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20話 初恋の子に婚約破棄を告げる



 森を抜ければ、ノラディス領だ。ゴールはすぐそこにあるのに、遠く感じる。

 必死に地面を蹴り上げるが、馬の走る音が真後ろから近付いてくる。そこに混ざる金属音。自警団の男が引き抜いた剣に、橙色の光が散る。


 ―― 斬られる……っ!


 しかし、その自警団の肩を小さなナイフが射抜いた。後方から追いかけてくるマルヴィナは、落馬する自警団の男を見て顔を歪ませていた。


 エルレッドは身を隠しながら、そのナイフの軌道を目でたどる。そこには仮面の男が立っていた。それは、王族に付き従う近衛騎士の証だ。


 さらに、視線は奥へと吸い込まれていく。

 そこに立つ側近の姿に、どれだけ安堵したことか。 


 飄々としているノアの後ろ側には、騎士がずらりと並んでいた。彼らはノラディス領の私兵団だろう。

 大きな港があり他国から攻め込まれやすいノラディス領には、フォクル自警団を大きくしのぐ巨大な武力が備わっている。


「どーも、フォクル公爵。うちの領土で争いごとですか? 内乱は御免なんですけど」

「……誰かと思えば、ノア・ノラディスじゃない。ここは境界の森ですわよ。わたくし相手に領土を主張するなど……許されるとでも?」

「ええ、もちろん。許されないと思ったから、この方を呼んでおきました。殿下、お願い申し上げます」


 現れたのは、第二王子ガイアードだ。まさかの人物に、マルヴィナの目がギッと上がった。


「ガイアード殿下。こんなところでお会いするだなんて……今日はどんなご用でございましょう?」

「そこまでだ、マルヴィナ・フォクル。今し方、フォクル城の捜索をしていたナイジェイドより速報が届いた。第三王子エルレッドの殺害あるいは拉致容疑で身柄を拘束する」


 草木の茂る森に、マルヴィナの笑い声が響く。


「ふっ、ふふ、ガイアード殿下ったら。エルレッド様なら、すぐそこにいらっしゃるのでは? ご覧になっていたでしょうに。木の陰かしら、それとも草の中? 探せばすぐに見つかりますわ。まさかガイアード殿下ほどの方が真実を隠して見逃すなんて、なさいませんわよねぇ?」

「……いや、エルレッドは見つからなかった。いくら探しても、もう見つからない」


 弟は、もういない。そう言って、ガイアードは声を張り上げた。


「正義は曲げない。不正も許さん。……だが、時にはその先にある正義のために、目をつぶり、口を閉ざし、共に狂言を踊ることも必要だと……あの愚弟に教えられた。本当に名を捨てるなど……全く愚かなやつだ。だが、今はもういない。惜しいことを……してしまった」


 悔やむ代わりに、お前の首を取る。その燃える瞳が語っていた。

 ガイアードの覇気ある声で、マルヴィナ・フォクルの捕縛命令が出される。女狐は騒ぎ、髪を振り乱し、煌びやかな指爪で引っ掻き回しながらも、最後は身柄を拘束される。



 エルレッドは、それを大木に隠れて見届けていた。やり切った。民の遺恨を晴らし、子供たちとその家族を守った。我が身を(かえり)みずに他者を救う気高き心こそ、正しき王子の在り方だ。


 でも、彼は恋する王子だったから……やっぱり寂しくて、晴れない心を癒すように天を仰いだ。



「おーい。でんかーじゃなくて、エルレッド……でもないのか。えっと、エルレッドっぽい人ー? どこにいるー?」

「殿下に似た方、いらっしゃいますか!?」


 この声はノアとダミアンだろう。そろりと顔を出すと、いつの間にか誰もいなくなっていた。フォクル自警団も捕縛され、事情聴取を受けるのだろう。


「ノア、ダミアン。ここだ」

「あぁ、ご無事で!」

「おー! エルレッドに似てる人ー! 無事でよかったよかった! あぁ、もう究極のバッドエンドになるのかと思ってヒヤヒヤしましたよ……」

「ははは……そうだな。本当に上手くいってよかった、感謝する。……だが、ハッピーエンドとは、言えないよな」


 ここで、エルレッドはとうとう涙をこぼしてしまった。王子なら喜ぶ場面なのに、彼らに邪魔をされて空を見上げられなくなったから、ポロポロと悲しみがこぼれ落ちていく。


「……クレアに会いたい。スミレの栞のせいで……僕のせいで死んだ。僕が殺した。こんな風に民を救ったって……結局、僕はクレアのことばかり――」

「待て待て待て。うわ、本当にホントのリアルになった……さすがクレア嬢。ここまで殿下を揺さぶるとは。うーん、やっぱ十二年つえぇなぁ。どうしたもんかと思ってたけど、うん、なくしちゃダメだわ。一緒にいるべきだ」

「ん?」


 ノアは笑いながら、一通の手紙を渡してくれた。


「ホント不思議。なんで熊の新聞記事はセシルド殿下のデマカセ作戦だって察したくせに、クレア嬢の訃報は丸ごと信じるんですか? 恋する王子は愚か者ってか」

「……は!?」


 渡された手紙を千切って開けると、それはセシルドの筆跡だった。


『万物は一度しか死ねない。エルレッドは死んだ。であれば、心の死を与えることもないだろう。平等とはそういうものだ。どうだ、出来の良い兄だろう?』


 セシルドの()()()顔が脳裏を過る。一度も見たことないけど。


「は!? だって、そんな、嘘だろう?」

「うん、だから全部嘘ですって」

「嘘、なのか? じゃあ、クレアは生きているのか……?」

「それは難しい質問だー。すぐそこに小屋があります。そこいるのは、亡霊か生身の人間か。行ってみればいいんじゃないですか?」


 走っている途中でハンカチもなくしてしまったから、袖で顔を拭う。泥だらけの服をはたいて、ふらつく膝を真っ直ぐにした。


 小屋に行ってみると、さすが北部のノラディス領。そこには、まだスミレの花が咲いていた。

 新品の質素な服に、肩まで短く切られた髪。でも、それは花びらと同じ美しい紫色だ。娘は振り返り、微笑む。


 それは淑女の微笑みとは言えない表情だった。まさに、してやったり。生きていることを体言するような笑い方に、エルレッドはまた涙をこぼした。


「なんだよ……生きてるじゃないか……」

「はい。生きております」


 彼女の声を聞いてしまったら、もう崩壊。さっきの大木で流れた涙よりも大粒のそれが、まあ次から次へと流れ出る。


「……エルレッド様が泣いているところ、はじめて見ました」

「知らなかったのか? クレアの前でなければ、僕はよく泣く」


 十二年も一緒にいたのに知らないこともあるのですね、と彼女は笑っていた。


「では、たくさん泣かせてしまいましたか?」

「ああ。ひどい話だ。まさか訃報が嘘だなんて、思いもしなかった」

「嘘ではありませんよ。セシルド殿下にお願いをして、あの事故でクレア・アーレイは本当に死んだのです。両親にも頭を下げました。葬儀もしましたし、墓碑に名前も彫られています。いるのに、いない。エルレッド様とおそろいです」

「そんなことを……。なぜ、言ってくれなかった? 知っていたら――」


 そこまで言って、口をつぐむ。知っていたら、この選択肢を取れなかったかもしれない。美しく長い髪を切らせ、両親との絆を絶たせる決断ができただろうか。

 エルレッドにどれだけ愛されているかを、彼女は熟知している。だから、最後まで黙っていた。


「お言葉ですが、それはお互いさまでは? なぜ、婚約破棄をする前に真意を言ってくださらなかったのですか」


 エルレッドはここに至るまでのあれやこれやを思い返し、泣きながら苦笑いをする。クレアにどれだけ愛されているか知っていたから、ああするしかなかったのだ。


「僕が悪かった。なにも言わずに……ごめん」

「いいえ……ううん。あの日、信じてあげられなくて……ごめん、ね」


 べちゃべちゃに泣きながら、何度も謝り合って、何度も抱きしめ合った。


「……それで、マルヴィナ様とはどうなりました?」

「あぁ、捕縛されたよ」


 エルレッドが淡々と説明すると、彼女は腕の中から抜け出してしまう。急に空っぽになった空間に、エルレッドは少し焦る。


「クレア?」

「違います。マルヴィナ様がどうなったかなんて、今はどうでも良いのです」


 クレアは苛立ちを隠さずに、これまでの出来事を話してくれた。

 図書館でマルヴィナと会ったときは、言われたい放題だったらしい。フォクル領でエルレッドがどんな風に過ごしているか。どんな風にマルヴィナを見つめ、キスをして、そして――。


「待った。そんなわけないだろう。指一本だって触れていないと誓う。あの女狐に毒されないでくれ」

「本当に? 作戦とはいえ、他の人と婚約するなんて……わたくしが、どれだけ……」

「クレア」


 解毒とは、毒を取り除くだけでは足りない。時間をかけて癒し、綺麗なもので洗い流し、愛を伝え続けなければならない。そうして、気付けば毒は消えているものだ。


「ごめん、クレア、ごめんよ。話を聞いて」


 精一杯の意地なのだろう。クレアは視線を合わせずに、スミレの花壇の方を向いてしまった。


 ―― あぁ、好きだなぁ


 怒ってそっぽを向く癖。笑ったときの優しい瞳。泣いたときに震える赤い唇。


 こっちを向いてほしくて、今日という日に、エルレッドは初恋の子に告げる。


「婚約破棄をしてきたよ。もう、僕は誰のものでもない」


 ぐしゃぐしゃにされてしまったスミレの栞をポケットから取り出して、クレアに渡した。彼女を抱き寄せ、コソコソと話をする。


「いい? 誰にも内緒だからね?」


 三人の王子のうち、誰がマルヴィナと婚約したところで条件は同じだった。


 薬草への耐性や年齢、さらにマルヴィナの執着心を考慮するとエルレッドが妥当だったこともあり、正義のヒーローぶって僕が適任だなんて啖呵を切ってはみたけれど、本心はクレア以外の女と婚約をするのがイヤでイヤで仕方なかったこと。

 ましてやクレア以外の人と結婚なんて、国が傾こうが絶対にしたくなかったこと。

 

 これまた正義を盾にして、婚約破棄でマルヴィナを追いつめたようなことを言ってはみたものの、実は単純に早く破棄したかっただけだったとか。エルレッドは王子らしくないことを全部伝えた。


 そのすべてをクレアはくすくすと笑って聞いてくれていたが、彼女が一番笑ったのは、スミレの栞をマルヴィナに捨てられ、夜な夜な泣きながらゴミ箱を漁ったというエピソードだったりする。

 

 ひとしきり王子らしからぬ秘密を教えてみると、彼女はもう笑顔に変わっていた。スミレの花のように笑う姿は、彼にとっての毒消しだ。


 最後にもう一つだけ。他の誰にも言えない話があるんだけど……と、エルレッドは続けた。


「七歳から必死に貯めていた金はゼロ。夢の新婚ハウスも建てられない。王子でもなければ服もドロドロだし、果ては名前もなくなった。こんな何もない男になってしまったけれど……」


 初恋の女神様、どうか僕の願いを叶えてくれませんか? 絶対に幸せにするから、僕とずっと一緒にいてください。


 七歳のときと同じ拙い求婚の言葉。色あせない、スミレの花。


 二回目のプロポーズに、クレアは笑って答えてくれた。もう三回目はナシだからね、って。





◇◇◇




「へい、いらっしゃい! お、紫色の髪とは珍しい!」

「ええ、結婚してこちらに移住してきたんです」

「エスタート国からだろう? あの事件、大変だったねぇ」


 店主は若い夫婦にペラペラと話をする。第三王子の婚約破棄事件の噂話だ。


「まったく、婚約破棄をするだなんて、馬鹿な王子がいたもんだよ。いつだって、幸せは自分の手の中にあるってのにねぇ」

「ええ……本当に、その通りですね」 


 若い夫婦は手をつないで、くすくすと笑い合っていた。店主は首をかしげるが、彼らはそれ以上語ってくれなかった。



 あの一連の出来事は第三王子婚約破棄事件として、海を超えた他国まで広く語られることになる。


 金に汚い王子が聖なる令嬢と婚約破棄をして、最後は悪女に殺されるという風刺的な物語だ。

 あぁ、愚か者の王子がいたものだ。人々はそう言って、彼を嘲笑う。


 でも、その輪の中に、にひひ顔でほくそ笑んでいる人がいるかもしれない。きっと、その人は知っているのだろう。


 初恋の子に婚約破棄を告げた王子が、今日もどこかで幸せに暮らしていることを――。




【今日、初恋の子に婚約破棄を告げる王子です】完







完結です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


カットしたシーンも多々あり、書き足りない部分もありましたが……今回はこのへんで!

元より長編を書くのが好きなので、またの機会にもりもり書きたいと思います。


ブクマ☆ポイントをくださった方、ありがとうございます!飛び上がって喜んでました。


もし、お時間がありましたら↓の☆で応援ポイントをいれていただけると、とてもうれしいです。


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