第3章:第44話:尖った耳の洗礼
第3章:第44話:尖った耳の洗礼
「……フィリア、本当にこっちで合ってるのか? 同じような木ばっかりで、俺にはさっぱりだ」
真司は額の汗を拭いながら、生い茂る巨大なシダの葉を掻き分けた。 34歳の冴えない営業マンだった俺が、この異世界に「盗賊」として転生してから、まだそれほど時間は経っていない。レベルはようやく10になったばかりだ。正直、さっきの山越えで戦ったオーガだって、必死に立ち回って、運が良くなければ今頃どうなっていたかわからない。
隣を歩くミーシャも、肩で息をしている。彼女は持ち前の要領の良さでレベル13まで上げたけれど、本職は商人だ。俺たちは決して、無敵の英雄なんかじゃない。
「はい。あそこの岩の苔の向きと、風の匂い……。エルフにしか分からない印があるんです」
案内人であるフィリアの足取りに、迷いはない。 彼女はこの里の「退屈」に耐えかねて、かつて自分の意志で掟を破り、外の世界へと飛び出した。その結果、魔物に捕まり、自分の歌声を村人への呪いに変えられてしまった……。あの夜、篝火の前で「私は罪人なの」と涙を流した彼女の横顔が、脳裏をよぎる。
「……着いた。ここが、私の故郷……『常盤の森』です」
フィリアが足を止めた先。霧のカーテンが割れ、そこには天を突く巨木がそびえ立つ、幻想的な聖域が広がっていた。
だが、そこは手放しで歓迎してくれるような場所ではなかった。
「——止まれ。……やはりお前か、フィリア」
静寂を切り裂く、冷徹な声。 木々の影から、音もなく数人のエルフが現れた。その手には、既に番えられた弓。
「何百年と変わらぬ安寧を捨て、刺激を求めて外へ逃げ出した不届き者が……どの面を下げて戻ってきた。その上、忌々しき人間まで連れてくるとは」
守備隊のリーダーと思わしき男の視線は、裏切り者を見るかのような軽蔑に満ちていた。 彼らにとって、彼女はただの「身勝手な家出娘」に過ぎない。外の世界で彼女がどんな地獄を見たか、自分の罪をどう贖おうとしているか……そんなことは、知る由もないのだ。
「違います、私は……っ!」
「言い訳など無用だ。お前が持ち帰ったのは、里を汚す泥だけか。一族の恥晒しと共に、即刻この森から立ち去れ」
フィリアの肩が、小さく震える。 シンジは、じっとりと汗ばむ手でナイフの柄を握り直した。オーガ一匹に苦戦する自分たちが、この森の主たちを相手に立ち回れるはずがない。それでも、下を向くフィリアの前に、一歩踏み出さずにはいられなかった。
「……おい、耳の尖ったお高慢な連中。こいつは遊びで帰ってきたわけじゃない。里を捨てた後悔も、外で犯した罪も、全部背負ってここに来たんだ」
「人間が、我らに口を利くな」
ピリついた空気が森を支配する。 英雄でも何でもない、ただ生きるのに必死なだけの俺たちが、この美しくも排他的な「掟」の壁をどう突破すればいいのか。
俺の「本能」が、警報を鳴らしていた。 ここからが、本当の正念場だってな。




