第6回
「おい」
「止めないでください」
静かだが、有無を言わせないほどこめられた意志は強かった。
しかしだからといって自分の意見を捨てておとなしくそのとおりにする男ではない。
得物を取ろうと手を伸ばす、その先を奪って剣をかすめ取った男は、次の瞬間ぽかりと凍稀の頭にこぶしを落とした。
「ええいっ、とことん我慢の足りないやつだなっ。あんな底の浅い挑発に乗るアホウがいるか!!」
がーっと頭ごなしに怒鳴りつけてくるその姿に一瞬気後れしたものの、凍稀はすぐさま反論しようとする。が、まるで聞く気はないと言いたげに、凍稀が何か言う前に、男は早口でまくしたてた。
「大体だな、殺された主人の仇をとるにしたって無謀すぎるんだよおまえは!!
そんな体で何の勝算もなしにただやってきたっていうだけで、考えがなさすぎると思わないのか! だから相手にまで見抜かれて、ああしてばかにされるんだ! おまえの思考はクソ真面目で実直すぎるっ!」
そうやって口にすることで男のほうも熱くなったのか、叫ばずとも聞こえるというのにわざわざ大声で言って、胸倉つかんでがくがく振ってくる。
そういうおまえのしていることはなんだと訊きたくなるような姿である。
すっかり表の彼女の存在が念頭にないというか、忘れきっているようだ。
「ですが!」
「ですが、じゃない! それとも何か? 魅妖を相手にしても大丈夫だという画期的な策があるとでも言うのか!? 自分の主人の姿してるってだけでのぼせて、フラフラ蛾みたく寄っていきかけるおまえに!
……チッ。これだから人に仕える『飼われもの』はいやなんだ、すぐ死にたがりやがって。単純なんだよ、考え方が!」
ぽいと剣を投げ捨て、もうこれ以上見るのもいやだと言いたげに顔をそらし、最後、独り言めいて口走った俗称には凍稀もさすがに眉を寄せた。
飼われもの。
それは、自分たち操主を持つ魔断を貶める際に魅魎がよく口にする書葉だったからだ。
この男は、主を持つことを拒否し、魅魎と闘うことをやめた『はぐれ』が、自分たちよりも優れた存在であると言いたいのだろうか――そう思って男の横顔を見据える。
二百数十年しか生きていない自分は、彼からしてみれば若輩者かもしれないが、それでもそこまで言われる筋合はないはずだ。
剣を拾い、反論しようとしたとき。
「おやまあ。仲間割れかい?」
からかうような声がして、男に流れかけた凍稀の視線は再び入り口にいる彼女へと戻った。
彼女は自身の存在を軽んじられたと思ってか、軽い口調とは裏腹に、不槻嫌そうに眉を寄せて前髪をかき上げている。
「見苦しい真似をするんじゃないよ、情けないね、凍稀」
「!!」
声質以外、シャナを思わせるものはないというのに、それでもあの声で名を呼ばれたことに、自分でも驚くほど心が揺れる。
その前で、彼女は腰元へ軽く手を添えた。
「やはりな。おまえが凍稀か。向こうでなく。
誘さまが、まるで明け方に紡いだ甘美な夢を語るようにおっしゃっておいでだったよ、おまえは必ず戻ってくるとね。
そう、『あたし』も来ると思っていたよ、凍稀」
「……どういう意味だ」
含みをもたせた物言いに、嫌な考えがもしやと頭中でもたげながらも慎重に問い返す。
彼女はここぞとばかりに手のひらの上に小さな黒球を生み出した。
それは濃く渦を巻きながら周囲の気を歪めつつ広がり、みるみるうちに人の背丈ほどにもなる。
一筋の光も見出すことのできないその奥から凍りつくほどの冷気の気配を敏感に嗅ぎとり、凍稀は自然と剣を抜く構えを取っていた。
時間というものが存在しない、間隙と呼ばれる異空間だ。空間から空間へ瞬時に移動する際、魅魎がよく開く路である。
彼女は、にい、と笑って伏せたまぶたに指を添えた。
「言葉どおりさ。分かるだろう?」
指をはずし、再びまぶたを開く。
そのとき、そこに立っていたのはまぎれもなくシャナだった。
はたしてシャナ以外のだれが、あんな目で自分を見るだろう?
「凍稀……ひどい人。あなたはあたしを救ってくれなかった」
告げられた言葉は発音すら先までのものと違い、それはまさしくシャナのものだった。
憑依体の内に眠るもう一つの意識と交替したのだろうか――そんなことができるなど、1度も聞いたことがない!
動揺しながらも、凍稀の全神経は彼女に釘づけになっていた。
自分を見つめる、愛しさにあふれた、光沢のある瞳。
あれは、間違いなくシャナ。
「シャナ!」
ずっと求め続けた存在を前にして、反射的に前に出る。今まさに結界から踏み出んとしたところで、からくも男によって腕をつかみ止められた。
瞬間、全身にがくん、と強い衝撃が走る。
まばたき一つできず、食い入るように見る彼の前で、さらにシャナは誘うように両腕を広げてみせた。
「凍稲、あたし、腕を切られたわ。足も、胸も、冷たい闇に貫かれた。体中から真っ赤な血が噴き出したの。とても痛かった。真っ暗な闇の中で、あたしは1人っきりで横たわって、だんだん近付いてくる死を感じてたわ。
床にしたたる血の音ばかり耳元に響いて、怖くて、怖くて、たまらなかった。
あなたを、何度も呼んだのに。助けてって、あんなにあなたを求めたのに。あなたは来てくれなかったわね。
死ぬ時は一緒だと、あんなに言いあったのに。あれはあたしに都合よくあわせただけの、嘘だったのね。そうやってあたしの本気をからかって、楽しんでいたんでしょう。
残酷な人」
「ちがっ、それは違います、シャナ!」
大きくかぶりを振り、反駁する凍稀に、シャナは今にも涙をこぼしそうなほど潤んだ瞳を向けて、信じないと、首を振った。
「嘘。愛してくれてるならどうして助けてくれないの? 今もこんなに苦しいのに。こんなに辛いのに。
あたしがこの魅魎に魂を喰われ続けていても、どうせあなたは何も感じないのでしょう? あたしはしょせん、人間だもの。あたしが死んだって、また次の操主を得ればいいだけ。簡単だわ。あたしよりずっと大切な使命があるから、あたしのために死ぬわけにはいかない、っていう大義名文があるんだもの。
だからあなたは見捨てたんだわ! 最初から、自分の命賭けてあたしを助ける気なんか、あなたにはなかった!!」
「そんな、そんなこと……」
「今だってそうよ! そうやって自分1人安全なところに逃げこんで、あたしだけこんなに苦しめて!
大きらいよ凍稀! 凍稀なんか、大きらい! 嘘つき! 卑怯者っ!」
彼女はついに感極まったように大声を上げ、罵りを浴びせかけた。そのまま横の間隙に手をかけ、もぐりこもうとする。
「違います! シャナ! どうか聞いてください! あのときは――」
「聞くことなんか何もないわ! もう顔も見たくない! 結局自分が一番大切なのよ、あなたは!
助けることもできないくせに、よくあたしを愛してるなんて言えたわね! 命よりも大切な人、なんて言って……そんな気なんか、これっぽっちもなかったくせに! 嘘つき!」
「シャナ!」
「……罠だぞ」
ぼそり、男がそんなことをつぶやいたが、何の意味もなさないのは男自身分かっていてか、それはあくまで形だけのものだった。
そんなこと、分かっているのだ。
許容というものをはるかに超えた、大量の血が恐ろしい速度で全身を駆け巡っている。がんがん脈打つこめかみの熱い痛みを感じながら、凍稀もまた、その言秦を噛みしめていた。
シャナがあんなことを口にするはずがない。自分が凍稀と知り、シャナの記憶を読んで、つけ入る手口を変えただけの、これは罠だ。
シャナは喰われた。あの魅妖が彼女の心臓から生気を抜くさまを、自分は見たじゃないか――何十回となくそう思っても、この衝動は抑えられなかった。
シャナがあんな目で自分を見、あんなことを言うなんて。自分の想いまでも疑われ、嫌われるなんて、到底堪えられるものか。まだ死んだほうがましだ!
「シャナ! 待ってください!」
腕を振り払い、叫んで前に出た凍稀を、今度ばかりは男も止めようとはしなかった。
緒界を抜け、走り寄る姿を目にしながら、追ってこいと言いたげに間隙へすべり込んだシャナに続いて飛び込む。直後、頭の芯まで凍りつきそうな極寒が周囲から襲いかかって――到底堪えがたい、全身を千々に裂くような激痛が脇腹の傷から走って、凍稀は目をくらませた。手足の感覚が鈍り、意識が急速に遠のいていくのが分かりながらも、どうすることもできない。
「ったく、しかたのないやつ」
苦笑してつぶやく男の声をすぐ後ろに聞きながら、凍稀は最後の意識を手放した。




