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番外編01 「観測者たち」


**登場人物**

- ジョンソン(大国の国防関係者)

- マクレガー(軍事企業CEO)

- ロスチャイルド(金融会社代表)

- アンダーソン(情報分析官)

- ウィリアムズ(元軍人・現コンサルタント)

- ブラック(会合の主催者)


**舞台**

大国の秘密会合室


---


**起**


 七日間事変の終結は終結した。


 その結果を受け、ある大国の秘密会合室には人が集まっていた。

 長いテーブルを囲んで、六人の男が座っている。厳重に警備された一室に座るのは、全員が強力な権力者だった。


「信じられん」


 口火を切ったジョンソンは、苛立たし気に資料を叩いてた。

 乾いた音が室内に響く。


「ニッポンが介入しなかったとはな」


 マクレガーが苛立つ。


「こちらは三千億の商談が消えた」


 彼は軍事企業のCEOだ。

 ミサイルや戦闘機を売る予定だった。

 その全てが、たったの七日間で水泡に帰した。

 当然、根回ししていた費用の回収目途は立っていない。


 ロスチャイルドも不満を露わにする。

 眉間に皺が寄っていた。


「我が社も融資契約を準備していた」


 彼は金融会社の代表だ。

 戦争には金がかかる。

 高価な戦略物資を湯水のように使う事になるし、民間品の融通の話も出てくる。貸し付けられる金利だって高く、ニッポンが手放すのを渋っている幾つかの離島や技術を担保に取れる可能性もあった。


「どう低く考えても十兆規模になる筈だった」


 下準備が広く、額が大きい。それだけに、彼の言葉には相応の重みがあった。

 頭から不満をあらわにする二人を刺激しないように、アンダーソンは情報を分析していた。


「全て、ナカソネという男のせいです」


 彼は情報分析官だ。

 冷静な口調で事実を告げる。


 「彼がクーデターを起こた。それが原因です」


 出された資料を、ウィリアムズが読みあげはじめた。

 彼らは一般のニュースなど気にしない。

 正確な情報に裏打ちされていないニュースなど、害悪になる事はあっても理になる事など一切ないと知っているからだ。

 しかし手渡された資料には、おおよそ全てのニュース記事が取り扱っていた報道と同じ事実が記載されていた。


 「……信じられん行動だな」


 黙って資料を読み上げていたウィリアムズは、元軍人だ。

 その突拍子もない行動の狂気がハッキリと理解できた。


「艦隊を乗っ取り政府と対峙し、民意を問うた、か」

「正気とは思えん」


 一周回って感心しているウィリアムズに、しかし国防に携わるジョンソンの反応は冷ややかだった。


「そして自決した」


 主催者であるブラックの締めの言葉に、会合室に沈黙が落ちる。

 重苦しい空気が部屋を満たしている。

 そんな沈黙を破る様に、「諸君」と。

 改めて、ブラックが口を開く。

 彼の声は低い。


「今日の議題はニッポンへの対応だ」


 全員が注目する。

 視線が一斉にブラックに向いた。


「我々の計画は失敗した」


 まずはこれを認めなければならない。

 ブラックの言葉に、一同は頷く。


「シンとミンの茶番に乗り、ニッポンに武器を売る」


 マクレガーが拳を握る。


「何時もの仕事だった」


 ブラックは首を振る。


「しかしナカソネのクーデターに邪魔された、と」

「主戦力すら統制できんとは、想定以上の無能だ」

「政府の無能は認めますが、おそらくそれだけが原因ではありません」


 ブラックの言葉にジョンソンが皮肉を付け足す。

 しかしその言葉に、アンダーソンが待ったをかけた。


「あのクーデター自体が、ニッポン国内を混乱させる事が目的であった可能性があります」


 ジョンソンが目を見開いて驚く。


「海軍が我らの工作を見抜いたというのか?」

「不明です」


 アンダーソンの答えは淡々としていた。


「しかし、シンとミンに関わりたくなかったと考えられます。行動の根本にそれがあると仮定すれば、ナカソネの行動には一貫性があります」

「なるほど? まあ仮定としてなら、辻褄が合うように定義するべきか」


 ウィリアムズは納得はしていないが、情報局が言うのならば、それが正しいだろうと割り切ったようだ。

 ブラックが続ける。


「そして今、ニッポンではナカソネの国葬が開かれている」


 ジョンソンが笑う。

 劣っている者を見下すような、完璧な嘲笑だった。


「テロリストを国葬だと?」


 ジョンソンに続き、マクレガーも笑う。

 こちらは、ほとんど吐き捨てるようであった。


「狂っているのか、あいつらは」


 参加者の半分は馬鹿にしたような態度を取っている。

 しかし、アンダーソンは真剣だった。


「確かに、我らには理解できない部分はあります。しかし効果的でした」


**承**


 全員がアンダーソンを見る。


「説明したまえ」


 ブラックが促す。

 アンダーソンは資料を開いた。


「前提ですが、ナカソネの自決はおそらく戦略です」


 彼は詳細を説明する。


「国民の四十四パーセントが空爆を望みました」


 ジョンソンが驚く。

 椅子から身を乗り出しかけていた。


「あれはパフォーマンスではなかったのか?」

「裏は取りました。資料にも記載しましたが、事実です」


 ジョンソンの疑問を、アンダーソンは肯定という形で断言した。

 そして続ける。


「彼らは、政府への怒りで狂気を選びかけました」


 ウィリアムズが呟く。


「衆愚というのは恐ろしいな……」


 想像も出来ん馬鹿どもだ、と。

 その声には、理解できないものへの恐怖が滲んでいた。

 アンダーソンは続ける。


「しかしナカソネは、潔くその責任を取りました」


 彼はグラフを示す。


「結果、国民は急速に一つになろうとしています」


 マクレガーが反論する。


「一時的なものだろう」


 アンダーソンは首を振る。

 訂正を入れるためだ。


「少なくとも、現状は持続しています」


 彼は最新のデータを見せる。


「これは世論調査ですが、ナカソネ支持率は九十パーセントを超えています」


 ロスチャイルドが驚く。


「九十?」


 アンダーソンは肯定する。


「ニッポン人の英雄像は複雑です。まあ私たち風に言い換えると、殉教者に近いのがナカソネだと思ってください」


 ジョンソンが考え込み、眉をひそめた。


 「……つまり利用できるということか」


 ブラックが尋ねる。


「発言の意味を聞いても?」

「つまりはノリが良く、士気の高い国民が居ると言いたい」


 ジョンソンは笑っている。

 見るものを不快にする、不気味な笑いだった。


「世論操作次第では、内戦を起こせる芽はある。例えば過激派に情報と武器を流すとかな。シンとミンの情報を軽くリークしてやっても良い。背中を押すのは簡単だ」

「確かに。四十四パーセントが空爆に賛成した。これは事実だ」


 ジョンソンの言葉に、マクレガーが同意する。

 商機を見出した。そういう表情をしていた。

 二人の言葉に、ロスチャイルドも乗る。


「ナカソネの名を使えば――」


 半数が乗り気で同意しかけている。

 しかし、ウィリアムズが会話を遮るように異を唱えた。


「待て」


 全員が彼を見る。


「危険だ。リスクが考慮されていない」


 ウィリアムズは警告する。

 表情が厳しい。


「確かに四十四パーセントは空爆を選んでいる」


 彼は資料を指す。


「しかし四十八パーセントは理性的な判断を下している。この事実は無視するべきではない」


 アンダーソンはウィリアムズに同意する。


「ウィリアムズさんの言う通りです」


 彼は別のデータを示す。


「それに、今のニッポンは国際世論の注目も高い」


 ジョンソンが尋ねる。

 大きな損をしたばかりだからか、苛立ちを隠せていない。


「それが何だというのだ」


 ジョンソンの問いに、アンダーソンは冷静に答える。


「下手な工作をすれば、ニッポンがどう反応するか分かりません。国際世論も。ひいては我が国の世論もです」


 彼は真剣だった。

 目が細まっている。

 ウィリアムズが続ける。


「下手に首を突っ込めば、我々が非難の標的になる可能性がある」


 本質的に、世界と世論は分かりやすい悪者を求めている。

 この国に生まれた以上、その言葉は非常に親しみがあった。

 会合室に緊張が走る。


**転**


 ブラックが立ち上がる。

 沈黙に、椅子が引かれた音がやけに大きく響いた。


 「諸君」


 彼の声が響く。

 人の視線を引き、意識を持っていく。

 そんな威厳のある声だった。


「冷静に整理しようじゃないか」


 全員が静まる。


 「ニッポンへの工作は、なるほど。確かに危険かもしれない」


 ブラックは認める。


「これは、アンダーソンとウィリアムズの意見に同意するべきだ」


 つまり、何もしない事を選択しようとしている。

 そんなブラックの言葉に、ジョンソンが不満を漏らす。


「しかし損失が――」


 ブラックは手を上げ、彼の言葉を制止する。


「損失は承知している」


 彼は窓際へ歩く。

 足音が響く。


「しかしそこを主張したければ、我が国の状況も考慮する必要が出てくる」


 マクレガーはおうむ返しに聞き返す。


「我が国の状況?」


 「そうだ」と短い同意をし、ブラックは振り返ってマクレガーに尋ねる。


「我が国の経済は順調か?」


 全員が黙る。

 誰も答えられない。

 そもそも自国の経済が順調ならば、ニッポンにくだらない工作をする必要などないのだ。そんな事、ここに座っている人間の皆が理解していた。


 「答えろ」


 ブラックは命じる。

 声に力が籠る。上に立つものの威厳がある言葉だった。

 ロスチャイルドが、仕方ないとばかりに代わりに答える。


「いいえ。失業率は緩やかにですが、確実に上昇しています」


 ブラックは続ける。


「貧富の差は?」


 これにはジョンソンが答えた。


「拡大傾向です」


 ブラックは畳み掛ける。


「国民の不満は?」


 彼は怒鳴ってはいない。

 しかし威厳に満ちたその声を無視できない。

 ウィリアムズが答える。


「臨界点に近いでしょう」


 ブラックは頷く。


「そうだ」


 彼は全員を見渡す。

 一人一人を見る。

 簡潔な問答で皆頭が冷えたのか、ブラックの言いたい事は伝わったらしい。


「我が国も危ういのだ」


 アンダーソンが付け加える。


「……ニッポンの一件。七日間事変と呼ばれるあれは、世界中で報道されました」


 彼は資料を示す。


「民主主義のあり方が議論されています」


 マクレガーが理解を示す。


「つまり我が国でも」


 アンダーソンは頷く。


「クーデターの可能性を完全には否定できません」


 ジョンソンが笑う。

 しかし、笑顔に浮かんでいた自信は弱くなっている。


「馬鹿な。我が国の軍は忠実だ」


 否定の言葉だ。

 しかしジョンソンのその言葉に、ウィリアムズは冷静に反論する。


「ニッポンもそう考えていました。しかしあの一件が起こった」


 ジョンソンが黙る。

 反論できない。

 事実彼は、ニッポン軍がクーデターを起こしたと聞いた時に笑ったからだ。

 どこのゴシップ記事が言い出したと、最初は取り合いすらしなかった。


 ブラックは結論を述べる。


「これ以上、ニッポンに関わるべきではない」


 彼は声を荒げず、しかし力強く宣言する。


「リターンがあるのは否定しないが、リスクが大きい」


 全員が頷く。

 しかし、ブラックの表情は複雑だ。

 何かを考えているようだった。


「ナカソネ……か」


 そして彼は、呟くようにその名を口にする。


**結**


 会合が終わりかける。

 ロスチャイルドが、ブラックに尋ねた。


「ブラック。あなたは、何か思うところがあるのでは?」


 ブラックは答えない。

 彼は窓の外を見ている。

 遠くを見つめているようだった。


 「我が国も分断されています」


 ロスチャイルドは続ける。


 「肌の色。貧富。性別。学歴。主義主張」


 列挙したそれは、ごく一部だ。

 この国に根付く分断の本質。

 彼は深く息を吸う。


「ニッポンより長く、深い分断です」


 ロスチャイルドの言葉に頷きながら、アンダーソンが付け加える。


「しかしニッポンは一つになりつつあります」


 ジョンソンが呟く。


「ナカソネのおかげか」


 ウィリアムズが尋ねる。


「もし我が国にも、あのような男がいたら……」


 全員が沈黙する。

 その続きは、誰も答えたくなかった。

 自分たちに出来なく、あのニッポンにできたという事を認めるなどと。

 それを認めるには、自負とプライドを飲み込む少しの時間を必要とした。

 やがてマクレガーが言う。


「我が国の問題も解決するのでしょうか」


 ブラックはゆっくりと振り返る。

 そして、簡潔に答えた。


「しないだろう」


 彼は冷静で優秀だった。

 感情を排している。


「このケースは特殊だ」


 彼は説明する。


「ニッポンは過去の栄光に固執していた」


 全員が頷く。


「確かに巨大な戦力を保有していたが」


 一息の溜めの後、ブラックは続けて告げる。


「指示機能を持つ政府は無能で、戦力管理は杜撰だった」


 やはり全員が同意し、アンダーソンが引き継ぐ。


「周知の事実です」

「そうだ、これは事実だ。そして広く知られている。だがニッポンはその事実を放置していた。だからこそ、ナカソネはクーデターを成功させる事ができたと言える」


 彼は窓に背を向けたまま話を続ける。


「我が国では不可能だ」

「理由を聞いても?」

「軍の管理が厳格だからだ」


 ジョンソンが尋ねる。

 ブラックは振り返りながら答えた。

 彼にとって、それは単純な事実だったから。


「仮に一部が反乱に成功しても、大統領命令で動員できる総軍は反乱軍の数を容易く上回る。州の独自軍隊も存在しているし、諜報網も完璧だ。反乱軍の素早い初動は難しい」


 自称でしかない強国で、借り物の力を振るうニッポンとは根本が違う。彼らの国は、伊達で軍事大国を名乗っている訳ではない。

 補足するように付け加え、説明を続ける。


「それに我が軍の空軍は強大だ。最新の衛星兵器を使えば、内陸からでも海上の戦艦を撃滅する事は可能だ」


 ウィリアムズが同意する。


「その通りですね。このような形でのクーデターであれば、即座に鎮圧されるかと」


 「それに」と言葉を続け、ブラックは別の理由を述べる。

 彼は真剣だ。表情が引き締まっている。


「ナカソネがやったのは、死と勝利の破棄を前提としたクーデターだ」


 全員が息を呑む。

 誰も言葉を発しない。


 「彼は民主主義の勝利という、奇麗な勝ちだけを国民に渡した」


 ブラックは続ける。


 「どれだけニッポン国内で美化されようと、ナカソネの名前は国際的にはテロリストとして記録され残り続ける。今は良いだろうが、情勢が変わればニッポン国内からも簡単に非難の的になるだろう」


 長く経験を積んだブラックからすれば、これは予測ではなかった。

 まず間違いなくそうなるだろうと言う、予言に近い確信。

 しかし。いや、だからこそか。

 ブラックの言葉には、どうしても熱がこもる


「それでもやつは、テロの実行犯として自決を選んだ。主役は国民なのだと、責任だけを持って行ったのだ」


 彼は全員を見渡す。

 一人一人の目を見る。


「我々の中に同じことができる者がいるか?」


 誰も答えない。

 目を合わせない。視線が逸らされる。

 ブラックは首を振った。


「責めているのではない」


 彼は自嘲する。おそらく、苦笑いだった。


「私もできん」


 その言葉に、会合室には沈黙が降りた。

 ブラックと言う男を知るからこその沈黙だった。


 ロスチャイルドが呟く。


「愛国心とは何でしょうか」


 ブラックは答えない。しかし考えてしまう。

 愛国心。

 国のために死ねるか。それが愛国心なのだろうか?

 生きて国を盛り立てようとするのは逃げなのか? 国を愛していないのか?

 おそらく問いに対する回答は、考えた所で出てこない。

 きっとその結論を出せるのは、“その時”が来た瞬間なのだ。


「それに」


 ロスチャイルドの問いに答えないまま、ブラックは別の疑問を呈する。

 こちらの方が問題なのだと、周知するように。


 「仮に同じことが起きたと仮定して、我が国の国民は踏み止まれると思うか?」


 全員が黙る。

 誰も答えられない。


「政府を空爆するとテロリストが宣言し、首都にチェックメイトをかけられて」


 ブラックは苦笑する。


「過半数…… いや。誤魔化すのをやめよう」


 一拍置き、訂正する。


「低く見積もっても、六十パーセントは空爆に賛成するのではないか?」


 不満をためている低所得者層。

 拡大した貧富の差により、低所得者層は人数的には多数派となっている。彼らの人数と現状の経済状況を考慮して、ブラックが弾き出した数字がそれだった。

 アンダーソンが同意する。


「その通りになる可能性は高いかと」


 ブラックは溜息を吐く。深く、長く。

 情報局に肯定されて、嬉しくないのは珍しかった。

 しかし、認めなければ話が先に進まない。


「我が国はニッポン以上に貧富の差が拡大している。不満も同じくだ。これはもう、現実的な綺麗ごとでは埋めようがない」


 彼は窓の外を見る。


「我が国は病んでいる」


 打ち過ぎたカンフル剤によって、内臓に疾患を抱えたようなものだ。今まで行ってきた治療の結果が、当たり前の事実として内側を蝕んでいる。

 これは、その類の話だった。

 否定材料を探すが、誰も具体的な反論は出来なかった。

 重たい沈黙を破る様に、ブラックは結論を述べる。


「何にしても」


 彼は全員を見る。


「火が付いたニッポンに、敢えて関わる必要はない。工作もやめておけ」


 彼は宣言する。


「今はそれで構わん」


 全員が頷く。

 会合が終わり、一人また一人と部屋を出る。

 最後にブラックが一人残る。

 彼は窓際に立っていた。

 遠くに、この国の首都が見える。


 高層ビル群。しかしその足元には、スラムがある。

 貧困が。絶望が。

 見なかったようにしてきた、振り払ったつもりの罅割れが。

 未来に、ようやく追いついたのだと主張しているようであった。


「ナカソネ」


 ブラックは一人呟く。


「お前は幸運だったな」


 彼は自嘲する。


「国民が賢明だった。それとも、耐える事に慣れているのか」


 どちらにしろ、彼の国では無理だ。

 クーデターなど起こせば、確実に内戦になる。

 国民は分断されすぎている。十年前と比べてすら、理性のストッパーが緩くなっているのは明らかだった。

 予想ではない。全て、単なる事実であった。


「羨ましいものだな」


 ブラックは認める。


「一つになれる国とは」


 彼は部屋を出る。

 廊下は暗い。

 しかし、彼の心はもっと暗かった。

 希望が見えない。変革の道が見えない。

 ただ停滞だけがあり、腐敗の沼に足を取られる。

 転ばないように歩くだけで精一杯。大なり小なり、多少頭の回る者ならばその自覚はあるだろう。そして当然、ブラックにはその自覚があった。


 「いつか」


 ブラックは呟く。独り言だった。


 「我が国にも、ナカソネのような男が現れるのだろうか」


 答えはない。

 かつてブラックが若造だった頃、応えてくれた陽気な声は聞こえてこない。

 権力の巨人となった一人の老人のつぶやきは、誰に拾われる事もなく、静かに風に消えていった。



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