そうだ、転職しよう
魔王とは人の形をしていない、自然災害のようなもの。
数千年に一度、突如として現れ周囲の魔力を汚染し、その淀みから大量の魔族や魔物を生み出して人々へ牙を向く。
誰が言ったか魔物の繁忙期と言うわけだ。
こうしてブラウン大陸の東部トラヴァス王国は魔王との戦いの最前線となった。
それを納めた立役者である六大討滅者『黒雷』のレトロ。
国内唯一の魔剣の所持者であり、その広範囲における殲滅力の高さから味方をも巻き込みかねないので、いつも敵陣のド真ん中へ投下され暴れ回り味方からも恐れられていた対魔兵器。
彼女は言った。「転職しよう」と。
転職……それは自らの人生における大きな分岐点。
新たなる第一歩である。
より厳密に言えば、現在の雇用契約を解除し、今の職場から別の職場へ、または全く未経験の職業へ働き先を変えるということだ。
レトロは多くの時間を魔族や魔物との戦いに費やしてきた。
六大討滅者といえどもそれぞれに自分の役割と人生がある。魔王を倒し、他の魔族や魔物との戦いが比較的落ち着いた後は、それぞれが自分達の元の生活に戻っている。
彼女の場合は元々傭兵だったのでその流れで残党狩りをしていたに過ぎない。
『黒雷』といえば六大討滅者の中でも一、二を争う実力であり広範囲の殲滅であれば間違いなく最強……それが何と転職するとか言い出した。
マクスウェルは務めて冷静に自身の主へもう一度尋ねることにした。
できれば自分の聞き間違いであることを願って。
『……主、今、なんと』
「転職する」
『いやいやいやいや』
全然聞き間違いじゃなかった。
マクスウェルに首があれば全力で横に振っていただろう。
しかしそんなマクスウェルを無視してレトロは鞄の中から紙の束を取り出した。
「とりあえず一緒に選んで欲しい」
『え、選ぶって、何を?』
「転職先。ギルドのアルバイト募集の張り紙をもらってきた」
『あ゛ーー!何か紙の束貰ってるなとは思ってたけどそれかぁっーー!!』
自分が人の姿であれば、テーブルに拳を叩きつけていただろう。
マクスウェルは自分の主人に余計な入れ知恵しやがった人間をちょっと恨んだ。
『いやでもさぁ、主に向いてる仕事ってやっぱり魔物退治とかじゃない?』
「今までそれしかやってこなかっただけで、実はもっと私に向いた仕事があるかもしれない」
『それに主って店番とか接客とか未経験でしょ?』
「誰でも最初は初心者だから」
『何でそんなに前向きなのさ……』
一応食い下がってはみたものの、主人は一度公と決めたら曲げることはない。
賢い魔剣は諦めるのが懸命だろうと判断した。
ギルドの受付嬢にいくつか目星をつけた求人の紙を持ってきて欲しいと頼んだ時も、訝しげな顔をしていたが、自分が新しい仕事をしようとするのはそんなにおかしいだろうかとレトロは内心首を傾げた。
……国の最高戦力の一人がアルバイト始めようとしているなんて誰が想像できるというのか。
「まずはこれ、調合師」
『それってポーション作ったりする仕事?』
「うん」
『それ資格ないとできないでしょ』
言われて募集要項を改めて確認すれば、マクスウェルのいう通り『要資格』と態々強調して書かれていた。
レトロは気を取り直して次の仕事を読み上げる。
「ギルドの受付嬢」
『あー、やめといた方がよくない?』
「なんで?」
『女だらけの職場って当たりハズレ結構あるよ? 虐めとか派閥争いとか、お局様に嫌われでもしたら一発アウトって聞くじゃん』
「魔剣の癖に私より職場事情に詳しいな」
転職案内人か何かなのか、資格云々はともかく何故内部事情に精通しているんだろう。
主人の何ともいえない表情に気付かず、当の魔剣は褒められたことに気を良くしている。
まぁ頼もしいから良いか、とレトロもそれ以上は考えるのをやめて次の紙を見た。
「……あっ」
書かれてる文字を見て彼女は思わず明るい声を上げた。
何かいい仕事があったのかと尋ねる魔剣に見せるようにレトロは初心者・未経験者歓迎!と書かれた紙を掲げる。
『へぇ、いいんじゃないか』
肯定的な返事に、レトロも大きく頷いた。
特別な資格は不要、金額も悪くない。
仕事内容は『配達』で頭より体を動かす仕事で、何よりレトロが客として何度か通ったことのある店だ。
彼女はこの店のドーナツが好きだった。