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18話 おそろい



 フォクル城の部屋で、エルレッドはため息をこぼす。


 ―― 約束の三か月まで、あと一週間か


 机に置いてある手紙に目をやる。第一王子セシルド宛てのそれは、封をしてからしばらく経つ。送るべきか、送らざるべきか。


 自分の身の振り方が定まらない。頭と心を天秤にかけ、どう動くべきか決められない。

 いや、まだ一週間ある。希望は捨て切れない。そう思って、また胸元にあるスミレの栞に手を伸ばす。


 そこで、パラジルが意気揚々と新聞を持ってきた。なにやら瞳を輝かせていたので、とても良いニュースがあったのだろう。


 先日の彼的グッドニュースは、隣のノラディス領との境にある森に、飢えた大熊が何頭も出没しているというバッドなニュースだった。今日も期待はできなそうだ。


「なんだパラジル。やたら機嫌が良いな」

「ええ、ええ! エルレッド殿下、やはり天罰とはあるのでございますね。殿下を苦しめた、あのクレア・アーレイの訃報が載っておりますよ」


 は、と喉から一つ音が出て、ちぎり取るように新聞を奪う。端が破ける音に胸をかき乱され、パラジルの手をこじ開けて小さな欠片すらも取り上げた。


 そのまま床に膝をついて新聞を広げる。でも、探す必要はなかった。


『横領王子の元婚約者、正義のクレア姫に降りかかった悲劇! なぜ聖なる者が死に、悪しき者が生きるのか』


 新聞の一番目立つところに、汚らしい文字で書かれていた。観劇のあおり文のような題目で、彼女の死が伝えられている。こんな薄い紙で何を語ろうというのか。


「……なぁ、これは……どういうことだ?」

「ええ、すべて真実でございます。なんでも、馬車でひき殺されたとか。目撃者の話では、屋敷の玄関は血だらけで、死体と思わしきものも引きちぎられて無惨だったそうですよ。あぁ、神は見ておられ――っ……!」


 声が邪魔だったので、喉に手をやって止める。目覚まし時計のように、それはピタリと消えた。


「そんなことは聞いていない。これは、お前たちがやったのかと聞いている」

「……っ」


 首を絞められ、声が出せないのだろう。パラジルは代わりに瞳を輝かせる。口角をあげ、ただ機械的に笑っていた。



 どうしても信じられなくて、何かの間違いであってほしくて、エルレッドはすぐさま王城に問い合わせた。こんなことがマルヴィナに知れたら、ここに安全地帯はなくなるだろうと分かってやった。

 

 翌日、また紙が届く。クレア・アーレイの戸籍には、確かに死亡と書かれていた。葬儀は粛々と行われ、勇敢な令嬢を偲んで王都中の人々が黙祷をしたらしい。


 こんな薄い紙で、彼女の死を知るだなんて。別れも告げられず、黙祷する時間すら与えられず、彼女と彼はこんなに薄い関係になってしまったのだ。今だって、国中の誰よりも彼女を愛しているというのに。


 ―― あぁ、もう全部どうでもいい


 机の上に放置してあった手紙をぐしゃりと掴み、そのまま送った。




 明日できっかり三か月という夜。社交シーズンは終わりを告げ、マルヴィナが帰宅した。


 泣いた真っ赤な目、腫れたまぶた、睡眠も取れずボロボロの姿を晒すことになったが、もうどうでもよかった。


「……殿下も聞きまして?」

「クレアの訃報だろう。見ての通り、泣いたよ。なぜ、やった?」


 彼女の名前を口に出して欲しくなくて、先に話題にしてやった。

 マルヴィナは小首を傾げて、天罰でございましょう、と言う。


「あぁ……でも、事故の少し前に王城で見かけましたわ。暇そうな顔をして図書館で本を選んでいるようでした。それでね、珍しい栞を挟んでいたから……わたくし、とても羨ましくなってしまったのかも」


 マルヴィナの手が胸を這う。行き着く先にあるポケットからスミレの栞が抜き取られた。


「お、そ、ろ、い?」

「……あぁ、それが原因か。そうか……ははっ、救いようもない」


 マルヴィナを殺したい衝動が走るのと同時に、自分の喉元を切り裂きたくなる。すがるように抱えていた愛が、彼女を殺したのだ。希望が染み込む前に、もっと早く手放せば良かった。


 マルヴィナは満足そうに微笑んで、スミレの花をぐしゃりと握り潰す。歪んだそれは床に転がり、後ろに控えていた使用人に捨てられた。


「お掃除完了ですわね! ふふっ、明日は婚姻誓約書を書かなくてはなりませんわね。元婚約者には子もいないようで安心でございましょう。殿下の子を産むのは、わたくしの役目ですもの」


 明日にはフォクル公爵家に婿入りだ。婚姻誓約書の提出と同時に、王位継承権も剥奪される。もうどうでもいいことだが。


「そうだな……しかし、ただ書類を交わすだけで明日を終わらせるのももったいない。二人きりで遠乗りをしよう。崖を超えた先に丘があるだろう。行ってみたい」


 マルヴィナは片眉を上げながら、不満とも訝しげとも取れる表情をする。


「なにをお考えでございますか?」

「なにも。もう考えるのも疲れた。僕に殺されるのが怖いから二人きりになりたくないというのであれば、自警団でもパラジルでも護衛につければいい。おやすみ、マルヴィナ」


 初めて名前で呼んでみると、女狐は顔を赤くした。それは恋慕か恥か、あるいは怒りなのか。すぐに下唇を噛み、荒々しくヒールを鳴らしていた。




 翌朝、エルレッドは顔を洗い、身支度を整えた。食事をおかわりしたのは久しぶりだ。


 残念なことにマルヴィナとは二人きりになれず、後ろから自警団がぞろぞろと付いてくる。今更、何を怖がっているのかと女狐に嘲笑を向けると、彼女は不機嫌そうに目を釣り上げていた。

 

 馬をゆっくり走らせ、崖に架かる橋を渡っていく。緩やかな丘を進み、そのてっぺんまで来ると風が通り抜けた。あの男の子が失踪した広場の小山のようだ。


 それは小山だけでなく、反対側のふもとに森が広がっているところまでそっくりだ。

 しかし、あの森とは違い、キツネも入ってこないような深く暗いものだと分かる。


「ほう。地図で見たことはあったが、森の西側がノラディス領か。そして、北側に森を抜ければ隣国のノルダン王国。ノラディス領には港もあるし、輸出入がしやすい。フォクル領は細い土地で作物も育ちにくいが……こうしてみると立地は良い」


 領民は皆、素直で信心深い。主導者が実直に方法を見出せば、きっと肥えていくだろう。


「ええ、殿下と――いえ、エルレッド様と共に、フォクル領を治めていきとうございます。明日から、末永くよろしくお願い存じます」

「……それはできない。貴様も、僕も、ここを統治する権利などない」


 エルレッドは胸ポケットから紙を取り出す。風に吹かれて飛んでいきそうなほど薄い紙。初恋相手である王子は、冷たい声で女に告げる。


「今日、ここでマルヴィナ・フォクルとの婚約を破棄する」

 



 



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