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第2回

 十六夜の月が雲の切れ間からその一部を覗かせるころ。雨は小降りになっていた。


 しとしと降りつむる、滴は小さい。この分だと朝方には霧になるだろう。

 そんなことをからっぽになった頭の隅で考えながら、魔断剣・氷鷹牙(ひおうが)の化身・凍稀は岩の間をおぼつかない足取りで歩いていた。


 妖鬼の群れとの闘いに疲れきった体は重く、芯まで冷えきっている。濡れそぼった銀の糸髪が乱れたまま服と肌に貼りつき、脇や肘へとまとわりついて、歩く邪魔をしていた。青冷めた膚は唇から血の気を失い、面差しは白蝋のように白く、はたして本当にその下にはあたたかな血が通っているのかどうか疑問に思える。髪と同じ色をした瞳も深く翳り、眼差しは鈍い。


 夜の闇の中、白く浮き上がったその姿は本来の人外の美貌とも相まって、到底この世に属する生者とは結びつきにくく、もしこの場において彼の姿を目撃する者があれば、むしろ浄化を願い砂海をさまよう幽鬼(ゆうき)と思い、さぞおびえたことだろう。


 凍稀自身はそういった己の姿に無頓着で、まるで砂のつまった袋ででもできているかのように重く手足を持ち上げて、苔むした岩壁に添ってゆっくりゆっくり歩いていく。

 彼の当面の目的場所は、岩壁にあいた洞穴にあった。


 この雨を避け、そして朝を待つための場所としてあらかじめ想定していた場所だ。さほど奥深くなく、入り口も大きめだから、もしまた妖鬼たちがやってきても気付くのに遅れたり逃げ場のない奥へ追いこまれるおそれはない。


 遠からず妖鬼がまたやって来るというのは容易に想像できた。あの場にいたやつらはとりあえず全都片付けたが、この身に闇の傷がついている限り、そこから負のにおいが消えない限り、やつらはまるで腐肉にたかる虫のように敏感に嗅ぎつけ、どこからともなく集まってくるだろう。

 それは、ここにたどりつくまでの2日間、幾度となくくり返されてきたことだった。


 昼夜を問わず、いつ、どこから襲いかかってくるかも知れない相手。この身を引き裂き、内にある生気という輝きを奪いたいがためだ。そのために、やつらはあんなにも執拗に追ってくる。


 それを得られるなら死をも(いと)わないことを思えば健気といえなくもないが、しかしあいにくその望みをがなえてやる気はさらさらない。少なくとも、今はまだ。


 とにかく今は、休める場がほしかった。闘いに疲れた体を休め、穏やかに明日という日を待てる場所。


 それを求めて洞穴の口に手をかける。うなだれたまま中に1歩踏みこんで、凍稀はそれ以上進むのをやめた。

 明るい奥から伸びた人影が、足の甲にあたっている。


 影を追って目を上げると、焚かれた火の前に男が座っていた。入り口の自分へ背を向けて、脇の荷袋から何か取り出そうとしている。


 察するに、旅の者だろう。雨を避けてここに宿をとっているに違いない。

 巻き添えをくわせるわけにはいかないな。


 気付かれる前に立ち去ろうと、静かに回れ右をして外へ出て行こうとした凍稀に向かって、そのとき男が声をかけてきた。


「そんなとこでうろうろしてないで、入るならさっさと入れよ」


 ぶっきらぼうにそう言うと、荷袋から出した砂漠用固形燃料の口をパキッと割って焚き火へくべる。

 下から掻き上げることで空気を含ませ、勢いを盛んにする男の背中を見ながら、凍稀は少しばかりその敏感さに驚いていた。


 いつから気付かれていたのか。気配を悟られるようなミスは犯さなかったはずだが……しかしそれも、これだけ疲弊しきった状態では確信が持てない。


 正直なところ、これ以上歩くのは遠慮したかった。

 この近辺は熟知している。ここから一番近い洞穴までの距離を思うとますます気が滅入るし、そこは浅くて条件も悪い。


 せっかくだ、申し出を甘受しようかという思いに一瞬ぐらりときたが、かといって、親切な申し出をしてくれた男にかけかねない迷惑を思うと、やはりその厚意を受けることはできないだろう。


 その背に向けて一礼し、あらためて背を向けかけたとき。男が身をねじって振り向いてきた。


「そりゃ、また出て行くのもおまえの勝手だけどさ。今の季節、風邪ひきたくなきゃここにいたほうが無難だぞ」


 茶化すように言う。そんな粗雑な物言いをさせるのはもったいないと思うほど、男の声は恵まれたものだった。


 高くもなく低すぎもせず、耳障りの良い、魅力に富んだ声質。肩口からのぞく焚き火の炎によって照らされた面もまた、声から持つ期待を裏切ることなく見目よく整っている。整いすぎていると思うほどに。


 旅の者らしくよく陽に焼けた健康そうな褐色の膚の中、赤玉石(リュビ)色した瞳はさながら最高級の宝石を嵌めこんでいるように透明度が高く、あざやかの一言に尽きた。

 おそらくこれと同じ色合いの物を得るには、大陸中の宝物庫をあさらねばならないだろう。それでもはたして見つけられるかどうか。


「……ですが……」


 そんな、生きた奇跡そのもののような男の容姿になにかひっかかるものを感じつつ、遅れて返す。

 まだ何か言いたそうに凍稀の口は開いていたが、その続きが待てないと、じれったそうに眉をひそめて男は先を奪った。


「そんな格好で出て行かれたら、まるで俺が追い出したみたいじゃないか。それともおまえ、俺といるより雨の中のほうがマシだとでも言いたいわけ?」


 またずいぶん意地の悪い言い方だった。本人もそれと承知しているのか、軽く右肩を竦めると口端を歪めて苦笑する。

 身動いだせいで完全に火を背にしてしまい、凍稀には表情などの細かいところはよく分からなかったが、そうして目の前にいる彼の性が何であるかをうすうす悟ることのできた凍稀は、ためらいながらも応じるように中へ向かって足を進めた。


「そうそう。俺がこんなこと言うのはめずらしいんだからな。言われたほうは黙って受けりゃいいのさ」


 自分の言葉に従った凍稀に満足そうに頷いて、脇へ身をどける。

 破魔の剣を剣帯ごと外して壁に立てかけ、男の正面へ座わったものの、凍稀はすぐ出て行けるように上着を脱こうとしなかった。


 こうしている閲にも妖鬼がすぐ近くまで迫っているかもしれないと思うと気は抜けない。気配を探ろうとちらちら入り口へ目を配る凍稀を見て、男はこうも付け加えた。


「気にする必要なんかないぞ。やつらなら入れっこない」


 まるで胸の内を読みでもしたようなことを口にされ、虚をつかれたこともあって目を(みは)る。


「どうして――」

「分かったかって? おまえさぁ、あれだけ外で大立ち回りやらかしといて、分からないと思うほうがまぬけってもんだろ。

 しかも体中からそれだけプンプン魅魍のにおいを振り撒いててさ。気付かないほうが絶対おかしいって」


 くつり、のどで笑い、違う? と下から覗き上げるように見てくる赤い目に、恥じ入ってあごを引く。

 もう十分考えが足りなかったと恐縮しているのに、そんな彼に仮借もなく、男はさらに辛口をつなげた。


「魅魎につけられた傷は浄化してもらわない限り闇のにおいがしつこく残る。それを魅魎が喚ぎつけて寄ってくることなんか、だれでも知ってる。

 分かってるくせにそんな体で出歩くなんて、馬鹿としか言いようがないな」

「はあ……」


 恐縮そうに言葉を落とす。

 (かしこ)まった凍稀の右手は、無意識に左の脇腹を押さえていた。

 布をつかむ手の作った深いしわに、そこに問題の傷があるなと踏みながら、上辺には気付かないふりをして、男は後ろに反って手をつく。


 男の意味ありげな視線と沈黙に、凍稀はますますいたたまれなくなっていた。


 まだ何も話してはいないものの、男は見抜いている気がしてならない。どうして自分がここにいるかを。


 男の言うとおりだ。魅魎によって闇の傷を負った者は周囲へかける迷惑も考え、何を置いても一番に法師による浄化処置を受けなくてはいけない。一番近いのはザナの町だ。そこへ向かわずこんな所にいることを考えれば、自然と理由は思いつく。

 たとえ自分がザナに配置されていた魔断であることを知らなくても、そんなことは自明の理だ。


 もういいだろう、そろそろ出よう。ここにいれば迷惑をかけるだけだ。


 礼を言うように頭を下げ、剣を手に腰を浮かそうとした凍稀の前で、またもやごそごそと男は荷袋をかき回して、中から取り出した物を凍稀に見せた。


「大丈夫だって。ここに妖鬼なんて低級なやつらは入ってこれない。これがあるからな」


 目の高さまで持ち上げたそれを得意げに覗きこむ。


 それは、ほんのりと翠がかった、透明な珠だった。

 中心で濃い渦を巻いている、男の手のひらより少し小さめのそれからは、高められた純粋な力が強く発せられている。


「それは……まさか、竜心珠(りゅうしんじゅ)?」


 凍稀は目を瞠ると、驚きを隠そうともせずその呼称を口にした。

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