第5章:第107話:焦土の港町、終わりなき蹂躙
第5章:第107話:焦土の港町、終わりなき蹂躙
丘を越えた瞬間に鼻腔を突いたのは、潮騒の香りではなく、鼻の奥を焼くような不吉な『異臭』だった。
黒煙は空を濁らせ、かつて「真珠の港」と称えられたバルディアの街並みを、醜悪な影へと変え果てさせていた。
「馬車を降りるわよ! シンジ、フィリア、セシリア! 全員、武器を手に取って!」
ミーシャの鋭い号令が、御者台から響き渡る。
馬車が完全に止まるより早く、四人は石畳へと飛び降りた。
目に飛び込んできたのは、地獄そのものだった。
逃げ惑う人々の背後から、路地の影から、屋根の上から。おびただしい数の魔物たちが、飢えた獣のように牙を剥き、逃げ遅れた人々の肉を求めて蹂躙を繰り返している。
「あ……ああぁっ、お母さんっ!」
視界の端、瓦礫に足を取られて転んだ小さな女の子。その細い喉元を狙い、翼を広げた魔物『ガーゴイル』が、鉛色の鉤爪を振り下ろそうとしたその瞬間――。
「……させるかよッ! 『ウイングブロウ』!」
シンジが石畳を蹴り、弾丸のような速さで間に割って入る。短剣から放たれた鋭い風の刃が魔物の胸元を切り裂き、その衝撃で体勢を崩した魔物の眉間に、銀色の閃光が吸い込まれた。
「……仕留めました」
フィリアの放った『精密射撃』。
精霊の加護を受けた矢が魔物を光の塵へと変える。
「大丈夫……? さあ、私の手を握って。……『回復魔法(小)』」
セシリアが駆け寄り、震える手で女の子の擦り傷を癒やす。だが、安堵の時間は一秒たりとも与えられない。
「シンジ、前を見て! 街の中心部よ!」
ミーシャが指し示す先。バルディアの広場では、青い外套を纏った正規軍の兵士たちが、盾を並べて防衛線を築いていた。
その傍らには、泥と血に塗れながらも、必死に住民を避難路へと導く冒険者たちの姿がある。
「みんな、状況を理解しなさい!」
ミーシャが戦場を睥睨し、凛とした、けれどどこか悲痛な叫びを上げる。
「これはただの魔物被害じゃない……。街を、人を、根絶やしにするための軍事行動よ! 私たちは盾になるわ! 街の人たちが海へ、あるいは西へ逃げる時間を稼ぐのよ! 全員、私に続いてッ!!」
「了解だッ!」
シンジは短剣を逆手に持ち替え、押し寄せる魔物の波へと突っ込んだ。 目の前の魔物を『痺れアタック』で無力化し、返す刀で別の魔物の喉を裂く。 一体一体は、決して強くはない。昨日戦った海系の兵士たちに比べれば、個々の戦闘力は低い。
(……なのに、なんだ、この感覚は……!)
倒しても、倒しても、瓦礫の向こうから、燃え盛る民家の二階から、まるで底の抜けた桶から溢れ出す黒い水のように、次から次へと新しい魔物が湧き出してくる。
シンジの腕は、絶え間ない振撃の反動ですでに感覚を失い始めていた。
フィリアの矢筒は目に見えて細くなり、セシリアの清らかな法衣は、返り血と煤、そして恐怖に耐える脂汗でどろどろに汚れていく。
「……っ、ハァ、ハァ……! フィリア、右だ! 建物から飛び出してくるぞ!」
「……っ、矢が……! 足りなくなるわ……!」
『ホークアイ』を維持し続けるフィリアの瞳にも、隠しきれない疲弊の色が滲む。
「『守備力を下げる魔法』……ッ! い、いえ、今は回復を……! 聖なる光よ、彼らを繋ぎ止めて……!!」
セシリアの必死の祈りが、崩れかけた防衛線の兵士たちに僅かな活力を与える。
だが、その背後で逃げ惑う人々の数は一向に減らない。いや、恐怖で足が竦み、動けなくなった人々を、魔物の波が容赦なく飲み込もうとしているのだ。
シンジは、喉の奥で鉄の味がするのを感じた。
これは『冒険』じゃない。 かつてサカデウスで経験した、一対一の死闘とも違う。 これは、個人の武勇など一切を無意味にする、圧倒的な物量による『戦争』の風景だ。
魔物を斬った際の手応え。その鈍い感触を繰り返すたびに、シンジの心は摩耗していく。
(これが……軍事的な『特需』の正体か……?)
昨日見つけた正規軍のナイフ。不自然な物資の滞留。
それらすべてが、この燃え盛るバルディアの炎の中で、最悪のパズルとして完成しつつあった。
終わりの見えない殺戮の宴…
四人は、自分たちが運んできた『武器や防具』が、どれほど皮肉な意味を持っていたのかを痛感しながら、ただ必死に、名もなき誰かの命を繋ぎ止めるために、終わりのない剣を振り抜き続けた――。




