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13話 スミレの花で毒を消す



 公爵八家の会合の夜、エルレッドは私室のベッドに突っ伏して泣いていた。


「あー……。この世には、死ぬより辛い、ことがある」

「なんすか、それ。辞世の句?」

「あぁ、現世を辞められたらどんなに楽だろう。ノアは見なかったのか? クレアの目、表情、仕草。その全てが僕を軽蔑し、虫けらのごとく嫌悪していた。調印のときなんて、少し近付いただけでスーッと距離を開けるんだ。彼女はアサシンなのかな。精神が殺されたよ」


 ノアは天井を見上げて、苦笑いをする。


「はいはい、全部見てましたよ。オレの中では、主演男優賞受賞でしたけどね。過去一、輝いてた!」

「齢十九年だぞ? もっと輝いてた場面があっただろう」

「すみません、今日のインパクトが強すぎて今までが霞むというか……」

「はぁ……クレアの中にいる僕も、今日の愚かな僕に塗り替えられてしまったのかな。『このひと、こんな馬鹿だったの?』という顔で見ていた……くっ……つらい。でも、蔑んだ顔も可愛かった」

「救いようがないっすね」


 いっそ誰か僕を殺してくれぇええ。エルレッドはクッションに顔をうずめて、うわーとかぬおーとか叫ぶ。仮面の下で、ダミアンがコホンと咳払いをしていた。



 あの場でクレアとの婚約破棄と、マルヴィナとの婚約の書面に調印した上で散会。明日の出立のために、エルレッドは私室で準備をしていた。


 準備と言っても、金や宝石はもちろんのこと時計の一つだって持っていくことは許されていない。

 持参できるものは一つだけ。それも金目のものではないことを条件に。


 どれを持っていくべきか。クレアとの思い出がつまった巨大な宝箱をがさごそと探る。


「それにしても、上手く釣れてよかったよ。フォクルの女狐が手を挙げたときは、僕も安堵で緩んだ」

「オレも超ドキドキしましたよ。親父のやつ、マルヴィナより先に手を挙げようとしてたの気付きました? ありゃ、あわよくば殿下を我が子にしてしまおうとか思ってたんだろうなー」

「ノラディス公爵は、フォクル領に僕を送り込むのに猛反対していたからね」


 他にやり方があるはずだと、ノラディス公爵は何度も説得してきた。しかし、こうするのが一番なのだ。


 ちなみに、ノアとレベッカの婚姻については順調に事が運んだ。

 今回のことで、レベッカの世話焼きな人柄をノラディス公爵が大層気に入り、エルレッドの後押しもあったことから、すべて片付いたらノアとの婚姻を認めると約束してくれたのだ。

 彼女の協力なしでは、クレアの告発は成し得なかっただろう。助演女優賞だ。


「でも、猛反対していた親父よりも、マルヴィナの恋心が強かったってことですよね。あの甲高い浮かれ声! 早い者勝ちで殿下をゲット!」


 昔っから、マルヴィナはエルレッドのこと好きだったもんなぁ。ノアは懐かしむように言う。普段は黙している騎士ダミアンが仮面の下で驚いていた。


「そうだったんですか? 殿下にベタベタと絡むなぁとは思っていましたが……」

「小さい時から観察していたオレとしては、マルヴィナの初恋相手はエルレッドだったと思うけど」


 ノアとダミアンの視線を受け、エルレッドは苦笑いで答える。


「あー……どうだろう。しかし、あれは純粋な恋慕とは言えないな。愛されたいという羨望の塊だ。実際、あの女の視線はいつもクレアに向いていた。僕の婚約者になれば、自分がクレアのように愛されると思っている」


 目的と手段を混同している。クレアだから愛していただけなのに。


 そこで、寝室の扉を叩く音が響く。そこには、侍女長のメラニーおばあちゃんが困った様子で立っていた。クレア・アーレイが来ているというではないか。


「クレアが……? ほ、本当か!?」


 ―― 会いたい。会いに来てくれた


 じんわりと涙がにじむ。何をしに来たとか、そんなことを考えるよりも前に足が向かう。


 しかし、そこで止めた。会うべきではない。

 彼女とは、このまま一生会えなくなるかもしれない。仮に見かけることがあったとしても、言葉を交わすことはないだろう。


 だが、今ここで会ったところで何ができる? 抱きしめることも謝ることもできない。『おまえのせいでこんなことになった!』そう怒号を浴びせて責めるのが、今のエルレッドのやるべきことだ。


 ―― ……もう、クレアを好いてない演技は疲れた。無理だ。できそうにない


「……不在だと言って、帰してあげてくれ」


 ノアとメラニーは勿論のこと、ダミアンでさえも本当にそれで良いのかと、何回も確かめてくる。そのたびに、本当に良いのだと言い聞かせるように頷いて返した。

 

 宝箱の中身を一つ一つ並べる。彼女の背中に貼った宝物カード。誕生日にくれたカフスボタンやブローチ。彼女が作ってくれたお菓子の包み紙。一緒に読んで笑い合った冒険小説。交換日記みたいな手紙の束。


 選べるのは、一つだけ。


「これを持っていこうかな」

「ふーん? スミレの花で作った……ブックマーカー?」

「ああ、ロイヤルガーデンに咲いている」


 エルレッドがクレアに恋をしたのは七歳のとき。初恋だった。

 婚約者になってくれたことが嬉しくて、王族しか入れないロイヤルガーデンで初デートをした。初めて入る庭園で、彼女は花が咲くように笑ってくれた。


 嬉しくなっちゃったエルレッド少年は、ここで思いがあふれてしまう。そのとき見ていた絵本の王子様のセリフを少しだけ変えて告げたのだ。


『初恋の女神様、どうか僕の願いを叶えてくれませんか? 絶対に幸せにするから、僕とずっと一緒にいてください』


 つたない言い回しだったのは認める。でも、一生懸命だった。

 恥ずかしそうに顔を隠してしまった彼女は、小さな声で「はい」と答えてくれた。一生の思い出だ。

 それはちょうどスミレの花が咲いている花壇の前での出来事で、そこから二人の恋は始まったのだ。


 そうして十一年が経った、昨年の三月。十八歳という成人を迎えた日に、同じスミレの花の前で思い出話をしながら、初めて彼女とキスをした。ファーストキスの交換だ。


 照れ隠しなのか、スミレの花が綺麗ですね、なんて話している彼女が愛おしかった。


 じゃあ、摘み取ってお互いに栞を作ろう。それを週の真ん中ティータイムのときにオススメの本に挟んで交換するのはどうかな。そう約束して、この一年間は毎週交換し続けた。

 これは、クレアが作った方の栞だ。紫色の花びらが、今も咲き続けている。


 それを枕元に置いて、準備は完了。


「二人とも、世話になったな」

「恐れ多いお言葉です。フォクル領でも、私が殿下についていられたら良いのですが……」

「殿下……いや、エルレッド。死ぬなよ?」


 ノアは心配そうに瞳を揺らしていた。エルレッドと共に、彼もフォクル領の調査にあたっていた。今のフォクル領が危険な場所であることをよく知っているのだ。


「ははっ、誰に物を言っている? ダミアンがいなくても大丈夫だ。死ぬわけあるか」


 エルレッドは声をあげて笑ってあげた。


「それより、ノアにはクレアのことを頼みたい。良い家に嫁いで、幸せになってほしいから。……変な男に引っかからないように、ちゃんと見守ってくれよ? もし引っかかりそうだったら、ダミアン。迷わず、そいつを斬るんだぞ?」

「御意!」

「御意んなよ……。ったく、この期に及んで、その話します? オレはさ、エルレッドにも幸せになってほしいんだけど。さっさと片付けて戻ってきてくださいよ。クレア嬢に変な虫がつかないように見守っておくからさ!」


 第三王子の横領事件は、そのうち国中に知れ渡るだろう。同時に、それを告発したのが元婚約者であることも。そんな二人に未来があるわけもない。

 それでも希望を忘れないノアの気概が、今のエルレッドに染み込む。


「そんな風に言ってくれる親友がいて、僕は幸せ者だよ」

「本当にさぁ! 幸せになってくれよー! 明日は、第三王子執務室と第三王子付きの侍女全員で盛大に見送る予定ですから。ライスシャワーにパーティークラッカーも用意してあるから、まかせろ!」

「第三王子付きの騎士たちも総出でお見送りいたします!」

「……横領した王子を盛大に見送る気か?」


 翌日の早朝。ノアが設定した見送りの時間よりも早く、エルレッドはフォクル家の馬車に乗って王都を発った。十九年過ごした王城だ。友人と呼べる部下たちを見たら、どうしたって寂しくなってしまうからだ。




 到着が夜だったとは言え、フォクル公爵の城はひどく寒々しい箱だった。

 もう春だというのに、まるで真冬のような床の鳴り方。絨毯では隠しきれない冷たさが、小さな城を覆う。


「お待ちしておりました、エルレッド殿下。フォクル公爵の秘書を担っております、パラジルと申します」

「あぁ、覚えがある。昨日もフォクル公爵と共に王都にいたのでは?」


 側近パラジルは、クレアと同じ紫色の髪をしていた。エスタート国ではよく見る色だ。


 彼は嬉しそうに眼鏡を輝かせ、覚えていたことへの謝辞を述べてくる。マルヴィナ不在の間、屋敷の中で最も信頼されているパラジルがお世話係に任命され、昨日の内に帰宅して準備をしていたらしい。


 そう。なぜこの時期を選んで婚約破棄騒動を引き起こし、マルヴィナの婚約者としてエルレッドがここに来たかと言えば、社交シーズンが始まるからだ。


 公爵であるマルヴィナは、議会はもちろんのこと、舞踏会やパーティーへの出席が重なるため、この三か月間は王都に出突っ張りだ。


 王都からは馬車で丸一日の距離なので、たまに戻ってくることはあるかもしれないが、それでも女狐の目が届きにくいのは確かだ。


 マルヴィナとの婚姻は三か月後に設定されている。それは婚約破棄から三か月間は、第三者との婚姻を禁じているからだ。元の婚約者に子が出来ていないことが証明された後に、他者との婚姻が可能となる。


 裏を返せば、婚約者という立場でフォクル領の調査ができる時間は三か月が最長ということだ。


 ―― 民を殺し、クレアを襲ったあの女狐と婚姻? してたまるか


 三か月で片付かなければ、婚姻の可能性も出てくるだろう。最低最悪のパターンだ。


 クレアのスパイ令嬢に打って変わって、次はエルレッドのスパイ王子の戦いが始まるのだ。


 


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