3話 伝手は作るもの
「あらぁ? クレア様ではございませんことぉ?」
レベッカはいつになく高圧的だった。語尾が裏返っているが、話し方が変わったのだろうか。
クレアはご令嬢根性で、にこりと微笑んでみせた。第三王子の婚約者とはいえ、妃教育だってそれなりに受けてきたのだ。それなりに。
「ごきげんよう、レベッカ様。昨日は、見苦しいところをお見せしてしまい、大変失礼いたしました」
「こちらこそ、えーっと、エルレッド殿下が一方的に責め立てる状況になってしまい、心苦しく思ってマス……」
やたらと声が小さい。それでも、たしかに心苦しいという言葉が添えられている。あの目撃証言に、レベッカは関与していないということだろうか。
不思議に思って尋ねてみると、レベッカは口元を隠していた洋扇で頬をベシベシ叩いてから答えた。
「コホン。いいえぇ? クレア様にされたことは、一つ残らず殿下のお耳に入れておりますものぉ」
「わたくし、嫌がらせなど一つもしておりません。何か誤解があるのではないかと……」
それは逆鱗だったのだろうか。レベッカは嫌悪感を露わにするように、息を大きく吸い込む。
「ごかいですってぇ!? ご自分がどういう立場にいらっしゃるか、少しは危機感をお持ちになったらいかがかしらぁ?」
今度はとても声が大きい。緩急がすごい。
腹から出た声は王城の廊下を伝い、そこかしこにいる使用人たちの耳に入っている様子。クレアは左耳に当てていた洋扇を開き、声をひそめる。
「ご内密に願います。……エルレッド様をどうなさるおつもりですの?」
「どうもこうも、殿下の心変わりを理由に婚約破棄なされるのでしょう? 友人としてアドバイスしますが、もう無関係だと思った方が良いですよ。可哀想なクレア様!」
腹式呼吸が行き届いている。とても声が通ってしまった結果、心変わりで婚約破棄だとか可哀想なクレアというフレーズが伝搬する。
使用人たちがざわついている様子に、これは醜聞になると思い、少し鋭く彼女を睨んだ。
レベッカは全く気にならない様子で、おーほほほ……と洋扇の向こう側から小さく笑い声をこぼしている。仰げよ煽れ。
エルレッドを――いや、クレアの大好きな彼をもてあそび、馬鹿にしているとも取れる笑い方。こんなこと、許してなるものか。
「彼を愛していないのなら、身を引いていただけませんか」
クレアの凄みに臆することなく、レベッカはくすりと笑う。答えは返してもらえず、彼女は歩を進めてしまった。
でも、すれ違う瞬間、彼女は小さく言ったのだ。
「欲しいものがあるの。殿下がそれをくれるというから、恋愛ごっこに付き合っているだけよ。ごめんなさいね」
―― 欲しいもの……?
その言葉で、まずは敵を知る必要がありそうだと気付く。そう思ったクレアは、レベッカについて調べ始めた。
しかし、彼女は海の向こうにあるラメール国の人間だ。先々月までの三か月間、エルレッドが留学していた国でもあり、我がエスタート国とは関係良好な貿易相手でもある。
―― 思えば、元々は半年の留学予定だったのに、三か月で切り上げたのよね。その翌月には、レベッカ様を登城させていたし……へー? ふーん?
一体、留学先でどんなお世話をしてもらったのやら。考え始めるとヒールの音がガツガツと鳴り響いてしまいそうだったので、そこで思考を止める。
エルレッドと違って、クレアはラメール国に行ったこともなければ、知り合いなどいない。情報を貰える伝手がない。
唯一、ここエスタート国の貿易関係を一手に担うノラディス公爵家に伝手はあるものの、それはエルレッドの側近であるノアの家だ。
彼はエルレッドと共に留学していたほど、いつ如何なるときも側で仕える忠臣。筒抜けになってしまうだろう。
だが、引くわけにはいかない。火を焼べられたクレアは闘志を燃やす。伝手がないのなら、作ればいいのだ。
翌日、クレアは馴染みのある商会を呼んだ。ラメール国の商品が欲しいから、詳しい人間を寄越してくれと注文をつけて。
「やあやあ、アーレイ伯爵家のご令嬢からお声をかけていただくなんて光栄でございます!」
王位は第一王子が継ぐと内定しているため、将来的な王弟であるエルレッドは臣籍降下することになる。
であれば、クレアは未来の公爵夫人だ……とでも思っているのだろう。婚約破棄のことなど知らない商人は、橙色の鮮やかな髪を揺らして、へいこらとお辞儀をしてくる。
「まあ、素敵な髪色でございますわね。ラメール国の方ですの?」
レベッカの髪色がピンクブロンドであるのも一例だが、島国のラメール国は暖色系の明るい髪色を持つ人が多い。
エスタート国を含む大陸の人間は、青や緑など寒色系の髪色が多数を占めており、クレアの髪色も紫だ。
エルレッドは少し青みがかった金髪という稀有な美色を持っているが、それは彼の母親がラメール国の出身だからだ。
あの美色は、ご令嬢の視線を奪ってばかりだった。彼自身は何の思い入れもないらしく、髪色を誉められても基本的に無反応であったが。
しかし、目の前の商人は分かりやすく顔を明るくしている。ラメール国の人間は髪色を誉められると調子に乗るのだ。
「ええ! 生まれも育ちもラメール国でございます! ドレス、宝飾、名産品の薬草まで、なんでも取りそろえてございます。なんなりとお申し付けください」
「ふふっ、頼もしいですわ。実は……わたくしの友人に、レベッカという可愛らしい方がおりますの。彼女はラメール国のレカルゴ男爵家の生まれらしいのですが、とても素敵な宝飾品を持っていらして。全く同じ物というのも無粋でしょう? わたくしにも似合うものがあるかしら?」
欲しいのは宝飾品ではなく、無粋な情報だ。暗に、彼女への敵意を仄めかすような言い方をしてみる。要するにマウントが取りたいからどうにかしろ、ということだ。
こういうとき、王族の婚約者という立場は役に立つ。高飛車でも違和感がないのだから。
商人はレカルゴという家名にピンときた様子を見せる。
「レカルゴ男爵家……ええ、存じております。ははぁ、いやはや」
なにやら無粋な香り。クレアは洋扇を口元に携え、身を乗り出す。
橙色の商人の話では、なんでもレカルゴ男爵家は一年ほど前に起きた台風で領地が荒れ、それを立て直すために多額の借金をしたのだとか。一年後の現在でも借金は残っていて、没落の噂もあるとかなんとか。
―― ということは、レベッカ様が言っていた『欲しいもの』は……お金ということね
エルレッドが金銭を渡しているということだろうか。クレアに贈ってくれた宝石やドレスを、同じように彼女にも渡しているのかもしれない。
彼からの贈り物を心に並べる。婚約をしたばかりの子供の頃は、リボンやレースの髪飾りを照れながら渡してくれていた。
二人が成長すると共に、彼からの贈り物も大人びて、パールや宝石に変わっていく。その渡し方もどんどんスマートになっていったけれど、変わらないものもあった。
エルレッドからの贈り物をクレアが身につけていると、彼の緑色の瞳がどこか緩むのだ。クレアだけが知っている、ホッとしたときの癖。リボンでもダイヤモンドでも、子供の頃からそれだけは変わらない。
「……では、この髪飾りをいただくわ」
久しぶりに、クレアは宝飾品を買った。もう彼からの贈り物を身につけることは出来そうにないからだ。
「それから、ドレスもいただこうかしら。既製品で結構ですわ。できれば、軽くて丈夫なものが良いのですが」
ドレスも彼から贈られたものがほとんどで、どれも緑色や金色が入っていることを思い出したのだ。
橙色の商人は屋敷の裏手に馬車を停めてあり、そこにいくつか用意があるから取りに行くと言う。
ドレスを運ぶのも大変だろう。試着もせずにその場で即決するからと、侍女ドーラを連れてクレアも一緒に行くことにした。
当然、ご令嬢を歩かせることに商人は恐縮しきっていたが、元々アーレイ伯爵家は慎ましい家だ。クレアだって、たまたまエルレッドに選ばれただけの超シンデレラガール。
飾らない会話をしつつ、屋敷の裏側へと続く路地を目指す。
とてもあたたかな日差しで、事件なんて一つも起きそうにない和やかな日だった。
事が起きたのは、日が陰った場所に足を踏み入れてすぐだ。酒に酔っている様子の男が、ニタニタ笑いながらクレアに突進してきたのだ。
その手にナイフが握られているのを見た瞬間、何の心構えもなかったクレアの足は地面に張り付いてしまう。
「クレア様!」
侍女のドーラがそれに気づき、割って入るようにクレアを庇う。その勢いによろけて、二人は抱き合う形で地面に倒れた。
―― ダメ、刺される!!
咄嗟にドーラを庇い返そうと身体が動く。通り魔の男はナイフを振りかざす。もうダメだと思った瞬間、その刃先は方向を変えた。
通り魔に立ち向かい、橙色の商人が鞄を振り回したのだ。