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06. 期間限定の部下

 その決定がルーファスに下されたのは、食堂で昼食を終え、部署へ戻って来た時だった。

 自席へ向かうのもそこそこにエリオットに呼ばれ、彼の元へと足を向ける。その先に何故かハーシェルまでもがいることに嫌な予感しかなかったが、悲しいかな、上司の命令には逆らえない。


「今日からしばらく、うちで預かることになった」


 そうして聞かされた端的な一言に、一瞬、現実から逃避した。


「そこ! 預かるって言わない! ちゃんと俺の仕事よ、これ!」

「うちの部署に役立たずが一人増えるんだ。それを預かると言わずして何と言う」

「いやいや、俺って有能よ?」

「野生の勘が働く脳筋なだけだろう。軍警で有能でも、うちじゃ無能だ」

「辛辣っ!」


 エリオットとハーシェルの温度差のある賑やかな会話に、頭痛が押し寄せる。部屋の隅では、会話を聞いていたクレアが絶望に顔を染めて震えていた。

 ハーシェルがやって来る度に弄られるクレアにとっては、そんな相手がこれからこの部署に居座るとなれば、四六時中弄られる予感に、それはもう泣きたくもなるだろう。


 そんな彼女の肩を慰めるように叩くのは、この部署の最年長、ダニー。年齢的にはまだ働き盛りで、近所で見かける気の良いおじさんと言った風体の、何かと頼りになる男性だ。

 ちなみに、よくハーシェルの弄りの犠牲になるこの部署最後の一人は、最年少のジョエル。だが、残念ながら二月程前から人手不足を理由に他所へ駆り出されている為、こちらへは滅多に顔を出しては来ない。


「……何で俺が呼ばれたのか、聞いても?」


 答えなど聞く前から分かりきってはいるものの、二人の会話を断ち切る為に眉間に皺を刻みながら問うたルーファスに答えたのは、当然のようにハーシェルだった。


「この間言ってただろ。上司に報告したら、しばらくお前に付いとけって」

「……監視か」

「違う違う。直接爺さんに当たったって、無駄に骨折るだけだろ。半面、お前とつるんでりゃ白百合にも会えるし、そっちからの方がまだしも探れそうだって話になったのよ」


 どうであれ、ルーファスにとっては煩わしいことこの上ない。

 ハーシェルのこの賑やかさは嫌いではないが、時折ふらっとやって来て、短い時間騒いで去って行くくらいが丁度良いのに、それが常に隣にいるとなると、この先が少しばかり思いやられそうだ。


 それでも、ルーファスと同じく眉間に皺を寄せて疲労の色を見せるエリオットは、この話に異を唱えるつもりはないのか、ハーシェルに向かってルーファスの隣の席を指差していた。やはり、面倒を見るのはルーファスの仕事らしい。

 期間限定の形だけとは言え、この部署の人間として働くのであれば、それなりに使い物になってもらわなければ困る。その為に教育係が必要なのはもっともだが、実に面倒臭いものを押し付けられてしまったものだ。


「配属されたてほやほやの新人兵士ってことで、しばらく宜しく!」


 ルーファスの気も知らずに明るく差し出された手とおざなりに握手を交わし、折角昼食で補給したエネルギーを一気に使い果たしたような気持ちで、ルーファスは自席に着いた。

 半ばルーファスの仕事用物置場と化している隣の机に座り、早速クレアにも声を掛ける友人の気楽さを横目に、まずは物置を脱するべく片付けをするのが先かと頭の中で午後の予定を考えて、ハーシェルの首根っこを掴まえる。


「ちょっ、何すんだよ!」


 強制的にクレアとの会話を中断させられたハーシェルの抗議を黙殺し、ルーファスは目の前に積み上がっている物を指差した。


「俺の下に付いたんだろ。いつまでもクレアと喋ってないで仕事するぞ、仕事」

「……いや、この机の上の惨状はお前の所為だよな?」


 惨状と言われて、改めてしげしげと眺めた隣の机。そこには、大層な山が鎮座している。多くを占めるのは、保管期限を過ぎた書類や、申請に不要として弾いた書類の束、もう使わない地図の山と言った、焼却処分をするつもりでまだ出来ていない紙類だ。ごたごたに積み上げられたそれらに混じって、誰が置いて行ったのか知らないゴシップ雑誌が所々から顔を覗かせ、女優の扇情的なポーズの表紙が、すっかり黄ばんだ様子でこんにちわしている。


 そして、少しばかり綺麗にまとまっている周辺国語の辞書の積み上がった一画には、何故かとうの昔に上映が終了した映画のチケットが挟まっていた。

 女性の誰かから手渡されたものの、全く興味がなかったのでその辺に放置したような記憶が薄っすらあるが、こんなところに挟んでいたのかと、ルーファス自身、久々に意識して目に留めたそれに目を瞬く。


 だが、それらを改めて目にしたところで、ルーファスにとっては日々視界に入る景色なのだから、特別何を思う訳でもない。


「……上官の命令に逆らうのか?」

「横暴っ!」


 淡々としたルーファスの返しにハーシェルが大袈裟に声を上げた、その瞬間。積み上がった山の一角にハーシェルの肘が当たり、見事な雪崩が起こる。


 ひえぇええ、と情けない叫びを上げたのはクレア。おい、と苛立ちの声を上げたのはエリオット。そして、一部雪崩の被害を受けて膝で古紙を受け止めたハーシェルは、目の前の惨状にすっかり無言で固まってしまっていた。

 静まり返った室内で、ダニーの「我が部署のバベルの塔が……」との呟きが虚しく響く中、ルーファスは何も見なかったことにして、午前の仕事の続きに取り掛かるべく、体の向きを己の机へと戻した。



 ***



 結局、雪崩の後始末と共に机の整頓が完了したのは、翌日の就業間際だった。


 腕捲りをし、濡れ雑巾を片手にやり切った清々しい表情で汗を拭ったハーシェルの目の前には、いつからその姿を見なくなっていたのか、物を積み上げられるばかりで使われなかったが故に、予想外に綺麗な机の天板が姿を現していた。

 窓から差し込む夕日に照らされて、心なしか机自体も自慢げに胸を張っているように見える。


「綺麗になるもんだな……」


 隣で黙々と仕事をしていたルーファスは、見違えた机を眺めて感嘆の声を上げた。同時に、これまで遮られていた視界が広がった違和感に、妙にそわそわしてしまう。元々広くない部屋だが、それでも広々として見えるのが実に新鮮だ。


 特に、以前は伸び上がらなければ見えなかった書棚が丸見えで、そこで作業をしながらこちらを眺めていたクレアと、ぱちりと目が合った。途端、クレアは盛大に狼狽えながら、手前の机の本立ての陰に隠れてしまう。

 その小動物のような動きと可愛さに、ルーファスの顔も思わず綻ぶ。そのまま、残り少なくなっていたコーヒーを飲み干したところで、不満を顔一杯に表したハーシェルの顔が間近に迫った。


「お前な……他人事みたいに感心してないで少しは反省しろよ! ごみはその日の内に焼却処分! 机に溜めるな! いいな?」

「有能な部下が出来て嬉しいよ、ハーシェル」

「そうじゃなくてなっ!?」


 頭を抱えて天を仰ぐハーシェルの叫びは、どこか切実な響きを帯びていた。


「誤解のないように言っておくけどな、あのバベルの塔は俺一人の所為じゃないぞ」

「あのごみ溜めに、そんな名前付けてたのかよ!?」


 どうやら、あまりのことに思考停止していたのか、ハーシェルは昨日のダニーの呟きを聞いていなかったらしい。

 誰が最初にこの場所に不要な物を置き始めたのかを、ルーファスは覚えていない。ただ、一つ増え二つ増えしている内に部署内で妙な連帯感が生まれ、何処まで高く積み上げられるかを楽しみに、日々様々な処分品を全員が積み始めた。

 そうでもなければ、エリオットがこんなごみの山を放置させる筈もない。

 だが、崩壊後の惨状を思うと、部署内の密かな楽しみではあったが、第二のバベルの塔を作ることはやめた方がよさそうだ。


 いつの間にかがくりと項垂れてしまったハーシェルの肩を労わるように叩いて、ルーファスは仕方ないとばかりに、彼の一日半に渡る労に報いる提案を口にした。


「夕飯、奢ってやるよ」


 ピクリと反応を示したハーシェルの顔が、次の瞬間、勢いよく上がる。


「何でも?」

「何でも」


 獲物に狙い定めた肉食獣のような鋭い瞳が、ルーファスを見上げて重ねて問う。


「言ったな?」

「……常識の範囲内だからな?」

「そこは大丈夫! 俺の胃袋のデカさは常識の範囲内よ? よっしゃ奢り! クレアも一緒に来るー?」


 途端に元気になったハーシェルが早速とばかりにクレアを誘うが、彼女からは首がもげるのではないかと思う程勢い良く首を振って辞退を示され、すぐさま別の意味で肩を落としていた。

 きっとクレアの中では、どうせまた弄られるのだと、そんな恐怖の方が先立っているのだろう。何故こうも熱心にハーシェルがクレアに構うのか、その理由にまるで思い至っていないところは、ルーファスが密かにハーシェルに同情するところだ。


 なお、ハーシェルのジョエル弄りは牽制と、単に年下で、ジョエルの性格が弄りやすいと言う理由からだ。そう言うことをするから更にクレアに気持ちが伝わらないのだが、ハーシェルは分かっているのかいないのか。

 もう何度目か数えることはとうに諦めたが、彼の連敗記録は着々とその数を伸ばしている。たった一勝を得る為に、この先後どのくらい、この友人は負け続けるのだろう。


 励ましを込めて目の前の萎れた背を叩けば、存外、良い音が鳴った。


「……ついでに、酒にも付き合ってやるよ」

「……頼む」


 バケツに雑巾を放り込み、切なさの混じった溜息を一つ落として部屋を出て行くハーシェルを見送り、ルーファスも帰り支度をするべく机の上を片付けた。


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