07. 憂鬱な車内
枝一杯に葉を茂らせた街路樹の緑が、眩しい。
前日の昼から今朝方まで雨が降り続き、ようやく顔を出した太陽が、己の出番を喜ぶように青い空に輝いている。そんな太陽の元では雨粒を纏った葉が煌めき、実に清々しくもあった。また、雨が空気中の塵を包んでくれたお陰かいつになく空気も澄んで、遠くに見える山の稜線が、今日はくっきりと映えて見える。
そんな気持ちの良い天気の中、ルーファスはハンドルを握り、車を運転していた。その助手席には、先日から突然部下になったハーシェルが座っている。
ハーシェルは助手席に乗り込むと同時に窓を開け、吹く風に気持ち良さそうに前髪をなびかせていた。ついでに遠慮なく伸びをして、窮屈な場所から逃げ出せた解放感にも浸っているようだった。
「事務仕事があそこまで徹底的につまらないとか、俺、もうちょっとで干からびるところよ?」
「あの程度で干からびてどうするんだ。お前だって、報告書だの申請書だのを書くことくらいあるだろうが」
ルーファスが呆れのこもった視線を向ければ、ハーシェルはさっと両手を耳に当てる。
聞こえない振りなのか、これ以上聞きたくないとの意思表示なのか。そんなハーシェルの態度に、ふと、彼の本来の上官の言っていた言葉が思い出された。
あいつは壊滅的に駄目な報告書を書いてくる、と。
同時に、エリオットの「脳筋」と言う直截的な物言いも脳裏によみがえる。だが、もしかするとエリオットの言葉は、この上官の言葉をしてのものだったのかもしれない。
それでも、ルーファスから見たハーシェルは、仕事を覚えようと真面目に取り組んでいるようには見えた。たとえそれが、一分でも長くクレアと同じ空間にいたい、彼女とより多く会話をしたいと言う下心が故であっても、ルーファスとしては、不慣れでも仕事さえしてくれたならそれで良いと思うのだ。
何と言っても、ハーシェルがルーファスの部署に一時的とは言え寄越されてしまったのは、ルーファスがイングラム卿に接触されてしまったが為なのだから。そんな彼の為にも、今日のこの外出が、ハーシェルにとって少しでも気分転換になってくれればとも思う。
「そう言えば、あれからクレアとの仲は、少しは進展したのか?」
ルーファスとの会話を拒否するように窓に顔を向けていたハーシェルが、途端に悲愴な顔を、勢いよくルーファスへと向けてきた。
「分かってて言わせるの、良くなくないっ!?」
「……いや、俺のいないところでも会話くらいはしてるだろ?」
机を並べて仕事をしているとは言っても、全く側を離れないなんてことはない。ルーファスにはルーファスの、ハーシェルにはハーシェルの仕事がそれぞれあるのだから、別行動だってする時はする。
そう思っての言葉だったのだが、ハーシェルの言動から察するに、まるで進展していないことは明白だった。
「そりゃ、少しは会話をすることは増えたけどさ……」
膝に肘をつき手で顔を覆うハーシェルは、すっかり落ち込んでいた。
挨拶を無視されることはない。仕事内容で質問をすれば、嫌な顔一つせず返してくれる。力仕事を代われば礼も言ってくれる。だが、まるで距離が縮められている感覚はない――
ハーシェルの口からさめざめと吐き出されたのは、そんな内容だった。
「俺、嫌われてないよね?」
「それはないから、心配するな」
少なくとも、ハーシェルの言うクレアの態度は、ルーファスにもエリオットにも当て嵌まることである。付き合いが長い分だけ、そこにほんの少し親しみが付加されるが、基本的にクレアは誰に対してもそんな態度を取る。
恐らくは時間が解決してくれることなのだろうし、逆に言えば、時間しか解決策を持つものはない。
そんなことを取り留めなく話しながら、通い慣れた道を、ルーファスは車を進ませていく。
そうして、しばらく後。気持ちの良い外の景色とは裏腹に車内の空気が張り詰め始めたのは、降る雨に紛れて昨夜も死人が出たのだと、話題が転換されてからだった。
ハーシェルの声が嫌悪を露わにしたのは、それから間もなく。死者達の身元の話から、死因についての話へ移った頃。
「……また、あったんだと」
助手席に座ったハーシェルの忌々しそうに寄った眉が、彼の内心をはっきりとルーファスに伝える。
今回の被害者の死因は、毒殺。
暗殺の手法としてはそう特異なものではなく、現場がそれ程荒らされることもない、比較的綺麗な殺し方の一つだ。ルーファス自身は現場を見たことは一度もないが、解剖に回されると言う死体を目にしたことは、何度かある。
ただ、それだけであればハーシェルもここまで嫌悪しない。彼があからさまに表情を歪めるのは、今回の暗殺現場に、彼の言うあるものが「あった」からだ。
暗殺を請け負う者は、当然のことながらその存在を残すようなことはしない。だが、毒を用いて暗殺を行う者の中に、数年前から妙な奴が現れた。
敢えて己の存在を示すように、殺害の現場にある物を置いて行くのだ。
「……黒百合、か」
死者に手向けるには悪趣味すぎる、百合に似た黒い花。高山植物の為、この辺りの地域一帯では、まず野生に生えている姿はお目にかからないものだ。現場に置く為に手間暇をかけて栽培しているのだとすれば、余程悪趣味な暗殺者と言える。
もしくは、自分が決して追われない自信があるか。
どちらにせよ、ろくなものではない。
「わざわざ、室内にあった花瓶に差してあった花を、黒百合に差し替えていたらしい」
まるで死者を、そして犯罪を取り締まる者達を嘲笑うかのように、どれだけ警戒していても必ず毒を盛って標的のみを殺し、黒百合以外の痕跡を残すことなく闇に消える暗殺者。
黒百合なんて珍しい植物を栽培していれば、どこからともなく情報が入ってきそうなものなのに、それも今のところ全くない。
ハーシェル達にとってみれば、数いる護衛の目を掻い潜って軍部の要人を殺されるなど、全く面白くない話だろう。常に明るいその顔が険しくなるのも、頷けると言うものだ。
「お前も気を付けろよ、ルーファス」
「何でだよ。俺なんかを狙ったところで、誰が得をするんだ」
藪から棒に的外れな心配をするハーシェルを、ルーファスは肩を竦めて呆れる。だが、ハーシェルは真面目な顔のままだった。緑褐色の瞳が、話題を逸らすことを許さない光を湛えてルーファスの横顔に突き刺さる。
この男は時々……本当に時々、ルーファスが突かれたくない嫌なところを、真正面から突いてくる。
「得をする奴がいるから言ってる」
「……今更、末孫を殺しても旨味なんかないだろ」
とうとうルーファスも苦い顔をして、口を曲げた。車内の空気がじわりと険悪になる。
「どうしてそう言う言い方をするんだよ。それに、誰も殺して得をするとは言ってないだろ。お前の存在が狙われるって言ってるんだ」
この手の話は、ルーファスに嫌でも自分の出自を自覚させる。どれだけルーファスが無関係だと言い張っても、そうは見てくれない人間と言うのはいるもので。
そして、自分で無関係だと言いながらも、それがただルーファスの我が儘であることも思い知らせてくる。そのことが、余計にルーファスを苛立たせるのだ。
「変わるかよ。……俺には関係ない」
「ルーファス!」
ハーシェルの咎めに、引き結んだ口の奥で、噛み締めた奥歯が微かに嫌な音を立てた。同時にハンドルを切り、感情に任せて乱暴にブレーキを強く踏み込む。
慣性の法則に従って体がのめり、慌てたハーシェルが咄嗟に前方に手を突いた。一瞬見せた焦りの色に、少しばかり溜飲が下がる。
「おい!」
「……降りろ」
「おまっ!」
ハーシェルの非難を無視して指示を出せば、当然のように更に言い募る気配を見せてくる。だからルーファスは出来るだけ淡々と、再度口を開いた。
「――着いたぞ。だから、降りろ」




