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7話 泥のような恋



 翌日の午後三時。クレアはきらびやかな水色のドレスを着て、王城を訪れる。


 エルレッドがレベッカに貢いでいる金は、一体どこから捻出されているのか。婚約者がいながら留学先で女を作り、その女を本命として据え置きながら侍女にも手を出すクズ男。きっと、国の金にも手を出しているに違いない。


 それを調べるために、正式な婚約者であるうちに第三王子執務室にやってきたのだ。


 扉の前には警備の騎士たちがいる。クレアが楚々たる婚約者として近づくと、直立不動を少し緩めて敬礼をしてくれた。


「ごきげんよう。殿下はいらっしゃるかしら?」

「第三王子執務室の定例会が午後三時から開かれておりますので、残念ながら不在です」


 もちろん、それを狙って来たのだ。


「あら、そうでしたわね。失念しておりました。待たせていただいてもよろしくて?」

「もちろんです。アーレイ伯爵令嬢はいつでも通してよいと、殿下から指示されておりますので」

 

 その指示がまだ覆っていないことに安堵しつつ、クレアは入室した。


 これまでも、週に一度ほど不定期で執務室に顔を出していた。激務で疲れている事務官たちに手土産を用意して振舞ったり、時にはご令嬢ネットワークで片付けた方が良い案件を引き受けていたからだ。

 

 だから、定例会の時間帯には執務室が空っぽになることだって知っている。


「えっと、第三王子に割り当てられる財源は……この資料ね」


 棚から資料を引っ張り出し、帳簿を見ていく。レベッカへの貢ぎ代は、賓客の接待や舞踏会の開催に当てられる交際費から出されているはず。クレアはそこに当たりをつけていた。


 正義漢タイプとして話に出てくる第二王子によって、昨今では交際費もかなり厳しく詳細まで詰められている。

 あまりに突出してレベッカに金が流れていたならば、それは是正対象になるだろう。

 一応、賓客扱いであるレベッカなので罪に問えるものではないが、第二王子によって強制送還だ。


「と、思ったけど……ここ二か月間の交際費を見ても、特に問題なさそうね。どういうことかしら?」


 週に一度のティータイムのおかげで、エルレッドの予定は大体把握している。いつ誰と会食をしたとか、事細かに彼が教えてくれる情報と、支出の項目を照らし合わせていく。


 しかし、婚約破棄の直前は当然だが、中にはクレアが聞かされていない会食や泊まりがけの出張などもあった。


「北の隣国への出張……? こっちは……フォクル公爵家の派閥ばかりね。なるほど、そういうこと」


 大方、国王や第一王子からの(めい)により、フォクル家の調査でもしているのだろう。その任について、クレアは一切聞かされていない。


 フォクル公爵家とは、このエスタート国の公爵八家の一つだ。

 普段は匂わせないが、エルレッドはフォクル公爵を嫌っているようだった。常々、フォクル公爵には近付かないようにと釘を刺されていたし、事情があって警戒しているのだろう。


 かく言うクレアもフォクル公爵のことは苦手だったりする。何かと当たりが強いのだ。


「フォクル公爵……」


 少しだけ、気になった。とはいえ、今はレベッカの件だ。彼女に使われた支出を洗い出していく。


「レベッカ様に使われた費用は……王城客室の使用費と食事代だけ? 嘘でしょう。だって、あの一級品のドレスは誰が買ったというのよ。宝石だって何個も持っていたじゃない。これ見よがしにエメラルド、ジェダイト、ペリドット。緑色の宝石ばかり!」


 クレアは帳簿ではなく、実際の領収書の束を見始める。ものすごい枚数ではあるが、一枚一枚しっかりと見ていく。


 きっと集中しすぎたのだろう。背後から近寄る人物にクレアが気付いたのは、声をかけられる一秒前だった。


「クレア嬢、なにしてんの?」


 聞きなれた声だ。悟られないように、にこりと微笑んでから振り向く。


「あら、ノア様。ごきげんよう」


◇◇◇


 まさかまさか、エルレッドの予想通りだとは。定例会を抜けてきたノア・ノラディスは驚いていた。


 幼なじみなのだから、ノアだってクレアのことはよく知っている。元々、気になることはとことん調べたがる性格だったし、おっとり顔に似合わず行動力もある方だとは思っていた。

 しかし、進んでリーダーシップをとるタイプでもないし、エルレッドの伴侶としては力不足。ノアは常々そう感じていた。


 エルレッドは『クレアならば僕を追いつめてくれる』なんて断言していたが、そんな簡単にいくものかと懐疑的だった部分もある。


 それがどうだろうか。エルレッドが絡むときだけは、彼女は勇猛果敢な女性になってしまうらしい。大胆不敵に王城を駆け回り、たった数日で()()に辿り着きそうだ。


 テーブルの上に並べられた資料や領収書をチラリと見て、ノアの背中は少し汗ばむ。たどり着いて欲しいのは答えであって、エルレッドの真意ではないのに。


 昨日の寝室で出くわした情事だって、冷や汗ものだった。

 昼間から押っ始めそうな第三王子に驚きつつも様子を見ていたノアは、あの侍女がクレアだと気づいた瞬間に激しくノック音を響かせた。

 まさか侍女に化けるだなんて。エルレッドの計画は、彼女に阻まれる予感さえしたのだ。


 彼女にはエルレッドを憎んでもらって視野狭窄になってもらいたい。だから、あの場でノアはサロンのことを持ち出したのだ。


 あの後、エルレッドがどれだけ泣いたことか。当然、クレア専用になっている愛のサロンにレベッカを入れるわけもない。

 泣きながら寝室のシーツは生涯交換しないと断言していた。痛ましい。


 彼の涙をムダにはできない。忠臣は、主人を泣かせてでも計画を遂行する。


「どーも。にこやかに笑うご令嬢ほど怖いものはないね。クレア嬢の大胆さには驚いちゃった」

「何のことでしょうか?」

「昨日は侍女を装って、殿下の私室を調査。今日は婚約者として執務室の調査。スパイ令嬢参上、みたいな?」


 ノアがおどけてみせても、クレアの眉はピクリとも動かない。それを動かすのは、昔からエルレッドだけだ。

 王族でありながらも、雨上がりの泥濘(でいねい)のように美しい関係。そんな二人を見て、ノアも恋という泥に憧れたのだ。


「ノア様……何のことか存じませんが――」

「殿下の資産はどれほど減っていた?」


 彼女の言葉を遮り、主導権を取り戻す。正直なところ、エルレッドの資産額を調査できるような腕前は、側近ノアだって持っていないのだ。


 クレアは口元を洋扇で隠し、可愛らしく小首を傾げるだけだった。筒抜けの側近に手の内を見せるわけないでしょう、ということだろう。

 ならば、筒抜けではないと口説かなくてはならない。


「クレア。昨日、オレが逃がしてあげたから、エルレッドに捕まらずに済んだ。そのことを忘れてない?」

「ふふっ。あらまぁ、不敬ですわよ。……仮に、わたくしがスパイ令嬢だったとして、ノア様はどうなさりたいの? まさか、(あるじ)のへそくりの額を知りたいわけでもないでしょうに」


 ノアは少し間をおいて、顔を歪ませる。


「殿下は……いや、エルレッドはもうダメだ。クレアにとっては酷な話かもしんないけど……幼なじみの言葉として聞いてよ」


 ノアは、ここ五か月間のエルレッドについて語る。


 留学して早々、一目ぼれに近い状態でレベッカに恋をしていたこと。雷が走るという比喩を聞いたことはあったが、そんな鋭いものではない。浅いと思っていた水たまりに足を踏み入れたら底なしで、気付けば身動きも取れずに息絶えていた。そういう鈍重な激情だと、エルレッドが語っていたこと。

 

 二人は急速に近付いた。ラメール国は性に奔放な風潮があったことから、留学中には身体の関係もあっただろうこと。

 そうして浮足立ってしまい、金を貢ぎ、宝石を与え、そして賓客として登城させるに至った……と。

 

「オレも止めようとは思ったんだ。でも、止められなかった……くそっ! 側近として、ふがっ、不甲斐ない!」


 不甲斐ないとか初めて使った単語なもので、ちょっと噛んでしまう。その痛みが、苦しみの表情を自然なものに変えてくれた。


 ここで薄目を開けてクレアの様子を確認してみる。彼女の目は、無事に死んでいた。紫色の瞳が真っ黒だ。


 ―― やりすぎたか? でも……まあ仕方ないか


 クレアとエルレッドは、そりゃあもう仲むつまじい二人だった。第三王子に横やりを入れても無駄だと、国中のご令嬢の常識になっているほどだ。それを引き裂くのであれば、これくらいやらねば。


 ちなみに、ノアが語ったことはほぼ真実だ。一つだけ嘘が含まれているが、それはレベッカの相手がエルレッドではなくノアであるという点だけ。


 クレアは噛み締めるように、掠れた声で答える。


「……そう。そんなことになっていたなんて。なにも知らないで……わたくし、本当に――」

「待った。そこで自分を責めるなよ? こんなこと黙ってようと思ったんだけどさ……。事態はそれだけじゃないんだ。エルレッドのやつ、国の金を横領してるかもしれない」


 その重さを確かめるように「横領……?」と呟く彼女。その洋扇は、いつの間にか閉じられていた。





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