第5章:第115話:静かなる奪還、消えた軍勢
第5章:第115話:静かなる奪還、消えた軍勢
…海沿いの断崖絶壁。
潮騒の音と、時折混じる崩れた建物の軋みだけが響く中、シンジは草むらに身を潜めていた。
泥にまみれ、息を殺し、崖の上から眼下のバルディアを覗き込む。
(……待たせたな、なんてな)
心の中で、かつての伝説の潜入官「蛇」の気分を密かに感じながら、シンジはその鋭い視線を街の隅々へと走らせる。
かつての賑わいはどこにもない。燻り続ける黒い煙、無残に砕け散ったレンガ造りの店や家々。
街を覆うのは、死と静寂、そして魔物の異臭だけだ。
だが、違和感があった。
「……まばらだ」
シンジは音を立てずに崖を滑り降り、麓で待機するガルド率いる挺身攻撃隊の元へと戻った。
「魔物の本隊はいなかった…街の中を、少数の個体が統制もなくうろついているだけだ」
シンジの言葉に、ガルドの眉が険しく跳ね上がる。
「……何だと? 本隊がいない……。……ちっ、やはりか! 奴らはここを拠点にするつもりなどない。本隊はすでに北上し、防衛線のあるカルディアを目指しているはずだ。……急がないと防衛線が保たないな…」
ガルドは瞬時に覚悟を決めると、声を出さず、手信号だけで周囲の精鋭たちに合図を送る。
兵士たちは音もなく、あらかじめ決められていた数名の小隊へと分かれ、蜘蛛の子を散らすように分散していった。
「……まずはこの街を奪還する。いくぞッ!」
ガルドが低く、けれど鋭い声でシンジたちに告げる。
その瞬間、五人と精鋭たちは、死の街と化したバルディアへと同時になだれ込んだ。
「はぁっ!!」
シンジは路地裏から飛び出し、不意を突かれた魔物を一閃する。
街に残っていた魔物たちは、あの日見たような軍隊の規律を失っていた。山道で出会った奴らと同じ、ただの『野良』の魔物だ。
シンジたちはあらかじめ割り振られていた北西の居住区を担当し、次々と魔物を斬り伏せていく。
フィリアの矢が影を射抜き、セシリアの聖なる光が残光を浄化し、ミーシャの指示が的確に敵の隙を突く。
混乱に陥る間もなく、魔物たちは次々とカルディアの精鋭たちによって駆逐されていった。
中央広場。 かつて噴水があった場所には、各小隊が次々と集結し、返り血を拭いながらガルドへ報告を上げていく。
「居住区、制圧完了!」
「港湾部、敵影なし!」
最後に辿り着いたシンジが、ガルドと視線を合わせる。
言葉は交わさない。ただ、短く、確かな信頼を込めて、目で『OK』だと合図を送った。
バルディア奪還、完了。
だが、広場に立つ彼らの表情に晴れやかさはない。
空いたままの巨大な城門。その先、北へと続く街道の向こう側には、ここにはいない『本体の脅威』が、今まさにカルディアの喉元に食らいつこうとしているのだ。




