表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
要らない娘と呼ばれた私を、魔王は千年待っていたそうです ~捨てた公爵家は没落し、私は世界で一番幸せになりました~  作者: 蒼空ルーシェ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/9

第3話 千年

 闇の中を、歩いた。


 光は遠い。玉座の背後から差す白い光だけが、広大な謁見の間を照らしている。リーシェの足音が石の床に響く。それ以外に音はない。


 兵士はいない。高官たちが左右に並んでいるはずだが、闇に溶けて姿が見えない。ただ気配だけがある。何十もの視線が、リーシェの背中に突き刺さっている。


 歩く。


 光が近づく。


 玉座が見えてきた。黒い石を削り出した玉座。装飾はない。ただ大きく、重く、長い年月を経た石の塊。その上に——


 人影が、座っている。


 リーシェの目が闇に慣れた。


 光の中に浮かび上がったのは、一人の男だった。


 銀灰色の髪。長く、緩やかに背に流れている。白い肌。人間のものとは質感が違う。月光を固めたような、冷たくなめらかな白。頬から首にかけて、淡い紋様が走っている。魔力の証。


 金の瞳。


 リーシェは息を忘れた。


 美しい、と思った。それが最初の感想だった。恐怖よりも先に、ただ純粋に。——こんなに綺麗な人がいるのかと。


 しかし次の瞬間、気づいた。


 瞳の奥が、空洞だった。


 宝石のように美しい金色の瞳。でもその奥には何もない。感情も、温度も、生きている者の光もない。千年という時間を一人で過ごした目。燃え尽きた暖炉のような、何かが確かにあったはずの場所に、もう何も残っていない——そういう目。


 リーシェは知っている。公爵家の自分の部屋で、鏡を見た時。誰にも必要とされない夜が積み重なって、鏡の中の自分の目から光が消えていくのを見た時の、あの感覚。


 この人の目は。


 十七年の比ではないほど長い時間を、映している。


「名を」


 低い声。玉座の上から降ってくる。空気が震える。周囲の高官たちが息を呑む気配。


「リーシェ・フォン・グランハイドです」


 声が震えた。喉が乾いている。でも、名乗らないわけにはいかない。


「……グランハイド」


 魔王が、その名を繰り返した。


 そして——リーシェの顔を見た。


 目が合った。


 金の瞳が、リーシェの目を捉えた。


 一秒。


 二秒。


 何かが変わった。


 空洞だったはずの瞳に、光が灯った。燃え尽きた暖炉に、小さな火が点いたように。微かに、しかし確かに。


 魔王が立ち上がった。


 周囲の空気が凍りつく。高官たちが後ずさる気配。リーシェには何が起きているのかわからない。ただ、目の前の男が動いたことだけがわかった。


 玉座から降りてくる。


 一段。


 また一段。


 長い階段を、一歩ずつ。銀灰色の髪が揺れる。金の瞳がリーシェから逸れない。一瞬も。


 高官たちの間に動揺が走る。誰かが小さく「陛下」と呼んだ。返事はない。


 階段を降りきる。


 リーシェの前に立つ。近い。手を伸ばせば届く距離。


 背が高い。リーシェの頭ひとつ分以上。見上げなければ顔が見えない。


 見上げた。


 金の瞳が——潤んでいた。


 魔王が、跪いた。


 片膝をつき、リーシェを見上げる形になる。謁見の間が凍りついた。高官たちが石のように固まっている。千年の歴史の中で、魔王が何者かの前に跪いたことは一度もない。


 リーシェは動けなかった。何が起きているのか、頭が追いつかない。


 魔王の唇が開いた。声が震えていた。千年を生きた存在が、こんなふうに震えるのだと、リーシェは思った。


「——ようやく、見つけた」


 涙が、頬を伝った。


 金の瞳から溢れた雫が、白い肌を伝い、顎から落ちる。


 たった一粒。


「千年——待った」


 声が割れた。最後の一音が掠れて消えた。千年分の何かを、たった二語に詰め込んだような声だった。


 リーシェの頭は真っ白だった。理解できない。自分は人身御供だ。要らない娘だ。公爵家に捨てられて、魔王に差し出されただけの、魔力もない、何の価値もない人間だ。


 なのに、なぜ。


 この人は、泣いているのだろう。


 魔王の手が動いた。リーシェの手に向かって伸びる。長い指。


 ——しかし。


 指先がリーシェの手の数センチ手前で、止まった。


 震えている。


 その手は確かに震えていた。触れたい。でも、触れられない。見えない壁があるかのように、指先が空を掴む。


「……すまない」


 声が落ちた。涙の滲んだ声。


「まだ——怖いのだ」


 誰が。何が。リーシェにはわからない。この、大陸最強と恐れられる存在が、何を怖がっているのか。


 魔王の涙が、もう一粒落ちた。


 石の床に雫が弾ける。


 その瞬間。


 雫が落ちた場所から——花が咲いた。


 小さな白い花。石の床の隙間から、茎がするすると伸び、花弁が開く。涙が染み込んだ場所から、光が淡く溢れて、花になった。


 謁見の間が、静まり返った。


 リーシェは花を見つめた。魔王を見つめた。涙を見つめた。


 何もわからない。何一つ。


 でも、一つだけ——一つだけ思ったことがある。


 この人の涙は、花を咲かせるほど、綺麗だ。



   ◇



 謁見の間の外。


 扉が閉まった後も、デミウルゴはしばらく動かなかった。


 中から聞こえた主の声を、聞いた。


 千年待った、と。


 そうだ。千年だ。自分もまた、千年を数えていた。主の隣で。主の孤独の傍らで。一日も欠かさず。


 デミウルゴは眼鏡を外し、目元を指で押さえた。


 ——陛下は、あの少女を知っている。


 知っているどころではない。


 千年前と同じ目をしている。すべてが終わった日——あの方を失った日と同じ、あの目を。


 デミウルゴは眼鏡をかけ直した。千年前のあの方が好きだと言ってくれた、この眼鏡を。


「——どうか」


 声にならない祈り。


「今度こそ」


 千年前は守れなかった。

 今度こそ。


 今度こそ、あの光が消えませんように。


 謁見の間の扉の向こうで、石の床に、小さな白い花が咲いている。


 千年ぶりの、花だった。


お読みいただきありがとうございます。


魔王が流した涙。

石の床に咲いた花。

伸ばしかけて、止まった手。


あの手が止まった理由を、彼はまだ語りません。

語れる日が来るまで、もう少しだけ。


次回、第4話「月の塔」。

魔王城で目覚めた朝の話です。


ブックマーク・評価、いつもありがとうございます。

感想欄でいただく言葉のひとつひとつが、花のように咲いて、書く力になっています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ