17話 ドアノッカーを響かせる
あれから何度訪れただろうか。クレア・アーレイは、ドアノッカーを響かせる。
「また来たのか……」
「何度でも、ご訪問いたします。ノア様に真実を話していただくまで、永遠に、ずっと、一生ですわ!」
「重いー」
エルレッドがスパイ王子として頑張っていた、この三か月間。クレアはノア・ノラディスを問い詰め続けてきた。
あの日、彼がマルヴィナの婚約者になった瞬間。床に膝をついた状態で、大嫌いな女との婚姻を約束させられるという超バッドエンドにもかかわらず、彼の緑色の瞳は一瞬だけ緩んだ。
それは、クレアだけが知る彼の安堵の癖。エルレッドからの贈り物をクレアが身に着けているときにみせる、ほっとした瞳の緩みと同じだった。あの日、クレアはそれに気づいてしまったのだ。
考えに考えた結果、エルレッドが……いや、四人の王子が何かしら企てたのではないかと疑念が生まれる。
それをノアにぶつけてみるが、今日も彼は被りを振る。
「考えすぎだって」
「それはどうでしょうか。実は先週、ここノラディス公爵家に侍女として忍び込んだのですが」
「え、侍女? 嘘だろ……? うちのセキュリティ大丈夫か……?」
相変わらずのスパイ令嬢。勝手知ったるノラディス家だ。容易かった。
「そうしたら、空き部屋に二着のドレスが飾ってあるのを見つけてしまいました」
ノアの肩がピクリと揺れるのを見ながら、クレアは続けた。
一着目は、白を基調とし、そこに金糸のシフォンを重ね合わせることでドレス全体を控えめに色付けたもの。胸元と裾には緑色の宝石が散りばめられていた。
二着目は、どこからどう見てもウェディングドレスだった。ご丁寧にベールまで添えてあるやつ。
どちらもノアが仕立てたものだと思い、良き縁でもあったのだろうと祝福の心構えをする。特に、父親であるノラディス公爵は、縁談を断りまくる息子に手を焼いていたし、ホッと一息ついていることだろう。
しかし、不思議なことに、その二着はサイズが全く異なるのだ。一着目は身長が高め。二着目は身長が低め。
「ノア様って軽薄な人だったのね。……なんて初めは思いましたが、一着目のドレスのサイズには既視感がございました。そこで気づいたんですの。むしろ、なぜ今まで気づかなかったのかしら。エルレッド様とノア様、色が逆さまでおそろいなのですね」
「あー……あはは?」
ノアは緑色の髪をカリカリと掻いて、気まずそうに笑う。
エルレッドは金髪緑瞳、ノアは緑髪金瞳。二人が恋人にドレスを仕立てたら、同じようなカラーリングになってしまうのだ。エルレッドは、それを逆手にとったのだろう。
「これは確かめなければと思い至り、その足でレベッカ様に会いに行ったのです」
「そう……会いにいっちゃったんだ」
「会えませんでしたわ。当然、重要事件の片棒を担いだご令嬢ですもの。お会いできないのは当然です。でも、不思議ではございませんこと?」
今や国中の話題である第三王子横領事件。その主たる原因であるレベッカ・レカルゴは、名前も存在も報道されないまま、三か月が経とうとしている。
「かと言って、帰国されるわけでもなく、王城の一室で軟禁されながら、美味しそうな食事を召し上がり、王都で流行りの小説を読んでらっしゃるようなのです」
「見たんだ……?」
「ええ、廊下の陰からこっそりと。お食事や物資が運ばれていく様を拝見しました」
クレアは広げていた洋扇を閉じ、それをノアに向ける。不敬であっても、彼女は物申す。
「婚約破棄騒動は、フォクル公爵の何かを暴くために行った狂言でございますね」
ノアはうんともすんとも言えない様子で唸るだけだった。
「ノア様にもお立場がありますものね。お答えいただかなくても結構でございます。……でも、一つだけ、どうしても分からないことがあるの……」
なぜ、エルレッドはそれを伝えてくれなかったのか。
ノアがレベッカのドレスや宝飾品を購入していたのであれば、横領で得たお金はどこへいったというのか。
確証はないが、本当は横領などしていなかったとしか思えない。裏帳簿こそ、偽造だったのではないか。悪事の証拠をでっちあげるなんて思いもしなかった。
であれば、王位継承権の剥奪を行う必要はない。与えられた三か月間でマルヴィナの悪事を暴いて、王城に戻ってくればいい。婚約破棄なんて、したフリをすれば良かったじゃないか。
クレアだって、いくらでも演技をしたのに。その気になれば、こんな風に涙を流すことだってできたはずだ。
あの日、なんで彼を追いつめてしまったのか。彼を信じきれなかった自分に、どうしたって腹が立つ。なにが十二年の愛だ。最低最悪の婚約者じゃないか。
クレアがぐしゃぐしゃの顔をハンカチでぐいっと拭うのを見て、ノアは小さく笑った。「こうやってクレアが悲しむからだろうなぁ」と言う。
「殿下はさ、憎んで忘れてもらいたかったんだよ。ちゃんとした家に嫁いで、幸せになってほしいって言ってた」
「……え?」
「殿下自身はクレアのこと忘れられないくせにね。たった一つしか持っていけなかったのに、あの人、何を選んだと思う? スミレの花のブックマーカー。詳しくは知らないけど、あれって二人の思い出なんだろ?」
ノアの言葉で、クレアの涙はひっこんだ。この瞬間、彼女はエルレッドの真意に気づいてしまったのだ。だから、彼はクレアを騙す形であんなことをしたのだと。
「……わたくし、行かないと……」
「は? 突然、どうした? いい感じに涙の展開だったじゃん。ちょ、どこいくの!?」
「セシルド殿下のところです! ノア様も一緒にきてくださいませ!」
「ぇえ!?」
突然の訪問であったが、ノアの口添えで第一王子との面会が許可される。
さすがのクレアもセシルドが病を患っているとは思わず、ひどく驚いてしまった。
この三か月でセシルドはやせ細っていて、「この姿を見たのなら、ただで帰すことはできない」とか、さながら魔王のようなことを言う。
そこで、クレアはエルレッドから聞かされていなかった事情をすべて知る。ラメール国への留学、アーレイ邸の襲撃や暗殺未遂、マルヴィナへの疑惑、そして彼がクレアを遠ざけた理由を。
クレアもセシルドにすべてを話し、一切を託した。エルレッドを助けられるのは、もう彼以外にいないと分かっていたからだ。
しかし、帰りの馬車では、忠臣ノアがやたら心配そうにしていた。
「……本当にこれでいいのかな。オレ的想定の中で、一番のバッドエンドなんだけど」
「いいのです。エルレッド様の幸せは、ご本人がひとりで決めることですわ」
「酷いー。案外ドライなんだな?」
クレアは小さく笑って首を傾げた。腰まである長い髪を、耳にかけ直す。
「そうですか? 時に、それを『信頼』と呼ぶのではございませんこと? 人は皆、限られた選択肢の中から自分がこれだと思ったものを選び取り、幸福も後悔も背負って生きていくものです。実際、わたくしがエルレッド様のために出来ることはここまでですもの。あとは静かに読書でもして、余生を過ごします。もう十二年も通っているのに、王城の図書館には読んだことのない本がたくさんありますから」
クレアが胸に抱えているのは、三か月前に彼の寝室に置いてあった本だ。借りてきたばかりのそれに、スミレの栞をそっと挟む。パタリと良い音がして古い本の香りが舞った。
しかし、クレア・アーレイが図書館に訪れたのは、これ以降たったの五回だけ。余生とは、時に短くあるものだ。
それは王城図書館に訪れた五回目の帰り道のことだった。
このところ、出かける場所といえば王城図書館くらいだ。屋敷と図書館を往復する平坦な日々。
特に、前の日にイヤなことがあり気が滅入っていたクレアは、ここで気持ちを切り替えようと服を新調することにしていた。
アーレイ伯爵邸の前で馬車を降りると、そこで橙色の商人とかち合う。横領事件で一躍有名人になってしまったクレアは、買い物もままならない。あれ以来、商人は毎日のように顔を出してくれていた。
「あら、ちょうど良いタイミングですわね。暑いでしょう? 冷たい飲み物でもいかがかしら」
季節は初夏。あと一週間と少しで社交シーズンは終わりを告げ、人々は涼を求めて領地へと戻っていく。
橙色の商人は汗を拭きながら、にこにことお辞儀をする。
そこに、一台の馬車が向かってくる。
その速度は誰が見ても異常なもので、あまり人気のないアーレイ邸前の通りではあるが、そこかしこから悲鳴が聞こえはじめる。
速度はどんどん上がり、御者はそれを止める様子もなく歩道を突き進む。
クレアは事態を察知して、屋敷の中に入ろうと玄関扉を開けた。
しかし、それが閉まる直前。開いていた門を通り抜け、馬車はそのまま屋敷につっこんだ。
なにかがひしゃげる悲痛な音が鳴り、馬車は横転。手綱を解かれた馬が怪我をしたまま暴れて逃げていく。
車輪がカラカラと回る音が消え、事故特有の沈黙が流れる。
屋敷の中にいた使用人が慌てて惨状を覗き込む。
玄関には赤い水たまりができていて、紫色のドレスや白いシャツの切れ端が見えた。奥へと視線を動かせば、腕だか足だか分からない何かが千切れて落ちている。
「ク、クレア様……!?」