2話 偽証を噛み砕く
クレア・アーレイは屋敷まで飛んで帰り、湯あみもせずに布団を被って泣いていた。
何度も思い返してみるが、賓客であるレベッカにいやがらせをした記憶などない。
たしかに、このところエルレッドはレベッカと一緒に過ごすことが多いなと思っていた。常に側近ノアもいたし、二人きりではないわけで……少し気になっていただけだ。
もう少し正直に言えば、やたら距離が近いなーとか、執務の合間を縫うようにしてまで一緒にいる必要があるかなーとか、不満に思う気持ちもあった。
しかし、それは彼を好きだからこそのヤキモチというやつだ。
十二年も婚約者をやっていてこんな可愛らしい感情を抱くのだから、むしろ褒められてもいいくらいだ。なのに、この仕打ち。
「うぅ……ひどいわ、エルレッド様……」
「まあまあ、クレア様ったら。ドレスがぐちゃぐちゃでございます。湯あみをしましょうねぇ」
クレア付きの侍女ドーラに布団をめくられる。ぐちゃぐちゃなのはドレスだけでなく、長い紫色の髪も、化粧も、心も全部だ。
返事もできずにぼうっとしていると、仕方がありませんねぇなんて言いながら、ドーラに引っ張られる。
「さあ、なにがあったのかお話になってくださいませ。解決こそできませんが、聞くことならできますからねぇ」
ドレスを脱ぎ捨てメイクを落とし、ちゃぽんと湯につかる。不思議なもので、流れる涙と一緒に言葉がぽつりぽつりと出てきてしまった。
吐き出すたびに、心が整理されていく。なぜこんなことになったのか原因も理由も分からないままだが、彼との結婚が絶望的だということは受け止められた。
「……というわけで、ふられたみたいなの」
「ははぁ、なるほどなるほど。クレア様はとても悲しい思いをされたのですね。こうなってしまっては旦那様も黙っていないでしょうねぇ。エルレッド殿下は何を考えてらっしゃるのやら。困ったことになりましたねぇ」
「そうね。……ええ、そうなのよね……」
冷たい言葉で突き放されて感情がヒートアップしてしまったが、温かいものに包まれると逆に頭が冷えていく。
あのエルレッドが――省略せずに言えば、聡明で洞察力に優れ、第三王子という難しい立場にもかかわらず周囲と軋轢を生まないバランス力に長け、さらに正義感と行動力にあふれる超かっこいいエルレッドが、不貞行為の末に、嘘の証言を鵜呑みにして婚約破棄などという悪手に出るだろうか。考えにくい。
いや、考えたくないという言葉を使うべきなのかもしれない。
どのみち、王族である彼が別れを選んだのであれば婚姻は不可能だ。クレアが何をしようが、その事実は変わらない。
それでも、クレアは立ち上がった。涙を含んだ湯がザバッとこぼれる。
「ねぇ、ドーラ。この件、しばらくお父様には内密にしてもらえる? 国王陛下は外遊中ですもの。エルレッド様が正式に婚約破棄の手続きを進めるまで、まだ時間があるはずよ。少し調べたいことがあるの」
「ははぁ、わかりました。解決こそできませんが、黙っていることならできますからね。それよりお洋服を着ましょうねぇ」
「とびきり癒やされたい気分。最高に着心地のいいナイトワンピースをお願いできるかしら?」
「はいはい、お気に入りの着古したものでございますね。クレア様は本当に一途でらっしゃる」
その日は、着古したてろんてろんの寝着で熟睡した。
翌朝、日が昇るとともに、クレアはデスクにかじりつく。エルレッドから餞別に渡されたいやがらせ目撃証言集を読み、噛み砕いているのだ。
「証言その四。第十五会議室横の物置に鍵をかけ、レベッカ嬢を閉じ込めていた。助けを求める声で使用人が気付き、合い鍵で解錠……あら?」
もう十二年間も通いつめている王城だ。間取り図など見なくても、それは頭の中に全て入っている。
違和感を見つけてしまったクレアは、すぐに王城の第十五会議室へと向かった。
門番に止められたらどうしようかと心配していたが、まだエルレッドとの一件は広まっていない様子。第三王子の婚約者として難なく入城する。
しかし、いつ出禁になるか分からない身だ。その時に備え、リネン室に忍び込み、王城侍女の制服を拝借する。
―― ふふっ、懐かしい。エルレッド様と忍び込んだこともあったわね
あれは十五歳の頃だった。同じように制服を拝借し、二人で『ごっこ遊び』をしたのだ。
王城は広く、働く人も多い。変装すれば、案外気付かれないものだ。初めて草むしりをしたのもこのときで、根っこから美しく引き抜くのは存外難しいものだと、二人で競い合った。
そうして、夕日が差し込む窓を一心不乱に拭き上げていたとき、たまたま通りかかった第一王子と目が合う。無言で微笑まれたので『ごっこ遊び』は、そこで終了した。
第一王子からのお咎めはなかったが、エルレッドはしばらく進んで仕事を手伝ったそうだ。
―― あぁ……イヤだわ。なぜ思い出は尽きないのかしら
ゆるんだ頬をつねる。思い出すたびに消えてなくなれば、心の中もすぐに空っぽになるのに。
廊下を歩きながら、クレアは思い出を記憶に変える努力をしていた。
第十五会議室横の物置にも、記憶に変えなければならない思い出がある。
まだかくれんぼを楽しめる年齢だった頃、クレアはここに隠れたことがあったのだ。二つの意味でかくれんぼの鬼であった洞察力あふれるエルレッド少年に、すぐに見つかってしまったが。
みーつけた、と楽しそうに笑う姿に、友人とも家族とも違う特別な何かを感じた。
だから、クレアは覚えている。当時のまま変わっていなければ……。
「やっぱり! 鍵がないのよね、この扉」
内開きの扉は床に何かを置けば開かなくなるが、外から閉じ込めるのは不可能。なぜこんな分かりやすい偽証を丸ごと通したのか。
他にも、先日に開かれた小さな舞踏会でレベッカが着ていたピンク色のドレスを破いたという証言があったが、彼女が着ていたのは金色と緑色の二色を使用したドレスだったはず。
金髪緑瞳であるエルレッドの色を着飾っている様に、少し胸がざわついたからよく覚えている。
―― どういうことかしら……?
一体、彼に何があったのか。まさかとは思うが……浮気したことで、とんでもなく頭が悪くなってしまったのかもしれない。
いや、因果関係が逆かも。頭が悪くなったから、浮気してしまった? なんと恐ろしいことだろうか。
そんな因果関係を推察しながら廊下を歩いていたのが悪かった。避けるべき、ピンクブロンドの女性とばったり会ってしまったのだ。
「!? ……レベッカ様」