絶対に開けてはならない
永倉采奈が死んだことを知ったのは、テレビのニュースだった。
もっとも、早朝に配信された速報には、「永倉采奈」という名前は表れてなかった。正式に遺体の身元が判明したのは、その日の夕方である。
速報では、「鴨川で遺体を発見」とだけ伝えられた。この段階では、年齢も、性別さえも不明であった。
それでも、僕は、そのニュースを見た途端に、遺体が采奈のものであると分かった。分かりたくないのに、分かってしまった。
采奈が行方を眩ませたのは、修学旅行二日目の夜の、日付が変わる前後である。
修学旅行に同行していた教員たちは、束の間の休息であったはずのところを叩き起こされ、京都の警察とともに、失踪した少女を捜索した。
最後に姿を見せた地点、もしくはその付近に、黒い制服の少女がいないことは明白だった。
ゆえに、捜索は京都市内全域に及び、碁盤の目の街を、いくつかのエリアに分け、手分けして探したのだという。
本当は、僕もその捜索に加わりたかったが、教師から、旅館に留まるようにと止められた。
僕は、不本意ながらも、その指示に従った。今考えると、僕は当時から、内申点評価とやらが心から離れない臆病者だったのである。
旅館に留まっていたが、眠ることはできなかった。
脳と心を休ませることなく、朝を迎え、充実した目で、テレビを見た。
そして、最悪の結末を知った。
二泊三日の修学旅行は、鴨川の遺体発見のニュースによって、三日目の行程が中止となった。
生前の采奈とあまり関わりのなかった生徒からは、金閣寺を見れなかったことや、お土産を買えなかったことに不平を持つ者もいた。
その中の何人かは、帰りの新幹線で、デリカシーのないことに、そのことをはっきりと愚痴っていた。
一人残らず殴ってやりたい気分だった。
采奈の命を軽く考えるな――
采奈は僕にとって――
采奈の死――あの不幸な水難事故は、文字どおり、僕から全てを奪い去った。
それまでの僕の中学生活のほとんど全てだった、仲良し六人組での会合も、メンバーである采奈の死によって、二度と実施されなくなったのである。
それは、六人組が五人組になってしまったから、という、そんな単純な話ではない。
残された者たちにとって、采奈の死が持つ意味は、采奈の死それ自体を超えていたのである。
残された五人が集まらなくなったのは、采奈の死に蓋をするためなのだ。
絶対に開けてはならないよう、何重にも重しを乗せた蓋。
その蓋を、「地獄丸」を名乗るVtuberは、まさか、公然の場で開けてしまおうというのだろうか――
やっぱりなろうは部分ごとに背景色が変えられて良いですね。過去メインの部分は旧背景(水色背景)にします。
さて、今月13日ですね。
その日は、なろうでミステリーを書いている方5人(僕含めて)でリアルオフ会をしました。
遠方からこのために来てくださった神のような方もいらっしゃいました。
そして、秋葉原で、一次会、二次会と、ミステリーについて語り尽くしたわけです。
基本酒クズなので、僕は他の方の二倍から三倍くらい飲んでいたので(それなのに完全割り勘でしたね。。申し訳ありません。。)記憶は曖昧なのですが、その中で出たいくつかの発言に、影響されやすい僕は早速影響されています。
その中の一つが、「菱川は他の作家と違って後書きで作品の背景を全部話してるのが面白い」というものだったので、こうして後書きをせっせと書いているということになるのです。