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これは、骨だけとなった存在が綴る日記である。
名も、肉も、血も失い、ただ骨と意識だけが残されたスケルトン――かつての自分が何者だったのか、なぜこうなったのか、答えはどこにもない。
歩くたびに軋む骨の音、風に抜ける肋骨の隙間、廃墟に残る壊れた器や壺。
それらは生前の記憶の断片を呼び覚ます。
だがその記憶は、砂のように指の間から零れ落ちる。
「生きているとは何か」
「失ったものは戻らないのか」
問いを抱え、答えを求め、スケルトンは今日も歩き続ける。
これは、そんな果てなき旅の記録である。
三日目
夜明け。
丘の向こうから薄青い光が差しこみ、草むらの影が長く伸びる。
スケルトンはその光をただ、黙って受け止めていた。
骨に温もりはない。けれども確かに、朝の冷気が骨の隙間を吹き抜け、彼の「存在」を輪郭づける。
「かつては……この光を、まぶしいと感じていたのだろうか」
骨の眼窩には瞼がない。だから眩しさという感覚は、とうに失われている。
だが、記憶の奥底で「目を細める」という仕草だけが、幽霊のように浮かびあがる。
その時だった。
森の奥から、旅人らしき一団の声が響いてきた。勇ましい笑い声、武具の触れ合う音。
スケルトンは反射的に木陰に身を潜めた。骨がきしむ音を必死に抑え、ただ彼らをやり過ごす。
――その胸の奥(胸骨の奥?)に、かすかな痛みが走った。
旅人たちの笑い声が、遠い昔の仲間を思い出させたからだ。
焚き火を囲み、肉を焼き、酒を回し合った夜。
その温もりは、もう二度と戻らない。
スケルトンは己の手を見下ろす。
骨だけの手。
「握手」も「抱擁」も「剣を振るう力」すら、もう残っていない。
それでも彼は歩きだす。
丘を越え、かつて村があった方角へ。
そこに何が残っているのか――確かめずにはいられなかった。
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四日目
村の跡地。
草に覆われ、石垣は崩れ、井戸の底は干上がっていた。
だが確かに、ここは「故郷」だった。
スケルトンは跪き、指の骨で土を掘る。
乾いた土の中から出てきたのは、錆びた小刀の残骸。
そして、焼け焦げた木片に刻まれた文字の断片。
「……『ユウ』?」
それは、自分の名だったのか。
あるいは、かつて愛した者の名か。
文字は崩れて判別できない。だが「誰か」がここにいたという事実だけが、胸を締めつける。
思わず空を仰ぐ。
灰色の雲が流れ、カラスが一羽、骨の肩に止まった。
冷たい嘴が頭蓋骨を突く。
だが彼は払いのけなかった。
生き物の温もりを、ほんのわずかでも感じたかったからだ。
その時、背後で声がした。
「……アンデッド、か」
振り向くと、銀の鎧を纏った若き聖騎士が立っていた。
剣を抜き、目を細める。
「ここは聖地だ。死者よ、眠るべき場所へ還れ」
骨の奥底から、声にならない叫びが湧き上がる。
「帰りたい」「思い出したい」「生きていたい」――そんな欲望が渦巻く。
だが、口からは何の声も出ない。
ただ、乾いた顎の開閉が空しく響くだけ。
スケルトンは後退した。
だが聖騎士の剣が月光のように閃き、骨の腕をかすめた。
乾いた音を立てて、前腕の骨が地面に転がる。
スケルトンは拾おうとした。だが、それはただの「骨」だった。
彼自身の一部でありながら、もはや自分ではない。
――失ったものは、戻らない。
胸骨の奥に、その真実が突き刺さった。
四日分の記録を終えても、スケルトンはまだ答えを得られない。
記憶は断片的で、失われた肉体や温もりは戻らない。
だが、問い続けること、それ自体が「生きること」に最も近い証である。
骨の足音を響かせ、風に耳を傾ける。
月光に照らされた自らの姿を確かめるたび、
スケルトンは今日も歩く。
三日目、四日目、そしてその先――果てなき日々は続く。