潜り抜け
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よっしゃー、潜水時間70秒突破! これでまた助かる確率が上がったぜ。
ほれ、最近ニュースでやってたろ、海難事故。あれさあ、息が続かなくなって、どうしようもできなくなった……てケース、あると思うんだよ。
ゆえに、取り込んだ空気のみでの活動時間を増やす。あるいは息ができなくてもこらえられる余地を増やしておく。こいつが明暗を分けるんじゃないかと、個人的には考えているわけ。
自分が、普通なら過ごせない空間にとどまれるようにする。
苦痛、危険がともなうことなら、普通は避けたくなるもんだ。それを押して入るのなら勇気や事情があるのだろう、と俺たちは考える。
実際、どれほどの意味があるかは俺たちが勝手に想像している節はあるがね。
俺の昔の話なんだけど、聞いてみないか?
小さい頃の俺は、朝起きて顔を洗う時には、洗面器を使っていた。
たいていの人は手ですくった水で、何度か肌をたたき、拭っていくだろうが、俺はそれだと気持ち悪さが残る、
ゆえに洗面器に水をたたえて、その中へ顔をたっぷりつけながら、指で何度もごしごしとこする形をとっていた。
水の中では息が続かず、自然と呼吸を止めておくようになる。俺は口いっぱいに空気をためてから、ばしゃりと顔を器の中へ突っ込んで、丹念に指を動かしていく。
眠気を飛ばすだけなら、こうも力を入れなかっただろう。
だが、俺がひとしきり洗って顔をあげると、器の中の水はすっかり黒ずみ、脂ぎっている。
ブラックラーメンのスープなどと、比較するのもおこがましい。水面を大小に区切る脂の膜たちが、全部自分の顔面からひねり出されたものかと思うと、怖気が走る。
洗顔には時間が相当にかかるんで、幼いながら次第に早起きの癖がついてきてしまったわけだ。
このことに気づいた当初は、顔がもたらすこの性質について、考えをめぐらせるゆとりはなかった。
家族に相談するのもこっぱずかしく、はじめて認識してから半年ほど黙っていたんだ。
それがたまたま、同じくかなり早めに起きてきた母親に見とがめられることになる。
洗面器の様子をちらりと見て、母親も驚いて俺の顔を見る。自らタオルで丹念に拭い、汚れていない面を濡らして、新たに三度。俺はごしごしと、力の入った顔磨きをされた。
すると、どうしたことか。
あれほど頑固に顔へ張り付いていた違和感が消えていく。タオルの汚れも最初の一度きりで、二度目はごく薄く。三度目はほぼ皆無という汚れぶりで、自分の苦労がウソのようだ。
顔がしっかり洗われている。けれども安心はできない。
母親と相談し、いま一度洗面器へ水を汲み、その中へ顔をつけてみる。
たちまち顔面をくすぐるような感触が走り、さっと顔面を離すや、俺の顔の形に脂と黒ずみが水面ににじみ出している。確かに、顔はきれいにしてもらっていたのに。
「……これはアンタ、潜っているね」
しばし状況を見ていた母親が、ぽつりとつぶやいた。
母親のいう潜るとは、単なる水面の下へ入ることにあらず。別の世界へ入り込んでしまうことを指すらしい。
母親が学生のときは、通っていた学校およびその周りでも、人を吸い込む鏡のうわさがまことしやかにささやかれていた。
母親が祖母から聞いたところだと、これは「面」の影響だというんだ。広い面はときに別の世界へつながり、そこへ触れたり、潜ったり、取り込まれたりしてしまうことの、きっかけになってしまうのだと。
その話の場合「鏡面」が成されたことで、そこに触れたり、通りがかったりしたものに影響が出たと説明されたんだ。
それが俺の場合は、「水面」をくぐることでこの汚れがもたらされていたのでは、と考えられたんだ。
何があるか分からないから、母親に水を汲んでの洗いは控えるようにいわれ、俺は手ずから顔を拭くことになった。
しかし、先にも話したように自分で水をつけて、拭っていくとどうにも顔のぬめりけが取れる気がしないんだ。それが他の人にやってもらうと、すんなりと取れていく。
ひょっとして、水面に潜る数を重ねたことにより、俺の体質にも変化が表れていたのだろうか。まさかティーンエイジャーあたりで、誰かに顔を洗って拭いてもらうわけにもいかない。
自分一人の我慢で済むならと、俺は顔の筋肉を動かすたびに、ねばつくような感覚に耐えながら、どうにか日々を過ごしていた。
それからしばらくして。
学校に通うクラスメートに、ときおり「もみじ腫れ」を頬にこさえる者が現れ始めた。
あの漫画とかで見る、平手打ちを食らったときにできる、手形のようなものだな。まさか実際に目にするとは思わなかったが、これが男女を問わず散見されるという事態。
しかも事情を聞くと、誰の怒りを買ったというわけでもなく。家や町中で、ふとした拍子に顔に痛みが走り、気づいたらこの様子なのだという。
一時期は病気も疑われたが、不思議とこれらの被害は俺の学校内でしか現れず、病院で診てもらった人も、菌などが見つかることもなく。腫れそのものも一両日中には引っ込むということで、ちょっとしたケガ扱いだったんだ。
ただ、遅れて経験したものは痛みが走るより前に、腫れと同じ形を持つ影が目の前に現れて、顔にくっついてきたとも証言していたな。
そうしてクラスの大半が体験した後。
休みの日に自転車にまたがり、某所で信号待ちをしていた俺は、少し両目を細くしてしまう。
目の前に横たわる横断歩道。その上空、ちょうど顔にぶつかるあたりの位置に、かげろうらしきものがゆらめいている。
その大きさは俺の顔にも劣るくらい。あまりに局所的過ぎて怪しいうえに、よく見るとまとまって、ふらりふらりと左右へ振れている。
いやな感じだなと、つい自転車のハンドルを曲げ、遠回りをしようと思った矢先。
かげろう群は、ぴゅっと音が出そうな勢いで、俺に突っ込んできた。よける暇もなく、俺は顔全体にしびれる痛みを覚える。
その耳元へたちまち注ぎ込まれるのは、嚥下の音。しかし俺ののどからじゃなく、もはや視界いっぱいをゆがませるほどに張り付いた、目前のかげろうから、何度も何度も聞こえてくる。
回数を重ねるうち、俺の視界はじわじわと暗くなっていく。
まぶたを閉じているわけじゃない。かげろうがどんどんと色を帯びて、俺の視野をふさいできたんだ。
顔を振りながら、手で大きくまとわりつくものを振り払う。
すっきりしなおした視界の中、俺の目の前で左右へぶらりぶらりと揺れるのは、顔全体を覆うほどのヒトデらしきものだった。
その体色。黒と、それをところどころで分断するように走る黄色の油膜。俺が洗面器に顔を突っ込んだときと同じ色合いが、このヒトデの身で再現されていた。
大いに体を広げていたヒトデだったが、その五本の触手らしきものをすぼめて、てるてる坊主のようなかっこうになるや、次の瞬間には飛び上がる動きを見せていた。
そこまで速いと思わなかったが、見上げた時にはもう影もない。それこそ空へじかに、溶けて行ってしまったのではという、消えっぷりだった。
その日を境に、俺の洗顔で黒ずみと脂が出ることはなくなる。
ひょっとしたらあのヒトデらしきものは、俺が「水面」をくぐった先で、黒と脂を堪能していた張本人だったのかもしれない。
それを俺がご無沙汰したものだから、しびれを切らして向こうからこちらへ潜り、源たる俺から吸い取りつくしてしまったんじゃないだろうか。




