法律草案戦争
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法律草案戦争
いくつかの世界を手に入れ、安西早百合は今、『法』を作ろうとしていた。
万界すべてに一律に施行する、唯一絶対の法律である。
「『民道』と名付けます」
漢字で書き記されたことに、トークン族の選りすぐりの法律家たちは首をかしげた。
万界軍の公用語は、文法は基本的に英国英語、発音は米国英語であった。
なぜこんなことが起きたかというと、安西早百合は短大時代に『英文学』を専攻して、わりあい真面目に『翻訳家』を夢見たもので、だけれども発音はまっこと日本人的で、訳せるし書けるけれども、声に出せない、ヒアリングもちょっと……な、タイプで、日常が英語に巻き込まれたのは、麾下1332たちが、いずれも基本は米国英語、何人かは日本語を少し喋れます、という連中であったからだった。だから、彼女の発音は米国英語、それもラブクラフトが現役で生きていた古い訛のあるものになっていた。
はっと、その過ちに早百合が気が付いたときには、トークン族はそれを系統化し、教科書を作り、第三系統英文・英会話が樹立していた。
もう直すには莫大な労力が必要とされる段階、だったので諦めた。
日本語だけは流出すまい、と思ったのに、トークン族の知識階級には、万葉集や源氏物語が出回っていた。
そんなわけで、古語も現代語も、トークン族にまではだらだらと漏れまくっていた。
であるから、法律家達は象形文字のような、
『民道』
が、日本語であり、正しく日本語の発音であることを理解した。
「ロウ(LAW)ではなく?」
「法律とわけました。法律は現地に根ざしたものであり、民道は万界にあまねく、平等に、絶対に、すべての規定された罪を罰するものでなければ」
現地の法と混ざるのが嫌だったので、呼び名から変えたのだ。
そして、細部まで決めるのが面倒だったのである。
金貨一枚盗めば死罪という世界と、女を十人殺しても無罪になる世界、が同時に支配下にあるのは困るのだ。そういう大きなところは一律にしたい。
早百合はいったん制定したものを変えることが、どれほどのコストがかかるかを嫌というほど、知っていた。
だから、さっさと『絶対法律』を施行したいのに、我慢し、いくつもの民族を支配してから、骨子を作り上げた。
彼女の時間で400年近くかかっている。
もっとも、トークン族にしてみたら、18年もかかっておらず、彼女の生まれた世界からすれば3年と少ししか経っていない。
時間天秤という、魔法のおかげで、彼女が戦争する世界と、それ以外の世界の時間の進み方は、最大で144倍の差が出るのだった。
白いフードのついた純白のローブ、に似た服を着た早百合がトークン族達の前に立った。
会議室は大型のテーブルと、茶と瞬間湯沸かし器とポットの置かれたワゴンがあり、全員の手には、めくれる電子書籍が開いていた。正しい厚みになるそれは、草案がダウンロードされ、厚みにして、5㎝に至る。資料・図案、各民族の性質なども簡単に入っているとはいえ、戦争と統治と商売に忙しい早百合がよくまあ用意したと呆れるほどの分量だ。
無数のとっちらかしたメモを集めて、冊子にするために、がんばった日々は、吐き気ものだった。
よくまあこんなにあちらこちらに書き込んだものだと自分でも気が遠くなった。
手帳に、本のしおりに、散らばったものを集めるだけでも……麾下総動員であったから。
日本人夫婦の元に、日本で生まれて日本で育ち、英語は学校で習っただけ。
なのに、小難しい専門用語を、英語ですらすらと書き殴っている自分に、ふと妙な可笑しさも湧いたものだ。
書く、のではなく、楽しい物語を読み込んで日本語に訳して、みんなに伝える仕事がしたい、と思った時期があったのに。
今はこうして、逆の身だ。発信元であり、作り手であるのだという。
「さて、集まって貰ったのは、法政大学の、まさに司法を育成する教授陣営、その中でも精鋭を、と言いました」
「本当に、最強の法律家は引退した***老教授なんですが」
トークン族の発音は時々、早百合のような哺乳類・霊長類の耳には難解だった。言葉はどうにはなるのだが、固有名詞は時たま、理解できない。
「そんな連日の論争はがんばれない、と言うことで、我らが来ました。つまり、我らが倒れても、ラスボスとして***老教授が控えておりますこと、まず心にとめて頂きたく」
かぱっと開いた口は、早百合の頭を飲み込めそうな大きさだった。
恐竜から進化し、早百合が知る中でもっとも高い科学水準と倫理観を持つ、頑固な種族、それがトークン族だった。
「彼には、承認印を押すだけの労ですませてさしあげますよ。さて、始めましょう」
それは七日七夜に渡る、熾烈な討論会であった……。
トークン族は頑固だが、妥協を知っている。
平和主義者であり、慈悲深い。
戦争は好きではないが、未知の世界には興味がある。
彼らは安西早百合の支配下についても、己を曲げなかったが、最大のコストパフォーマンスを得られる機会を見失うことはなかった。
彼らは戦争を承認した。
黙認ではなく、能動的に承認した。手助けの道具の開発も請け負った。
代わりに、戦時を定めさせた。
現地時間で144年(トークン族時間では5年ほど)。
それまでに支配しきれなければ、諦めること。そして支配したあとは、その期間が切れたら、身勝手な殺戮・略奪などを行わないこと。
冷徹な、そしてまた厳格な支配者がいないとより血が流れる愚かな種族がいることを、トークン族は知った。だから、早百合の戦争と支配を承認した。
彼女もまた、トークン族をないがしろにできなかった。
一つの世界を攻略するのに、まず二〇年近い調査をしてから、戦争をする。その調査母体、ワンズと呼ばれる移動要塞(平たく言えば宇宙船『艦』)を作成しているのがトークン族であり、技術提供を断られるのは困るのだ。トークン族は『断る』と決めたなら、手足を切り落とされて頭と内臓しか残らなくなっても、声が出せる限り断り続けるだろうと、容易に察せた。
肉体損壊刑、拷問に対して、彼らはわりあい甘く、制度はほとんど彼女の思うとおりにできた。
トークン族は指程度なら切り落としても生えてくるし、目玉を潰しても、医療による再生技術も進み、なにより哺乳類に比べて痛覚が鈍いために、そこいらへんは理解できないようだった。
だが、頑固なのは、そこから先だった。
トークン族は『生命至上主義者』であるのだ。
それは死刑反対とは相容れない。
生命を一つ奪った罪は、生命が一つ失われないことには、償えない。
しかし、生命を奪っていない罪人が、生命を奪われることは許されない。
早百合が自身も被害者ということもあって、性犯罪、ことに強姦犯を死刑にしたいということに、真っ向から反対してきた。
この場合、早百合と同じ猿系の生き物で在れば、「あなたたちはヤる側だからっ」となじれるのだが、トークン族には強姦という犯罪が、そもそもなかった。
爬虫類などに多く見られるように、彼らもまた女性の方が大きかったのもある。だが、もう一つ、要因があった。
女性器が硬い鱗に守られているのと、男性器が柔らかいことだ。受け入れる側が拒否したら、挿入できない、もしくは半ばまで入った状態で、拒否されたら、千切れる。
ということで、彼らには強姦という犯罪がなかった。幼児への性的強要も、この屈強な母に守られている『コドモ』をどうして奪えるというのか。
トークン族の男性が高さ2メートル半、女性が3メートルが平均身長。
その事件が起きた試しがない。最新の性犯罪記録は482年前、女子生徒が自分の尾を好意を寄せていた男子生徒の尾に絡ませて、近接禁止を言い渡された、というものぐらいしかない。
「種族的にわかんないでしょうけれど。処刑が相応なんですよ。再犯率も高いのですから」
「再犯率は、政を行う者が、下げる努力をするものです。去勢でよいではありませんか」
「ああっ、去勢では生ぬるいんですっ」
という早百合の絶叫で、いったん休憩に入った。
トークン族にはハーブティーと塩炒りした貝殻が。
早百合には紅茶とチーズ入りスコーンが。
テーブルに用意された。
「アーリア産の薄桜貝をご用意。ハーブティーはクレシアミントとローズドロップのブレンドです。紅茶は神様の農園産、ファーストフラッシュをご用意。ミルクは温めてあります。スコーンはラズベリー入りもあります。お替りもお申し付けください」
ぺこり、と人の頭と同じ程度はある鼠のようなヤム族がお茶を用意して頭を下げた。
「話が進みませんから、この議題は最後に回しましょう。次は懲役刑の話から」
「社長がよろしければ」
「今より、休憩35分を開始します」
戦争より、統治のほうが面倒くさい。
戦争以外には予定外の面倒事がついてまわる。
移動要塞に名前をつけるだけでも大変だった。名付けを麾下に任せると、きっと気にくわないことになるから、頭を絞って考えた。
戦争は簡単だ。
殺して殺される。
シンプルだ。
本来なら駆け引きなどが生じるものだが、圧倒的な軍備で、圧倒的な破壊力でひたすら蹂躙するだけでもかまわない、最強の軍を保有するので、予定通りに地ならしされていくばかり。
だてに、10年20年と偵察し研究してきてはいないのだ。