15話 キツネに化かされる
そこは、まっさらな土地になっていた。家が丸ごと潰されているのだ。
「ご近所の方ですか? ここに三人家族が住んでいましたよね。小さな子がいたはずなんですが」
「あんた、事件を知らないのかい? あぁ、その髪色、ラメール国の人か。あの家族はね――」
流浪の商人を装って聞き込むと、近所の人々は痛ましそうに教えてくれた。子供がどこかへ消えてしまい、両親は心を病んで崖から身投げしたという事件だ。
「ご両親がボロボロでねぇ。でも、領主様が医者を寄越してくれて、どうにかなるかと思ったんだけど……子供を失った心に薬は効かないもんだねぇ」
「どちらの町医者ですか?」
「いやぁ、違う違う。ありゃ町医者じゃないよ。え? 風貌? うーん、どこにでもいる青色の髪だからねぇ……」
ご家族を弔いたいからとお願いして、子供の失踪場所である広場と、両親が飛び降りた崖の場所を教えてもらう。
その足で広場に行ってみると、そこには楽しそうな声が響いていた。日当たりはよく、子供が駆け回れるように土地を拓いたのだろう。
ベンチが並んでいて、親は座って子供を見守ることができる。
―― 子供はどこへ消えたんだ?
ぐるりと歩いてみると、端の方に小山があった。雪が降る地域ではありがちで、ワザと小さな山を残してあるのだ。今は雪もほとんど溶けているが、冬になるとそり滑りのスポットになる。夏は草滑りか。
子供にまぎれて、王子がよいこらと小山に登ると、心地良い風が頬を撫でる。その風は反対側へと降りていった。
山頂に来てみてわかるが、反対側のふもとには森が広がっていた。
「あぁ、森の向こうはノルデン王国か。子供が立ち入らないように、森を厚く残したのだな」
なかなか良くできた設計だ。女狐の配下には優秀な人材がいるのだろうか。いや、狐に化かされていることに気づかないのだから、真に優秀だとは言え……ん?
「キツネだ」
森の中からキツネと思わしき、ふさふさのしっぽが出ていた。ふむと顎に手をやり、一度ベンチの方を見る。こちらを見ている親もいれば、水を飲んだり、他の兄弟に気を取られている親もいる。
「……化かされてみるか」
エルレッドは山を滑り降りる。この時点で、親からすれば子供は突然消えたと思うだろう。そのままキツネを追いかけ、森へ入る。
森と言っても、熊やオオカミがいるような暗雲なものではない。たぬきとかうさぎとか可愛らしいものがいそうな爽やかな森だ。子供の目で見れば、また違うのかもしれないが。
なんとなくキツネを追いかけてみるが、ちょこまかと動き回る姿が憎らしい。一度はしっぽを掴めそうなほど近付いたが、とうとう見失ってしまった。
仕方がないので諦めて、通りやすい道を歩いてみる。獣道にも見えるが人工的なものだろう。
くんねりと曲がりながら行き着いた先には、なんとも可愛らしい小屋があった。
「これは……自警団の駐屯所か。綺麗にしているな」
水がごうごうと流れる音がする。この小屋を超えたところに川があり、その対岸はノルデン王国だ。この駐屯所は越境してきた者を保護したり、案内する役目もあるのだろう。
「おや、殿下ではありませんか」
小屋の中から出てきたのは自警団の制服を着た男だ。
国境を見たいと言って川まで案内を頼むと、そこには橋が架かっていた。国境にかかる橋であれば、通常は両端に騎士が立っているはず。しかし、ここには誰もいない。
ノルデン王国とエスタート国は、マルヴィナの両親の婚姻と同時に協定が結ばれており、越境も自由に行われるようになっているからだ。
と言っても、エルレッドは王族であるため自由に越えることはできない。今の立場で国境を越えれば、国外逃亡したと思われてしまう。
―― ここならば、子供を運び出せるか
小屋の中も見せてもらったが、怪しい気配はない。
誘拐した子供を監禁でもしているのかと思ったが、さらった後すぐに越境させてしまうのであれば監禁場所は必要ない。
そのまま自警団から馬を借りて、今度は両親が飛び降りた崖に向かう。周囲に店はなく、人の気配もしなかった。
しかし、一軒だけ民家が佇んでいる。珍しいところにあるものだと思い、住人を訪ねてみるが不在だった。窓から覗くとカーテンもなく、部屋はガランとしていた。
どうしたものかと思っていると、後ろから声をかけられる。
「何の用だ?」
「あぁ、住人の方ですか。旅をしていて、道を聞きたかったんです」
「……ラメール国の商人か」
住人は鮮やかな赤髪を撫でつけながらポストの表札を取り、ポケットに入れていた。
「もしかして、お引っ越しですか? とても素敵な髪色ですし、生まれはフォクル領ではないのでしょうね。今まで見た赤髪の中で、一番の鮮やかさですよ」
「そうか? 元々、ラメール国の生まれで国に帰ることにしたんだよ」
突然、朗らかにしゃべるようになった元住人。雑談をしながらさり気なく聞いてみると、ここで起きた飛び降り事件が頭から離れず、医者の勧めで移住するのだという。お見舞いとして領主様から引っ越し代も貰ったとか。
「その飛び降り事件というのは……?」
「あぁ、今でも夢に出てくる。ここらへんは静かで人がいない。それが気に入って住んでたんだけどなぁ。あの日はやたらうるさかったんだ。誰が騒いでるのかと思って、窓を開けた」
そしたら、大笑いしながら走り回っている人がいた。彼らはそのまま楽しそうに崖に飛び込んでいった。気が触れちまったんだよ。そう語る住人の顔は青かった。
エルレッドの顔色も同じ色だった。想定していたよりも、ずっと惨いことが起きている。
雨樋を伝うように、血液が下がっていく感覚。胃がきゅうっと鳴り、足が重くなる。
その日はすぐさま屋敷に帰り、パラジルを呼んだ。
「街を散策していたら少し体調が悪くなってしまってね。胃と頭が痛いんだ。……医者か薬師がいたら、診てもらいたいんだが。できれば、フォクル公爵の担当医だと安心だ」
「なんと! フォクル公爵の婿となる御身に何かあれば、大変なことでございます。このパラジルにお任せください」
そう言って、彼は医者を紹介してくれた。
ありがとうございます。
残り5話で完結予定です。