臆する病気
初めまして、阿吽と申します。
どうぞごゆっくりお読みください。
「すいません。二階でもいいですか?」
「うん、いいよいこか」
「すいません、ありがとうございます」
私たちは二階へ行った――
***
銀が転職して、いまの会社に入社してから約一年半が経つ。
最初の半年間は製造現場で作業着を着て働いた。
その後、もともと志望していた部署に入る予定だったが、前職が接客業をしていたこともあり営業部へ異動してほしいと、社長から直々に懇願された。
どうやら、部署全体で人員配置の見直しを行っているらしく、営業部には若いメンバーがいないのでそこへ異動してほしいというわけらしい。
こうして今の部署に配属され、約一年が経過している。
いまの部署では直属の上司である笠谷さんのサポートをしている。
笠谷さんはこの部署の部長で一番偉い人物。そして、私が一番好きだった人物でもある。
現在はサポートとして働いているが、将来的には独り立ちをしてほしいという、極々当たり前なことを望まれているだろう。望まれているというか、普通というか。そこに疑いなどないだろう。
何気ない平日の昼下がり、いつものように仕事をしていると、隣にいる笠谷さんから声をかけられた。内容は先日、お客さんから来た案件の話のようだ。少し嫌な予感がした。
「そういえば、先週末に送ったメールみた?」
「見ました」
「あれ見てなんか質問とかある?」
「‥‥‥質問ですか、特にありませんが、あまり内容は理解できていません」
若干、笠谷さんの顔が引きつる。
「じゃあ、わからないところがあったってこと?」
喉の奥を震わせて少し唸るように悩み、答えた。
「んんん~っと、それもあまりわかっていません‥‥‥」
納得はしていないと思うが「なるほど」と一言放ち、笠谷さんの目はパソコンに戻った。
その時の顔は苛立つ感情が少しだけ表情に出ていた。決して強い言葉を使わないし、面と向かって叱られたこともない。ただ、この人の表情からはいつも目や口元、顔全体の皺からそういう風に感じ取ることができる。
最近、こんな風に少し気まずい会話のラリーをすることが多い。どちらも踏み込んで話をしない。でも、きっとよくわからない別種の生物を見るような目でこちらを見ている気がする。よくは思われていない。
この時にいつも、申し訳ないなと思ってしまう。その反面、なんで理解をされていないのだろうとか、苛立ちの感情も沸々とわいてくる。でも、どちらかと言えば、自責の念にとらわれていることが多い。
銀は人に対して何の興味もない。気にしない。他人からどう思われても良い。そう勘違いをされることが多い。でもそれは、そうして見えるように演じているからだ。見えるべくして見えている。何時からこんな風になったのかはわからないものだが、実際そうなっている。
でも本心では周りの目を気にしている。恐らく人一倍に。仕事ができると思ってもらう方が、余計な仕事もくるだろうが素直に嬉しいし、上司に迷惑をかけたくない。できることなら、俺の右腕だとか褒められたい。とにかく良く思われたい、こどものようなところがある。
数分後、隣からまた声をかけられる。笠谷さんからだ。
先ほどの話の続きをしようという。
銀は少し鼻息を漏らす。
***
そういえばここ最近、なんだかついていない。
意中の女性からの返信は遅いし、紙で手は切ってしまうし、終電を逃してタクシー代をケチって歩いて帰れば、二日後風邪をひいてるし、車のフロントガラスに二か所も鳥の糞が落とされている。傍から見れば落ち込むほどでもないことのようだが、ついていない嫌なことなのだ。
嫌なことがあるとすぐ落ち込み、ぐずぐず考える。でもそれと同時に、この流れを断ち切りたいなとも思う。そんな時、起こった出来事だった。
***
覚悟を決めた。
部署内のフロアでは人目につく。周囲に声が漏れてしまう状態では、周りの目と言うか耳が気になってしまい、本心で話すことができない。私は二階にある静かな部屋で話すことを提案をした――
「すいません、移動してもらってしまって」
「大丈夫よ、で、さっきの話よな」
「はい。続きから話をすると、えっと、わたしは先日送ってもらったメールについては正直、全く理解できていません。それは事実です。ただ、理解しようとはしました」
「言ってたな。それで、何がわからんかったの?さっきも何がわからなかったかわからないと言ってたけど、それやと俺もどうしようもないよ」
どうしようもないことはないだろうと思いながらもまた、唸るように悩み、答えた。
「そうですよね。んんん~、要は甘えたいだけなのかもしれませんが、最初に指示が欲しいんです。早く一人前になってほしいのは重々伝わってきますが、わたしは人よりとても理解が遅いです。納得するまで時間がかかります。それには少し付き合っていただきたいのです。時間がかかるかもしれませんが。こちらからお願いするのも可笑しな話ですが、すいません」
変な日本語になっていたかもしれない。でも、相手に確実に理解をしてほしくてゆっくりと、笠谷さんの目をみて必死に訴えた。
何かを精一杯伝えるとき、銀は涙ぐむ。
特に悔しさや恥ずかしさを感じるときは。
***
小学生の頃、日直当番の役割として、”朝の会”と言う一時間目が始まる前の時間をつかって、昨日あった出来事を発表しないといけないという地獄のひと時があった。
あれは確か、一年生。入学して初めてクラスのみんなの前で、数分の間だけ喋らないといけなかった。先生に呼ばれて教卓の前へ行く。
事前に話題を考えて、律儀にメモまでしていった。でもいざ、黒板の前ヘ一人で立ってしゃべる瞬間、緊張と恥ずかしさで目がうるうるしてきた。
みんなの視線。大した話もしないのに。昨日、兄と公園で遊んだ話をするだけ。上手に話せるだろうか。誰もつまらなさそうな顔をしないだろうか。きっと、そんなことを思っただろう。
そして、口を三角にして落涙した。
結局、発表の場で一言もしゃべれなかった。
***
笠谷さんは少し考えて話始めた。
「ごめんよ、俺も伝え方が悪かった。君はとてもよく動いてくれるし、頭の回転も速い。」
そう言って、これからは最初はヒントをあげるから、まずは一人で考えてみるというやり方にしようと提案をしてきた。もし、それでもわからない場合は一緒に考える時間を作ろうと言うことで話は纏まった。
「すいません、無理を言います。ありがとうございます」
これで少し前に進んだだろうか。悪い流れが断ち切れただろうか。笠谷さんの言ったことはすべて本心だろうか。建前だろうか。
瞬きで潤った眼球は乾いてきており、あの頃のように落涙することはなかった。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
もし宜しければ、☆印で評価をつけて頂けると参考になります。
コメントも大歓迎です。
何卒宜しくお願い致します。