこにいた。


 それが、ありがたかった。


「……私は、最低だ」


「そうですね」


「否定しろよ」


「事実なので」


 少しだけ、笑ってしまった。

 涙はまだ止まらない。


「でも」


 ルルティアは静かに言った。


「あなた一人が全部悪いわけでもないです」


「……そんなこと」


「諌められず、教えられず、そう育ったなら。それは周りの責任でもある」


 クリスは黙った。


「だからって、免罪にはなりませんけど」


「厳しいな」


「優しいでしょう?」


 それには、少しだけ頷いた。



   *   *   *



 数日後。


 机に向かい、便箋を前にして、クリスは何度もペンを持ち直した。

 書きたいことは山ほどあるのに、言葉にならない。


 許されたいわけではない。今さら戻りたいわけでもない。


 ただ。


 知ってほしかった。


 薪割りの大変さ。

 水を組もうとして全てこぼしたこと。

 買い出しに行ってぼったくられて、それに気づきもしなかったこと。


 何にも思惑のないまま自分に笑いかける街の人々。

 遠慮もなく力一杯背中を叩かれたこと。


 孤児院にいた子供たちのこと。




 そして。

 自分がやったことを、ようやく理解したこと。




 君は正しいことを言っていた。そんなことはわかっていた。

 だが、私が努力しても時間をかけねばできなかったことを平然とした顔でこなして、さらに自分にアドバイスをくれたのが、上から見られているようで気に食わなかった。


 本当は最初、こんな綺麗な子と結婚するのだと嬉しく思っていた。

 しかし、君は嬉しそうな顔をしなかった。

 君との婚約が決まった日、庭で探した青い花を差し出したとき、君が嬉しそうな顔ではなく、困った顔をしたのが悲しかった。

 何を言っても澄ました顔か困った顔しかしない君に、だんだんと苛立つようになった。


 ヴィヴィアンは、私のことが好きなのだと、笑顔で話しかけてくれた。澄ました顔の君のことを思い出した。

 学園の庭に咲いていた黄色い花が、明るくて君みたいだとヴィヴィアンに言った。一瞬きょとんとした顔をして、嬉しそうな顔になった。花を差し出した君が、困った顔をしたのを思い出した。


 ヴィヴィアンは虐げられていた。それは本当だ。

 けれど、私がヴィヴィアンに対しての距離を間違えたのが原因だった。たとえ虐げているのが君だったのとしても、私はまず自分の行動を改めるべきだった。


 私には諌めてくれる人はいなかった。

 皆、王子である私が正しいのだと言った。私を褒め称え、素晴らしいと賞賛した。


 私は。

 ただ。

 対等に意見を言い合える、隣に立ってくれる人が欲しかった。




 遅すぎる。そんなことはわかっている。


 それでも。


 彼は、手紙を書いた。



   *   *   *



 その手紙が届いたのは、春の終わりだった。

 フィラリアは一人、自室で封を切った。


 見慣れた筆跡だった。


 静かに読み進める。


 謝罪。

 後悔。

 今さらの言葉。


 そして。


『本当は、君が最初から嫌いだったわけではない』


 そこで、指が止まった。


 窓の外では、庭の木々が風に揺れている。


 あの頃。


 自分は、物語ばかりを見ていた。悪役令嬢として断罪される未来。

 それを避けることばかり考えていた。


 だから、距離を取った。


 関わらなければ傷つかないと思った。

 それが最善だと信じていた。


 でも。


 それ以前に。


 何か、できたことがあったのかもしれない。


 やっていないことを、やったとは言わない。

 あの断罪返しは間違っていない。


 それでも。


 もっと違う道が、あったのかもしれない。


 静かに目を閉じる。


 傲慢で、幼くて、どうしようもなくて。


 でもきっと、ずっと寂しかった人。


「……遅いのですよ」


 小さく呟く。


 本当に。

 今さら。

 まったく。


 手紙を丁寧に畳む。


 返事は書かない。


 風に吹かれて揺れた青い花を見て、あの日、靴を泥だらけにして、自分の瞳と同じ色の花を差し出した男の子を思い出した。


 ほんの少しだけ、視界が滲んだ気がした。











読んでくださってありがとうございました。


この物語では、誰も根っからの悪人ではありません。みんながみんな、ちょっとずつ悪いんです。それぞれ自分が正しいと信じたことに従って、その結果、全員の正しさがそれぞれ少しずつ間違っていました。

「もしも、あの時こうしていたら」

人間は誰しも一度はこう考えて、でも変えることはできずに今を生きていくものです。皆さんも今を大切にしてくださいね。

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― 新着の感想 ―
この話読んで今月まだ犬にフィラリアの薬飲ませてない事を思い出しました。
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