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8話 スミレの涙



 浮気者の馬鹿王子に成り下がっていたとしても、横領までは想定外だったのだろう。クレアは目を見開いていた。


 ここで冷静になられたら、きっと作戦は失敗に終わる。彼女の思考を奪うように、ノアは畳みかけた。

 エルレッドは、ドレスや宝石にかかる費用を交際費から出そうとしていた。しかし、第二王子がそれを察知し許さなかった。てっきりエルレッドの個人資産から出しているのだと思っていたが……と、ノアは語る。


「でも、何かおかしいなって気持ちが拭えなくて……。昨日、クレアが侍女ごっこをしていたのも、初めはプレイかなーって思って見てたんだけど」

「コホン! 覗き見は感心いたしません」

「ごめんごめんって。……あれはエルレッドの私室を調査してたんだろ? あの後、オレも少し調べたんだ。レベッカ嬢へのいやがらせ証言集だって嘘ばかりだった」  


 なにを今更という表情で、彼女は「あら、それはお世話様」なんて返してくる。


「まあ聞けって。ここから本題。やっぱり金のことが気になってさ、夜中に調べたんだ。そしたら……北部の大改修事業あるだろ? その支払額が当初の見積もりと違うことに気付いた。金額を改ざんしてるんだと思う」

「え……? それは水増しをして、その差額をレベッカ様に使っているということ?」

「ああ。『金に汚い王族に、王の血は通わない』……口酸っぱく聞かされてたのにな」


 これは王城二大格言として伝えられている鉄壁の法律。王族が横領をしたならば、例え少額であっても王位継承権は剥奪されるという意味だ。

 公爵家のノアも遠からず王家の血を引いているし、王族の婚約者であるクレアも小さい頃から何度も聞かされていたことだ。


「エルレッド様が……横領? 信じられないわ」

「オレだって、信じられない。でも、変わっちまったんだよ! あいつはただのクズだ! すけこましの人でなしだよ!」


 エルレッドを罵ってみると、うっかりイキイキとしてしまう。仲良しだけど、側近は激務なのだ。


「……ノア様。このことを誰かに話しましたか?」

「いや、まだ誰にも。というのもさ、証拠が弱いんだよ。北部の改修事業については、オレが担当したから見積もり額を覚えていて気付いたけど、それも少額なんだ。ミスかなと思わせるような数字の選び方だったし」


 例えば、9484と9848を見間違えてしまう。そんな数字が並んでいた。


「だから、色んなところで支払いを水増ししてるんじゃないかと思うんだけど、エルレッドの目を盗んで全部をチェックするとなると時間が足りない」

「なるほど。そういうことですのね」


 クレアはスッと立ち上がった。目の前の領収書を見るのかと思ったら、なにやら執務室をぐるりと見回している。


 実は、ノアもここから先のことは聞かされていない。エルレッドが何かを用意しているのは知っているが、それが何なのか。どこにあるのかは、知らないままここにいる。


「……なぁ、なにしてんの?」

「エルレッド様はね、とてもキッチリしてるの。真の収支を有耶無耶(うやむや)になどしないわ」


 真の収支が分からなければ、来年度の予算編成時に困ることになる。どの項目にどれだけ水増しをしたか、細かく記しておくのは横領の定石だ。


「裏帳簿があるってことか? でも、執務室に隠し金庫なんてないけど。エルレッドの私室にでも置いてあるんじゃない? 見なかったのか?」


 クレアは「私室の件は黙秘いたします」と強めに断りを入れたのちに、話を進める。


「彼が私室に証拠を置くとお思いですか? わたくしやメラニー侍女長に見つかるかもしれないもの。私室で見つかったら、自分が犯人ですと言っているようなものではなくて?」


 物を隠す前に、まずは真実を隠す。彼なら、不特定多数が出入りする場所を選ぶでしょうね。そんなクレアの言葉に、ノアは深く納得してしまった。確かにエルレッドはそういうやつだ。


 彼女はぶつぶつと呟きながら、執務室の床をコツコツと鳴らす。ヒールの響く音は、エルレッドの机の前で止まった。


「ははっ、まさか引き出しに隠してあるとか? オレも見たけど、なんもなかったよ。細工されてないかも確認したし」

「いえ……裏帳簿……金額から言って、一センチ未満の紙束。この部屋に誰にも見つからない場所なんてない……彼は隠さない。見えるのに、見えていない場所……?」

「クレア?」


 エルレッドのことを考えているのだろう。その紫色の瞳は、朝露をこぼすスミレのように輝いていた。

 彼女は恋をしているのに、今していることは断罪だ。十二年間もかけて編み上げた愛情で、彼を絞め殺そうとしている。


 ―― これも、愛の形だよなぁ


 この表情を、エルレッドに見せてあげたかった。


 世界一、彼を熟知している彼女は「みーつけた」と柔らかく告げながら、一つの紙束を手に取った。


 それは、机の上にある『殿下印必須、未処理分』と書かれた書類箱に紛れ込んでいた。印が必要なものを事務官がここに入れておくのだ。誰でも入れることができるのに、エルレッドだけしか触らない。白い書類の山々だ。


「ふふっ、かくれんぼをするとき、いつもこうなの。エルレッド様ったら、隠れずに鬼の後ろを尾行するタイプの少年だった。宝物探しのときは、私の背中に宝物カードを貼るのよ? どこか深く見えないところに隠してあると思い込ませて、探すのに夢中にさせる。本当にひどい人よね」

「そっかぁ……」


 ノアは思わず泣きそうになってしまった。こんな人を、彼は手放さなければならないのかと。

 宝物カードを彼女の背中に貼ったのは、エルレッド少年の告白だ。きみが僕の宝物だよ。そんな気持ちを込めて、バレないようにそっと背中に触れたのだろう。


「十二年は伊達じゃないな。……中身はどんな感じ?」


 クレアの横からノアが覗き込むと、そこには水増しした支出項目が簡単な暗号になって書かれていた。北部の大改修事業なら、ホクカイシュウとかそんな感じ。


 クレアは食い入るように、北部改修事業の見積もりや領収書を見ていた。それから裏帳簿を見て、目をつむる。

 重たいものが乗っているのか、鋭いものが刺さっているのか。その痛みに耐えるように噛んだ唇が、赤黒くなっていた。


「わたくしが告発します」


 その声は、執務室の床をいくらか冷たくした。


「第二王子に言うってこと?」

「いえ、王位継承権をかけたお話です。第二王子だけの判断で、どうこうできるものではございません。ちょうど……五日後に、公爵八家が集まる場があります。皆様の前で告発をして、判断を委ねるのはどうでしょうか」

「ずいぶんと過激だね」

「一歩間違えれば、アーレイ伯爵家も終わりです。虚偽のいやがらせを通した件、横領の件。まとめて、エルレッド様に支払っていただきます」


 目を見開く彼女は、もう彼のことを愛していないようにも見えた。


 スミレの花びらを滑り落ちた朝露は、流れて地面を濡らす。そこにできた泥濘(ぬかる)みに、誰が足を取られるのか。





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