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19話 婚約破棄




 婚約破棄という言葉が深く刺さっていない様子で、マルヴィナは楽しそうに笑っていた。


「何をおっしゃるかと思えば! ふふふ、本当に御冗談がお上手でございます」

「隠さずとも良い。ふもとにいる自警団の彼らに人身売買をさせているのだろう。そして、ラメール国の赤い薬草を使用して証拠隠滅。大した手腕だ」


 マルヴィナは馬を降りながら、小首を傾げる。風で暴れた赤紫色の髪を細い指で押さえていた。


「隠滅しているのであれば証拠などないのでございましょう? わたくしの、なにを暴いたとおっしゃるの?」


 この状況は、初めから想定していた。マルヴィナが本当に一つも証拠を残さず、全て消してしまっていることを。

 証言が得られない可能性も考えていたし、もっと言えば、証言者を全て消されてしまう可能性も十分に有り得る状況だった。


 賢い王子が四人もいるのだ。そんなの想定していたに決まっている。


 だから、エルレッドがここに送り込まれたのだ。他の三人の王子も、陛下でさえ、それに反対しなかった。

 敵は二国の王家の血を引く女だ。四人の王子のうち誰かがマルヴィナと婚姻の約束をした上で、ここに来なければならなかった。


「適任だったのが僕だった。子供の時からずっとそうだ。お前は僕に夢中だっただろう? いや、クレアに夢中だったというべきか」

「……どういう意味かしら? なにをしようと?」

「この婚約破棄宣誓書と同じものを王城に送っておいた。フォクル城の部屋に僕の手記を隠したという手紙を添えてね。そこにはお前の悪事と、それを調べた僕の悲痛な嘆きが三か月分も書かれている。あと半刻もすれば、第四王子ナイジェイドが騎士を引きつれてフォクル城を押さえることになる。出来の良い弟だ、すぐに自警団も捕縛される」


 エルレッドは、その紙を見せつける。クレアのときにも書いた婚約破棄宣誓書だ。


「本当は婚約破棄など、今更する意味もないのだが。それでも、やはり貴様と婚姻の約束をしたまま失踪などしたくはない」

「……失踪?」


 マルヴィナの笑顔が消える。想定していない言葉だったのだろう。


「僕は、このまま姿を消す。人々はどう思うだろうか。初恋の相手から婚約破棄を告げられたことで激情した女が、王子を殺した? あるいは、悪事を知って逃げ出そうとした王子の口を塞いだ? そんな風に思うだろう。信憑性をもたせるために、腕の一本でも置いておこうか?」

「そんなの誰も信じませんわ。証拠もなしに、信じるわけないでしょうに」

「信じるか信じないかは関係ない。貴様も王家の血筋なのだから、子供の頃から何度も教わっただろう?」


 『王族がいなくなれば、一族丸ごといなくなる』と――。


 この法を適用させるには、マルヴィナの婚約者になるしかなかった。そして、公爵である彼女の婚約者になるには婿入りしかない。

 であれば、王位継承権の放棄は必須だ。だから、横領した愚かな王子を演じる必要があった。


 なぜ婚約者なんて面倒な役柄を選び、ここに来たのか。なぜ、婚約破棄騒動を起こし、クレアに『横領王子を告発した聖なる令嬢』という立場を取らせたのか。国中に知れわたる形で、エルレッドとの関係を断たせたのは、クレアにこの法を適用させないためだ。


 この法は、マルヴィナだけを殺すのだ。


「王族として民に育ててもらった恩を、エルレッド・エスタートの名を捨てることで返す。僕の失踪と共に、お前は問答無用で処刑される。これが最後の切り札だ」


 数々の悪行は、マルヴィナが地獄に着くころには全て暴かれることだろう。

 フォクル公爵家には嫡子もいない。マルヴィナの死後、この領土は第二王子ガイアードの管轄下に置かれる。猛毒女がいなくなった後であれば、悪行の数々も露見するはずだ。


「……何を言うかと思えば。それは無理ですわ。わたくしの母はノルダン王国の王家の生まれ。お祖父様(ノルダン国国王)が黙って処刑などさせるものですか」

「知らないのか? 今、陛下がどこにいるのか。ここ数か月、何をしていたのか。陛下が外遊ばかりしていたのは、根回しだ。国益を得られるのであれば孫娘の身柄を自由にしてよいと、すでに水面下で合意している。国王同士、ちょうど仲良く酒を飲み交わしている頃だろう。我が国は少し損をしてしまったが、解毒するのであれば微々たる支出だ」


 今まで好き勝手できていたのは、背後にあるノルダン王国の存在も大きかった。ここで揉めてしまうと、国同士の問題となる。一番の難所であり、やはり陛下に出張ってもらう他なかった。


「そ、そんな……」


 マルヴィナは、いつの間にか地面に膝をついていた。すがるように、エルレッドに手を伸ばす。


「うそ……いやよ! やめて、いかないで! 公爵になったのも、こんなに頑張ったのだって、全部……わたくしは、本当にあなたを愛して――」

「その汚い口で、僕を愛していると言うのか? であれば、愛とは怖いものだ。……そうだな。とても怖い。もしも僕の愛するクレアを殺していなければ、こうはならなかったかもしれない」


 数か月前、この計画を思いついた夜は、クレアと民のためなら夢も希望も捨てられると思っていた。失踪という選択肢を取ることだって、できると慢心していた。


 でも、愛とは怖いものだ。クレアとの未来を諦めきれなくて、マルヴィナの罪さえ暴いて王都に戻れば、元通りになれるかもって……夢を見てしまった。胸に忍ばせたスミレの栞にしがみ付いて、染み込んだ希望を捨てられなかった。


 姿を消すということは、もう二度と国には戻れないということだ。例えば、街のどこかで彼女を見かけることさえ、もうできなくなる。

 この選択肢を取る勇気が、どうしても出なかったんだ。


「だから、僕にこの結末を選ばせたのは……マルヴィナ。お前だ」


 エルレッドは馬に乗ったまま、丘を滑り降りる。あの日、男の子が母親の視界から消えたように、マルヴィナの前から一瞬で消えてやった。


 ふもとについて、すぐさま森に入り木々の間をすり抜ける。

 頭上から、「誰か! 彼を連れ戻しなさい! 逃がしたら、全員殺すから!!」と絶叫が聞こえ、馬の蹄の音が押し寄せてくる。



 エルレッドはひたすら走った。

 逃走時に馬は目立つ。深く入ったところで、さよならを告げた。

 とにかく速く足を動かし、森を抜けるしかない。太陽の位置から方向を把握し、ノラディス領を目指す。


 今、ここで捕まったら明日はどうなるかわからない。死なば諸共、マルヴィナに殺されるかもしれない。


 ……でも、本当はそれでもいいのだ。もうクレアはいないのだから、失踪して生きのびたところで、エルレッドの心は死んだままだ。

 そう思う気持ちもあるのに、どういうわけか足は止まらなかった。


 ―― あぁ、だめだ。こっちにもいる


 歩を進めるも、いつの間にか自警団に追いつかれてしまう。隠れる必要もないのだから、やはり鬼の方がラクだなと無言で悪態をつく。


 森は広大であるが、ノラディス領側に抜けるのであれば五、六時間あれば十分だ。


 自警団に見つかりそうな場面では、エルレッドは洞穴に身をひそめてやり過ごした。

 やつらは近くまでは来るものの、洞穴を見ると血相を変えて回れ右をしていく。先週に流された『ノラディス領に大熊が大量発生した』という新聞記事を信じているからだろう。

 エルレッドは察していた。あれはセシルドが考えた策だろう。『森に熊はいないから、作戦を決行するなら通っておいで』というメッセージだ。


 ―― 兄上には助けられたな


 朝食におかわりをするフリをして取っておいたパンをかじる。やつらがいなくなれば、洞穴を出て鬼ごっこを再開した。


 日がてっぺんから下りて、オレンジ色になりそうな頃。ようやく森が薄くなる気配がする。差し込む西日に希望が持てる。


「エルレッド様!」


 しかし、やはり先回りしていた女狐に目ざとく見つけられてしまう。この緑に囲まれた中で、金髪はよく目立つ。


 絡め取るような執着心。マルヴィナの怒号を背に受け、エルレッドは走った。








次回、最終話です。

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