番外編02 「境界線」
**登場人物**
- ハサン(ケルド人移民コミュニティのリーダー)
- ユスフ(若いケルド人移民)
- ファティマ(ケルド人女性)
- アブドゥル(中年のケルド人労働者)
- その他のケルド人移民たち
**舞台**
大国内のケルド人移民居住区の集会所
---
**起**
七日間事変から一か月。
ニッポンの変化は、世界中に影響を与えていた。
ニッポンのケルド人移民居住区。
古い集会所に数十人が集まっている。
全員がケルド系の移民だ。同時に、この地域の総数で数万を超える、ケルド人移民のリーダー的存在たちでもあった。
壇上に立つのは、ハサンという中年の男だ。
四十代半ばだろう。
顔には深い皺が刻まれている。苦労の後を感じさせる風貌だが、しかしそんな男の背筋は、誇りと共にまっすぐ伸びていた。
彼がコミュニティのリーダーである。
「今日の議題はナカソネだ」
ハサンの声が響く。
低く力強く、全員の注目が自然に集まる。
「この国で起きた、七日間事変について」
ハサンは資料を配る。
イチイチ資料にするまでもなく、有名な話だ。
もしかすと、今世界で最も熱い話題かもしれない。
「これを読んでくれ」
移民たちが資料を読む。
ナカソネの行動。クーデター。国民投票。そして自決。
沈黙が続く。
無論、ここにいる全員がこの事件を知っていた。
この話題に関わるとなると、色々と考えてしまうのが常識になっている。
やがて若いユスフが手を挙げる。
二十代だが、少しばかり痩せていた。
「質問があります」
ハサンが手で促す。
「どうぞ」
ユスフは尋ねる。
少しばかり興奮していた。
「ナカソネは愛国心で動いたのですよね」
ハサンはゆっくりと頷いた。
「その通りだ」
ユスフは続ける。
言葉を選んでいるのだ。
若いのに慎重な男だった。
「では、我々移民は……」
一拍置くべきと判断したのか
それとも勇気を整えたのか。
なんにしても、彼は言葉を選んだように見えた。
「本当に、この国の国民として受け入れられているのでしょうか?」
会場がざわめく。
心の中で、誰もが同じことを考えていた。
ユスフの質問は、そういう質問だった。
ハサンは答えない。
彼自身も悩んでいる事だったからだ。
そして今日、答えを出した問いでもあった。
それを伝えるために集会を開いたのだが、ハサンはこの話をするにはまだ早いと考えた。何事にもタイミングはある。
ハサンはユスフの質問に答える代わりに、別の質問を投げかける。
「諸君。もし、ナカソネと同じ立場だったら」
彼は全員を見渡す。
「同じように行動できるか。同じように死ねるか?」
沈黙が続く。誰も答えない。
やがて、アブドゥルという中年男性が立ち上がる。
五十代だろうか。がっしりとした、労働者の体つきだ。
顔は日に焼け、手には固い皮膚があった。
「絶対に無理だ」
彼の声は断言的だ。
迷いがなく、正直だ。
「俺には家族がいる。母国には親族もいる」
彼は続ける。
「この国には、出稼ぎに来ている。そんな国のために死ぬなど考えられない」
会場が頷く。
多くが同じ気持ちだ。共感が広がっている。
しかしナカソネに影響されているらしい、ユスフは叫ぶ。
「ならば俺たちは何なのだ!」
彼は混乱している。
答えを知りたがっていた。
「移民か。市民か。それとも」
彼は言葉に詰まる。
その言葉を口にする事に抵抗がある様に。
「ただの部外者なのか?」
会場が混乱する。様々な意見が飛び交う。
「俺たちは差別されている」
「市民権を得ても二級市民と同じじゃないか」
「この国は我々を受け入れていない」
「帰れと言われる」
「仕事を奪うなと罵られた」
声が重なる。
これ以上は収拾がつかなくなる。
――そうなる前に、ハサンは手を上げる。
「静粛に」
会場が静まろうとしている。
しかし、まだざわめきは残っている。
いい塩梅であった。
**承**
ハサンは深く息を吸う。
これから彼は、彼の答えを伝える必要がある。
「前提が間違っていた」
彼は宣言すると、全員が驚く。
何を言っているのかと、目を見開いている。
「何が間違っていたのですか?」
ファティマという女性が尋ねる。
三十代前半か。知的な雰囲気があり、声は落ち着いている。
そんな彼女に、ハサンは説明する。
丁寧に、分かりやすく。
「我ら移民は、ニッポン人になりに来たわけではない」
彼は真剣だ。
気付いてしまえば、当たり前だ。
そんなことを言おうとしている。
「ニッポンの土地に住んでいる。ケルド人だ」
会場がざわめく。
驚きが広がる。
ハサンは当たり前のことを言っている。
だが指摘されるまで、誰も気づいていなかった。
「いや、その通りですが?」
ユスフが言う。
戸惑いが滲んでいた。
「それが何なのですか?」
何を今更と、そう思う者が多い。
同意の声が上がる。
しかしほとんどの人間は、ハサンの言いたい事を理解していない。
故にハサンは続ける。
「言っただろう。前提を間違えていたのだと」
前提を間違えていたのだと、その言葉を繰り返した。
「移民は差別されているだとか。ニッポン人と同様の利権をだとか」
彼は首を振る。
そんな言葉を、コミュニティリーダーの彼が否定する。
しかし、それで良いのだと気付いていた。
「そういう話ではないのだ」
彼の言葉は、これまで以上に真剣だった。
「ニッポン人とケルド人は違う」
彼は宣言する。
当然のことを繰り返す。
しかしこの当然は、忘れられている事でもあった。
「違うなりに、一緒にやっていく努力が大事だったのだ」
会場は沈黙する。
ハサンの思いは伝わっていない。
納得できないというより、主張がピンときていないのだ。
抽象的すぎる。具体性が欲しかった。
困惑と共に、アブドゥルが尋ねる。
「どういうことです」
ハサンは具体例を挙げる。
「例えばだが。お前」
彼はユスフを指す。
「ナカソネのように、見も知らないニッポン人のために死ねるか?」
ユスフは即答する。
「いえ…… 死ねませんよ」
ハサンは頷く。
「だろうな。俺も死ねない」
彼も認める。
「そもそもこの国には、死にに来たのではないしな」
会場に笑いが起こる。
緊張が和らぐ。
しかしハサンは、真剣に続ける。
重要なのはここからだった。
「だがニッポン人は、道路の整備を行うか? 廃材の解体はどうだ?」
ユスフが答える。
「まあ。やらないでしょうね」
推測だが、外れているとは思わなかった。
彼は続ける。皮肉を込めて。
「だってニッポン人がその仕事をやらないから、移民を入れる。なんて言い出したわけじゃないですか」
炎天下での重労働。冷え込む冬の夜通し工事。
道を使う住民のために作業している。しかしかけられる言葉に、ねぎらいはない。うるさい、汚いと、冷ややかな言葉ばかりだ。
――もう少し煽れば、次に出るのは批判だろう。
そんな感情を滲ませるユスフ。
だからハサンは分かっていると頷いて、補足するように言葉を続ける。
「言いたい事は俺もあるが、ニッポン人の疲弊している顔を見てみろ」
故に彼は説明する。
彼らにとっての現実を。
「過去の栄光に縋っていたが。要するにあいつら、インフラの維持にまで労働力が回せないだけさ」
アブドゥルが同意する。
ハサンの言い分に納得した表情だった。
「確かに、一理ありますね」
ハサンは微笑む。
「だろう?」
**転**
ハサンは本題に入る。
全てはここに繋がる。
「だから、ギブアンドテイクだ」
彼は宣言する。
「俺たちは移民だが、主張するべきは移民としての権利じゃなかったんだ」
その言葉に、彼らの間に衝撃が走った。
何を言っているのか。
利権を主張しないでどうする。
疑問が湧く。しかしハサンは続ける。
「出稼ぎに来た労働者なんだから、主張するのは賃金で良かったんだ」
ハサンは続ける。
シンプルな答えだった。
「労働条件に居住も組み込んでくれたら最高だし」
彼は笑う。
「それでアパートを建てるとでも言ってくれたら俺たちの仕事も増える」
「……つまり?」
ファティマが尋ねる。
まだ理解できていない。
ハサンは答える。より明確に、分かりやすく。
「ニッポン人が気付くよりも早く。インフラ関係の職に就く」
彼は真剣だ。
目には光がある。
活力に燃える、野心とも呼ばれる激しい光が。
「雇用の活性化をしたい? 結構じゃないか。誰がインフラを整備して維持するのか、その発想が抜けている。俺たちが居ないとやりたい事がやれないって事に、熱に浮かされたあいつらは、まだ気づいていない」
彼は説明する。
「これから起こる社会インフラ整備と、インフラの老朽化補修を考えれば」
彼は拳を握る。
力が入った。
「ここで真面目に働くだけで、俺たちの主張は十分に通るようになる」
街を作りたい?
――結構じゃないか。幾らでやろうか?
道路の補修をしたいのか。
――なるほど。うちなら安くしておくよ。
移民問題に必要なのは、権利を主張する事ではなかった。
発想は、ナカソネが示した。
――現実の選択を突き付けられた時、人は理想ではなく現実を選ぶ。
ただそれだけの、単純な話。
断言した。
会場が静まる。
なるほど、そういう事かと理解が広がる。
しかし、ユスフは冷静だった。
「それは、愛国心とは関係ないのでは」
ハサンは即座に頷く。
「その通りだ」
彼は認める。
隠す必要が無いからだ。
「俺たちに必要なのは愛国心じゃない」
彼は宣言する。
新しい方針を。
「プロ意識だ」
会場がざわめく。
衝撃が走る。
愛国心ではなく、プロ意識。
その言葉が胸に響く。
ハサンは説明する。
「ナカソネは愛国心で動いた。素晴らしいことだ。それは認めるべきだ」
彼は認める。
尊敬を込めて。
そして続ける。現実を見据えて。
「しかし俺たちは違う。ニッポン人ではないからだ」
彼は真剣だ。
真剣に、新たな道を示そうとしていた。
「俺たちは労働者として。プロとして動く」
アブドゥルが理解する。
「つまり、仕事の質で認められろと」
ハサンは微笑む。
「その通りだ」
彼は続ける。
間違った道を進む必要はなった。
「差別されている。権利を寄こせ」
彼は首を振る。
そうではないと、否定する。
「そう叫ぶのは簡単だが、過剰な主張は分断を産み、国の弱体化を招く。折角言葉まで覚えて出稼ぎに来ている国が弱体化するのは、できれば避けたいだろう」
その通りであった。
そう言われると同意するしかない。
ハサンは賢く、現実的であった。
彼らのリーダーに相応しいと、改めて感じた。
「俺たちの仕事を見せる。必要だと分かれば、自然と認められる」
ファティマが質問する。
不安が残っている。
「しかしニッポン人との違いは」
ハサンは即答する。
気にした様子はない。
「違いは武器だ」
彼は説明する。
「ケルド人はケルド人の文化を持っている」
彼は続ける。
「料理。音楽。祭り」
彼は微笑む。
「それを共有すればいいのか」
アブドゥルが付け加える。
ハサンの言いたい事が、だんだんと理解できてくる。
「同化するのではなく、共存する」
ハサンは頷く。
「その通りだ」
**結**
会議が終わる。
長い議論だった。しかし、実りがあった。
移民たちは納得した表情だ。
背筋が伸びている。彼らの中で、何かが変わっていた。
ユスフがハサンに近づく。
「ハサンさん。ありがとうございます」
ハサンは微笑む。
しかし、厳しさも残る。
「礼を言うのは早い」
彼は真剣だ。
現実を見つめている。
「これから実行しなければならないからな」
ユスフは頷く。
「わかっています」
彼は決意する。
「明日からインフラの仕事を探します」
ハサンは肩を叩く。
「頼むぞ。そう遠くないうちに、求人が溢れる筈だ」
ニッポン政府の改革が本気なら、職に就けないなんてこともない筈だ。
ファティマも近づく。
「私は料理でサポートします」
彼女は微笑む。
「可能なら、ケルド料理のお店を出したいと思います」
腹が減れば飯屋が儲かる。
良い事だと。ハサンは喜ぶ。
「素晴らしい」
アブドゥルも宣言する。
野心が目に宿っていた。
「俺は道路整備の会社を作ります」
ハサンは握手を求める。
「よろしく頼む」
全員が散会する。
しかし希望を持って。
その夜、ハサンは一人で考える。
「ナカソネ」
彼は呟く。
「あなたは世界に、愛国心の在り方を示した」
彼は窓の外を見る。
「気付かされたよ。俺たちには別の道がある」
彼は微笑む。
「人としての働き。隣人を受け入れる事」
彼は立ち上がる。
「それで十分だったのだな」
変化はすぐに始まった。
ケルド人移民たちがインフラ関係の仕事に就く。
道路整備。建物の修繕。清掃。
全てを真面目にこなす。
質の高い仕事だ。
徐々に評判が広がる。
「ケルド人は仕事が丁寧だ」「信頼できる」
依頼が増える。雇用が増える。収入が増える。
ファティマの料理も人気だ。
労働者とは関係のない、地元の住民が立ち寄るようになる。
「ケルド料理は美味しい」「スパイスが癖になる」「文化が深い」
交流が生まれる。
会話が弾み、理解が深まる。偏見が消える。
アブドゥルの会社も成功する。
従業員を雇う。
ケルド人も、ニッポン人も。
数ヶ月後、ハサンは再び集会を開く。
同じ集会所だった。
しかし、雰囲気は違っていた。
明るいのだ。笑顔がある。
「報告を聞こう」
ユスフが立つ。
「インフラの仕事は順調です。仕事が絶えません」
ファティマも報告する。
「料理の評判も上々です。もしかすると、お店も持てるかも」
彼女は嬉しそうに付け加える。
「ニッポン人の友人もできました」
アブドゥルも続く。
「会社は黒字です。とにかく仕事が多いです」
彼は胸を張る。
「従業員も増やしました。ニッポン人も共に働いています」
使われるばかりでなく、使う。
会社で感謝を意味するケルド人の言葉を使われた事に、ハサンは確かな絆と充足感を感じていた。
「素晴らしい。やはり、これが俺たちの道だった」
ハサンは宣言する。
間違っていなかった。
今なら胸を張ってそう言える。
「愛国心ではなく。プロ意識で」
全員が拍手する。ハサンは続ける。
「ナカソネは偉大だった」
彼は認める。
「しかし俺たちは、彼を真似する必要はない」
彼は真剣だ。
自分たちの道を歩む。そんな誇りに満ちている。
「俺たちは、俺たちの方法でこの国に貢献する」
彼は微笑む。
「それで十分だ」
全員が頷く。会議が終わる。
しかし新しい始まりだ。
ケルド人移民が道を見つけた。同化ではなく共存の道を。
愛国心ではなく、プロ意識の道を。
それは簡単ではない。
まだ差別もある。偏見もある。
しかし確実に前進している。
仕事の質で。文化の共有で。
少しずつだが認められている。
ハサンは一人で街を歩く。
整備された道路を見る。ケルド人が作った道路だ。
もはやこの町に、ケルド人だから出ていけという人間は一人もいない。
町は一つになっていた。
「これが俺たちの答えだ」
彼は呟く。
「ナカソネ。あなたは国のために死んだ」
彼は空を見上げる。
「俺たちは死なん。俺たちは、俺たちのために生きる」
彼は微笑む。
「それぞれの愛し方があるという事だ」
夜が訪れる。
ケルド人居住区に明かりが灯る。料理の匂いが漂う。
音楽が聞こえる。笑い声が響く。
そこには確かな生活がある。
この国で、移民として。
しかし人間として。
誇りをもって生きるのだ。
それが彼らの答えであり、そしてそれで十分だった。




