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12話 婚約破棄



 先手を打たれたのだ。クレアは失態を自覚する。

 婚約破棄宣言をされた伯爵令嬢が何を喚いたところで、後手だ。誰も聞く耳をもってくれないかもしれない。


 実際に、この場で最も権力のある第一王子セシルドは涼しい顔で上座についてしまった。

 しかし、捨てる神がいれば拾う神もいる。こんな暴挙に対して、不正を許さぬ第二王子ガイアードが黙っているわけもない。


「エルレッド、気が触れたか! アーレイ伯爵令嬢とは陛下の調印を持って婚約契約を結んでいる。宣言をしたからと言って、反故にできるわけもない」

「それは彼女が王族と婚姻するに相応しい人物という前提で結ばれた契約です。これを御覧になってください。陛下もお認めになるでしょう」


 エルレッドが取り出した紙は、例の嫌がらせ目撃集だ。こんな厳格な場にレベッカを連れてきて、こんな嘘まみれの証拠を出してくるとは。

 クレアは目眩を起こしそうになる。信じていた聡明なエルレッドが、ただの馬鹿王子になってしまったのだから。


 第二王子はそれを眺め、厳しい視線を向けてきた。


「物置に閉じ込めた。ドレスを破いた。レカルゴ男爵家への金銭的制裁もしていたとあるが……?」

「ガイアード殿下。それは嘘の証言でございます」


 クレアは口上を述べて許可を得た上で話をする。

 第十五会議室横の物置には鍵などついていないこと。破いたドレスもピンク色とされているが、あの日にレベッカが着ていたのは緑色の生地に金色の刺繍がされたドレスだということ。


「レカルゴ男爵家の経済状況については……お調べになれば、すぐにわかることかと存じます」


 これで嫌がらせの件は収束するだろうと、クレアは淡々と続けた。

 しかし、ガイアードは眉をひそめる。その目には、追いつめるべき犯人を見つけたかのような鋭い光が差し込んでいる。


「ここには、第十三会議室横の物置と書かれている。ドレスも貴殿が言及した色味のものを破いたとされているが。今の発言には、どういう意図があるのだ?」

「え……?」


 エルレッドに視線を向けると、彼は楽しそうに口元を歪ませていた。


 ―― わたくしに渡した証言集とは別のものなのね……!


 なぜ、それを考慮にいれなかったのか。でも、だって……どんなに裏切られたとしても、クレアの根底は彼の味方であり続ける。

 初恋は、まるで雛鳥の刷り込みのようだ。頭では分かっているのに、信じてしまう癖が抜けない。


 クレアは必死になって否定した。だが、やっていないことの証明は難しい。


 途中、レベッカが泣き真似をしたり、それをエルレッドが庇ったりする茶番を見せられ、クレアの心はひどく煽られる。

 このままではアーレイ伯爵家は没落だ。クレアの立ち回りのせいで、家族を不幸な目にあわせてしまうだなんて。


「反論は以上か? はぁ……所詮、きみはそういう人間だったということだ。よく十二年間も猫を被っていられたものだな」

「……いいえ。皆を騙しているのは……エルレッド殿下。貴方だわ」


 家族とエルレッド。その天秤が小さな音を立てて、傾いた。


「告発いたします。エルレッド殿下は横領をしております。そのお金で、レベッカ様のドレスや宝飾品を購入していたはずです」


 整然と並んでいる公爵たちの反応は様々だった。声を上げて一驚する者もいれば、小娘の戯言だと微動だにしない者もいた。

 マルヴィナは大きく目を開くだけで、クレアとエルレッドの行く末を観ているようだった。


 一方、エルレッドは小馬鹿にするように片眉を上げる。


「ははっ、なにを言うかと思えば。それは確かな証拠があっての発言か? もし証拠もなしに空想を描いているようであれば、不敬罪とみなすが」

「空想ではございません。殿下の執務室の机の上、『殿下印必須』の箱の中に裏帳簿が隠されております」

「な!? くっ……!」


 執務室に向かおうとしたのだろう。エルレッドが大扉へと足を向けた瞬間、第一王子セシルドが近衛騎士に指示を出す。

 彼とレベッカは騎士に取り押さえられ、わめき散らす。


「きゃあ! 何をするの!? わたしは何もしていないわよ。エルレッド殿下が勝手にやったことでしょう!」

「な、なにを!? 僕は何もしていない!」

「落ち着きなさい、エルド。潔白なのであれば調べても構わないだろう? 執務室を調査しなさい」


 第一王子の指示により、側近が動く。

 扉が閉まると同時に、第一王子は興味深そうな表情を向けてきた。横領の証拠を見たのかと問い質され、クレアは事実を告げた。


 北の大改修事業の見積もり額と支払い額に差があること。ドレスや宝飾の価値から察するに、他にも同じようなことをしているはず。裏帳簿にはそれが記載してあったと。


「それがレカルゴ男爵令嬢に使われた、と?」


 クレアは小さく首を振って答える。これに関しては、国中のドレス工房に調査をかけたが、レベッカのドレスを彼が作った確かな証拠は出てこなかったのだ。


「ですが、彼女のドレスや宝飾品の色から察するに、贈ったのは金髪緑瞳の男性でしょう。こうして、この場にレベッカ様をお連れしたことが、何よりもの証拠ではないでしょうか」


 次いで、クレアは彼の私室にある個人資産が全く減っていなかったことまで言及する。資産額という言葉に、エルレッドは噛みついてくる。


「資産額!? どうやって調べた!?」

「部屋に置き鍵をしてらっしゃることをお忘れですか? パスコードは九〇一。衣裳部屋にある隠し金庫の中にあることも、その資産額も、半年前に聞かされておりましたもの。……殿下から愛を向けられていた頃の……遠い昔の話でございますが」


 先ほど同様、セシルドが部屋を調べるように指示を出す。

 ものの数分で、清く厳かなテーブルの上に汚い証拠が積みあがっていく。第二王子ガイアードは裏帳簿を見て、嫌悪感を露わにした。


「エルレッド……おまえというやつは! 王族による横領が、どのような罰を与えられるのか知ってのことか!?」

「ガイアード兄上、待ってください! 横領したのには理由があるのです。どうか――」


 言い訳無用。それを遮り、セシルドが制した。


「エルド。理由はどうであれ、横領を認めるのだな?」

「くっ……兄上……」


 エルレッドの膝は床につけられ、すがるようにセシルドを見上げていた。


 クレアは、もう彼の姿を見ていられなかった。気高く聡明で、世界一格好良い人だったのに。十二年間の美しい思い出が塗り替えられてしまう気がして、彼から目をそらした。


 エルレッドは観念した様子で、ぽつりぽつりと話し出す。

 ラメール国に留学したことで、生まれてはじめて自由を得た気がした。帰国後、つまらない日常に心が抑圧されてしまい、出来心で横領をしたこと。少額だからバレないと思っていたし、スリルもあって楽しくなってしまった……と。


 しかし、付き合いの長いクレアを騙せるか急に不安になってしまい、気付かれる前に婚約破棄したかった。そのためにレベッカを使った。彼の声で語られたのは、どこにでもいる愚か者の動機だった。


「残念だよ、エルド。どんな理由があっても、この罰は建国時から変わらない。『金に汚い王族に、王の血は通わない』そう教わっただろう?」


 格言として語り継がれる、揺るがぬルール。王位継承権を剥奪されるのだ。


「この場に陛下がいらっしゃらなくて良かったのか悪かったのか。さて、この愚かな弟をどうするべきか……ちょうど公爵八家がそろっている。さっさと決めてしまおうか」

 

 開口一番、第二王子が厳しい姿勢を見せる。王位継承権の剥奪とともに国外追放すべきだと。

 エルレッドを疎ましく思っていた第二王子派のバラード公爵は、この案を強く推す。


 そこで、実弟である第四王子ナイジェイドが反対意見を述べる。横領金額に対して、国外追放はあまりに厳しすぎる。余罪がないのであれば、更生の道を示すべきだと。


 全ての事情を知っているノアの父親、ノラディス公爵がここで発言をする。


「横領については、そこにあるエルレッド殿下の個人資産を没収する形で補填するのはいかがでしょうか。横領額の何十倍もあるでしょうし、処罰としても十分だと存じます。継承権の剥奪後は、平穏に臣籍降下なさるのが妥当では?」


 臣籍降下。爵位を与えて、臣下になるということだ。

 その一言に、クレアの心が揺れる。元々、二人は臣籍降下と同時に婚姻する予定だったのだ。

 エルレッドはすべてを諦めたように、虚ろな目で床を見ていた。そんな夢など忘れてしまったのだろう。


 ここで、第二王子派のバラード公爵が異議を唱える。


「しかし、それではエルレッド殿下に権力が残るのではないかね? 罪を犯した者にそれを持たせてはならん。バラード公爵家としては、彼に当主の立場を与えるのはいささか心配でございます」


 バラード公爵の発言は、きっと思い描いていた通りのものだったのだろう。それぞれの立場を知り尽くし、計算された流れ。ここで、セシルドが舵を切った。


「……なるほど。皆の意見は理解した。国外追放も臣籍降下も無しに王位継承権を剥奪するのであれば……どこかの家に養子に入れるのが現実的だ。婿入りでも良い。受け入れてくれる者に監視をしてもらい、愚弟を導いてもらいたい」


 エルレッドを幼少期から可愛がっていたノラディス公爵の手が動く。しかし、それより早く手を挙げた人物がいた。


 ピクニックにでも来ているつもりなのだろうか。この場に似つかわしくない、浮かれきった女の声が響く。


「セシルド殿下! では、我がフォクル公爵家に婿入りしていただくというのはいかがでしょう?」


 ―― え? フォクル公爵に……婿入り?


 クレアの心臓が跳ねる。マルヴィナが身振り手振りするたびに、香水の匂いが空気を汚染していく。それを吸うだけで頭と心がぐちゃぐちゃにかき回され、思考が鈍くなる。


「ほう? マルヴィナ……いや、フォクル公爵が婚姻を成すと申すのか? 横領をした浅慮な愚弟と?」

「ええ、こうなっては仕方がございませんでしょう。かねてより仲の良いノラディス公爵家では、監視が甘くなるのではございませんこと? 他家が手を挙げないのであれば、わたくしがエルレッド殿下を正しくお支えしてみせますわ。忠臣たるもの、当然の行いでございましょう」


 クレアの足はガクガクと震えていた。まさか……こんなことがあるだろうか。すがるようにエルレッドを見ると、彼は緑色の瞳をわずかに緩めていた。


 セシルドは、淡々と結論を告げる。


「では、クレア・アーレイ伯爵令嬢との婚約は、エルレッドの有責により破棄される。同時に、マルヴィナ・フォクルとの婚約を認める。規定により、三か月の期間を置いたのち、即日婚姻を成すこと」


 鳥のさえずりや風の音も聞こえない。反論をしようか迷うような布ずれの音すら、一つも鳴らなかった。


「資産は没収し、国の財源にあてる。明日には王城を発ち、フォクル領へ下ることを命ずる。三か月後の婚姻をもって、第三王子エルレッドの王位継承権を剥奪する」


 仰せのままに。そう小さく答えたエルレッドの声は、クレアの耳に色濃く残った。


 


 


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