4話 王子の作戦会議
クレア・アーレイが襲われたのは、偶然ではない。
宝石が入った鞄を振り回し、身を挺して悪漢と戦う商人がいたことも、同じく。
王城の会議室にて、橙色の鬘を取り去った商人――鉄仮面の近衛騎士ダミアンから報告を受ける。
怯んだ悪漢はそのまま逃走。アーレイ邸を取り囲んでいた他の騎士によって捕まえられたが、直後に自死をしたという内容だった。
「ダミアン、感謝する。本来の職務を放棄させてしまい、すまなかったな」
「殿下が執務室にこもっていらしたので、問題ありません。常日頃からそうしていただけると助かります」
「ははっ、善処する」
ダミアンはエルレッドが引っ張りあげた騎士だ。留学先に連れていく騎士を探していたときに、たまたま彼の剣技を見て惚れた。
ラメール国に留学中は、護衛兼友人のような関係で気楽に過ごしたこともあり、こんな風に憎まれ口を叩き合う仲だ。
「それで……クレアはどうしていた?」
「はい。怪我はありませんでしたが、少し動揺していたようで、今日明日は屋敷にこもると話していました。アーレイ伯爵令嬢は偶然の事件に巻き込まれたと思っていらっしゃるようです」
エルレッドは額に手をやり、深く息を吐く。心配で仕方がない。今すぐ抱きしめにいけたら、どんなにいいか。
深い事情を聞かされていないレベッカも、事の深刻さを認識した様子で顔を青くしている。ノアは彼女の手を握りながら、エルレッドに視線を向けてきた。
「ああ、わかっている。レベッカ嬢にも危険が及ぶかもしれない。事情を話すべきだな。……事の発端は、第一王子の病にある」
国には、四人の王子がいる。
国王には二人の妃がいて、それぞれ二人ずつ息子がいるという構図だ。
正妃の子である第一王子が王位継承権第一位。次いで、その弟の第二王子が第二位。側妃の子である第三王子のエルレッドが第三位。その弟が第四位だ。
王族として様々なことをたたき込まれているため、どの王子も優秀であった。
特に第一王子はバランス力に長け、泳がすべきは目を瞑り、首をつかむべきは脳髄ごと食らう。派閥が出来ることもなく、万事安泰かと思われた。
しかし、先々月。ラメール国に留学していたエルレッドの元に、第一王子が病に倒れたという知らせが入る。治癒の見込みのない病気であり、情勢が大きく変わってしまった。
王位継承権を誰が得るのか、という問題に直面したのだ。
すんなりといけば、第二王子に権利が降りる。
しかし、彼は少し暑苦しい正義漢タイプで、見逃すというスキルを欠片ほども持っていない。逃げ道を用意することなく、徹底的に追い詰める。
そのため、善悪よりも国の利益を優先すべき場面において、冷静な判断を下せるのか疑問視されてしまう。疑問視しているのは、大概、悪事を働く側の人間だろう。
一つ飛び越えて、第四王子はと言えば、まだ十四歳の若さだ。細かいところに気が付き、心根が優しいが……兄たちを差し置いて、彼を選ぶ決定打はない。
では、第三王子はどうか。エルレッド本人は玉座を得たいわけではないが、個人的力量であれば第一王子に引けを取らないだろうと、後押しする声が上がってしまった。
誰が後押ししているのかといえば、国政の実権を握っている公爵八家の内、五つだ。
第三王子派の筆頭がノアの生家であり、エルレッドの心の両親でもある。次いで、王弟の血筋であるフォクル公爵がエルレッドを支持したことも大きい。
五対三でエルレッドが優勢かと思われた。そこで問題になるのが、彼の母親が側妃であるという点。
母親の出身はラメール国の貧乏伯爵家だ。美貌だけで選ばれたと陰口を叩かれることが多く、なんの後ろ盾もない。事実、とんでもない美人だ。
「そこで、我が婚約者クレア・アーレイにスポットが当てられた」
元々、エルレッドに王位が渡される予定はなく、母である側妃も権力闘争は苦手。婚約者選びも完全にエルレッド自身に任されていた。
結果、七歳の時点で成熟しまくっていたエルレッドは、見事に初恋をかっさらわれ、そのご令嬢を望んだ。
その相手こそ、クレア・アーレイ。どタイプすぎて即決だったし、十二年間ずっとどタイプのままだ。恋だ。
しかし、そんなクレアも慎ましい伯爵家出身。後ろ盾になる要素が一つもない。だからこそ、正妃も快くクレアを認めてくれたのだろう。
「七歳の当時は問題なかったから、そのまま婚約者として決定したんだ。しかし……ここ最近、もっと後ろ盾になる家から婚約者を迎えてはどうか、なんて話が出始めている」
エルレッドはいくらか声を潜め、話を続ける。それでも怒りが抑えられなくて、膝の上に置いていた手が固く握られる。
「先月、クレアの屋敷が奇襲された」
もちろん予測の範囲内であったため、エルレッドが配置していた騎士らによって悪事は未然に防がれた。アーレイ伯爵家の皆さんは、その夜もすやすやぐっすりだ。
それだけではなく、他にも彼女の周囲で事故が起きたり、きな臭い動きがある。今日の一件も通り魔に見せかけた暗殺計画だったのだろう。
送られてくる刺客はいずれも素人レベルであり、人数も少ない。今のところ遊び半分に脅されている状態だ。しかし、遊びが本気になるのも時間の問題だろう。
「犯人は第三王子派の中にいるはずだ。大方、フォクル公爵だろう。これまで様々な黒い噂があるが……どうにも尻尾を出さない」
フォクル公爵は隣国への影響力が大きく、疑わしいだけで粉をかけては隣国と戦争になりかねないのだ。気付かれないように周囲に根回しが必要であり、やるなら一瞬で首を取らねばならない。
話についていけないレベッカは、そこでストップをかけて整理する。
「えっと……まとめると、第一王子が病気になっちゃって、そのせいでクレア様の命が狙われてるってこと? そのフォクル公爵に?」
人払いをした部屋で、レベッカは怖すぎなんですけど!と言いながら震える。ノアは彼女の頭を撫でながら、頷いていた。
「だから、殿下はクレア嬢を守るために婚約破棄をしようとしてるってこと。レベッカ、分かった?」
「分かるけど……分からないわよ!」
ホント、男って自分勝手なナルシスト野郎ばっかなんだから。レベッカは独り言のように呟いて、頬を膨らませる。主語が大きくて、全方位にとても不敬だ。
「だからって、クレア様を傷つけちゃだめですよ! 先日は殿下の台本通りに一言一句違わずに演技しましたけど……わたし、クレア様に何て言われたと思います?」
彼を愛していないのなら、身を引いて。レベッカはクレアの言葉を繰り返す。金でもない、権力でもない。愛だけが、クレアの尺度なのだ。
「他の方法を考えてください!」
「レベッカ、不敬罪で永眠だぞー?」
「え? ふけい? なにそれ」
「無知ー」
仲むつまじい二人の会話で、エルレッドはクレアとの応酬を思い出す。よく言い合いしていたなとか、ケンカの後はいつも同時に謝っていたなとか。
もう一度、仲直りができるような愛あるケンカをしておけば良かったと、少し後悔する。彼女とのケンカは、とても好きだったから。
「さすがノアが選んだ女性だね。レベッカ嬢の言うことはもっともだ。だが……尽くした」
この二か月間、エルレッドは考えつくした。二人が一緒に幸せになれる方法を、それはもう、死ぬほど考えた。でも……なかった。
百三十通りの策を考えたが、行き着く先はクレアの死か、良くても死ぬほど苦しむ姿だ。
百三十一個目を考えようとしたが、なにも浮かばずに夜が明けたとき、そこでエルレッドは泣いた。切り捨てるべきは、この恋心なのだと腹をくくったのだ。
レベッカは不満そうに、駆け落ちでもすればいいじゃないかと責め立てる。
「民に育てられた身で無責任なことはできないが……仮に駆け落ちをしたところで、その愛が貫くのは頸部だ。王族の失踪に関与した者は一族全員打ち首、という鉄壁の法律がある」
エルレッドは『王族がいなくなれば、一族丸ごといなくなる』という、王城に伝わる格言を小さく呟く。
王族が姿を消した事例も過去にいくつかあるが、関与したとされる婚約者の家は親戚筋も含めて全員処刑されている。事実上の王族殺しとして、問答無用であった。
それは爵位にかかわらず、例え公爵や侯爵であっても法は適用される。高位貴族とはいえ、伯爵位のアーレイであれば確実だろう。
エルレッドとクレアの仲むつまじい様子は誰もが知っている。例え婚約破棄をした後であっても、今の状況で二人が失踪すればアーレイ家の処刑は免れない。愛しすぎた結果、とっても困っている。
「両親、兄弟だけなら全員まとめて他国に逃がしてしまう手も考えたが、親族は総勢百人以上いる」
「ひゃく!? 多っ!」
「子沢山かつ長寿の家系らしい」
では、洗いざらいクレアに話して協力を仰いではどうだろうか。
「それは、クレアを側妃にするということになる。……それだけは嫌なんだ。幸せになってほしい」
母親のことがあるからだ。立場の弱い側妃がどんな扱いを受けるか。実際、母親は生きてはいるが半分死んでいる。妬みで盛られた数々の毒のせいで、身体も心も半分以上、動かなくなってしまった。
到底、クレアをその立場に追い込むことはできない。王族でありながら、愛した女性を側妃に追い込みたくはないと拒否する時点で、玉座に相応しくない。彼の自己評価はそうだった。
「うーん、側妃が無理でも……せめて事情を話して婚約解消をしたらどうです?」
「それは最初に考えた。しかし、王族との婚約を解消した令嬢令息の末路を調べてみると、悲惨でね。まさに烙印だ。事実無根でもクレアが有責だとされて、腐った老害貴族の後妻にあてがわれるだろう」
そこで一つの結論に至ったのだ。クレアも、民も、幸せになれる唯一の方法だ。
「だから、誰が見ても僕の有責だと分かる状態で婚約破棄をしたいんだ。クレアは賢く、果敢な女性だ。きっと僕を追い詰めてくれる。しかし、遂行するには僕一人では難しい。……ここにいる三人に、改めて協力をお願いしたい」
そう言って、普段は下げることのない頭をそうした。ノア、レベッカ、ダミアンの三人はやめてくださいと慌てていたが、それでも下げ続けた。
馬鹿なことをしているのは、エルレッドだって分かっている。
もしも嘲笑うやつがいたならば、この現状をどうにか打開できる策を教えてほしいと、そいつに頭を下げたっていい。助けてくれるなら、誰だっていいんだ。土下座をして靴を舐めて教えを乞うことだっていとわない。
物語の中で、誰かを救うのはいつも王子様の役目だ。でも、現実の王子様は他でもなくエルレッド本人で、いくら待っても彼を救う者は現れない。
三人はわかりましたと、覚悟を決めて秘密を背負ってくれた。こうして第三王子の婚約破棄騒動が大きく広がっていくことになる。