第1章:第13話:琥珀色の時間、髪をなでる風
第1章:第13話:琥珀色の時間、髪をなでる風
酒場『銀の星亭』の隅。喧騒から少し離れたテーブルで、真司とミーシャは琥珀色のエールで乾杯していた。
「……ねぇ、シンジ。さっきのステップ、あれは凄かったわ。相手の力を利用して転がすなんて、旅人の時じゃ考えられなかったもの。あれが『盗賊』の力なの?」
(……やっぱり、見られてたのか)
ミーシャが楽しそうに笑いながら、ジョッキを傾ける。 今日の彼女は、いつも元気に纏めている髪を下ろし、肩にさらりと流していた。酒場の灯りを反射して柔らかな光を放つその髪が、なぜか今の真司には、いつもよりずっと艶やかに、そして「女」らしく見えて仕方がなかった。
(……あいつ、あんなに髪、綺麗だったんだな……)
ふとした瞬間に漂う、いつもより少しだけ強い彼女の甘い香りに、真司の心臓が不規則な音を立て始める。
「……ああ。でも、まだ……その、ナイフの、抜き方が……」
真司は平静を装って反省点を語ろうとするが、言葉が上手く繋がらない。34年間、女性とまともに手を繋いだことさえない彼にとって、今のミーシャはどんな強敵よりも直視できない「眩しさ」を放っていた。
「……シンジ? どうしたの、黙っちゃって。……私の顔に、何か付いてる?」
ミーシャが不思議そうに小首をかしげた。その仕草で、さらりと流れる髪が揺れ、隠れていた彼女の白い首筋が露わになる。ドクン、と心臓が跳ねた。真司は、もう限界だった。
「……えっと、あの……す、すごく……いいね……。き、き、き……綺麗だよ、ミーシャ」
「え……っ?」
ミーシャは意表を突かれたように目を見開いた。 彼女自身は、ただなんとなく気分を変えたくて髪を下ろしただけだった。けれど、目の前の男が、今にも爆発しそうなほど顔を真っ赤にして、壊れ物を扱うような声で自分を「綺麗だ」と言ってくれた。その必死な熱に当てられたように、ミーシャの頬にも一気に熱が上っていく。
「あ、ありがとう。……ちょっと、気分転換にね」
照れくさそうに視線を泳がせる彼女。潤んだ瞳が一瞬だけ真司を捉え、すぐに伏せられた。
二人の間に、それまでにはなかった濃密で、痺れるような沈黙が流れる。 真司はその気まずさと心臓の爆音を誤魔化すように、木製ジョッキに残った琥珀色のエールを掴むと、一気に喉へ流し込んだ。 独特のホップの苦味と、常温に近いエール特有の重厚な喉越しが、真司の胸を熱く焦がしていく。
一杯、また一杯。 逃げるように重ねたアルコールは、真司の羞恥心を麻痺させるどころか、彼の中で渦巻く「高揚感」に油を注いだ。
今日、俺は『職』を得た。 今日、俺は自分より強い敵を、この手で叩き伏せた。 自分の力で、目の前のこの女性を守り抜いた。
その事実が、34年もの間、臆病に縮こまっていた真司の心に、暴力的なまでの自信を植え付けていた。沸騰するようなアドレナリンと、胃の腑を熱くするアルコールが混ざり合い、真司の視線はいつしか、ミーシャの赤く湿った唇へと釘付けになっていた。
(……柔らかそう、だ)
一度そう思ってしまうと、もう抗えなかった。 ミーシャは戸惑うように自分の髪先を弄りながら、黙り込んだ真司を上目遣いに見つめている。
(……なんだよ、その目は。……期待、してんのか? 俺が、何かするのを……待ってるのか?)
それは、真司の勝手な思い込みに過ぎなかったのかもしれない。 けれど、今の彼にはその確信だけで十分だった。 真司の瞳に、昼間の戦いで見せたような、鋭く、けれど熱を帯びた光が宿った。彼は吸い寄せられるように、無言で身を乗り出した。
「シンジ……?」
驚きに目を見開くミーシャ。 その唇を、真司の唇が優しく、けれど逃がさないように熱く塞ぐ。
エールの苦味と、彼女の甘い体温が混ざり合う。一瞬の静寂の後、ミーシャの手からジョッキがテーブルにコトッと置かれ、彼女の細い指が、震える真司の服の裾をぎゅっと掴んだ…




