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03. 男達の噂話

 主要機関の建物が居並ぶ首都の一画、軍本部及び関連の施設が軒を連ねるそこの更に片隅が、ルーファスの仕事場だ。

 軍人ではあるものの、ルーファスは部隊に所属して作戦行動を行う兵士ではなく、事務業務に従事している。そんなルーファスの相棒は基本的には事務机であり、机の上にはいつも書類が鎮座している。

 今日も今日とてそれらの山と黙々と格闘していると、廊下を軽快に歩く足音と共に一人の男がやって来た。


「ルーファス! お前、昨日のパーティーで超絶美女とお楽しみだったって?」


 さして広くもない部屋いっぱいに響く大声に、部署内の人間が何事かと一斉に手を止める。とは言っても、現在室内にいるのは、ルーファスを含めてたったの三人ではあったが。


「ハーシェル……お前、仕事はどうした」

「ん? ただいま絶賛仕事中よ、俺」


 やんちゃな子供がそのまま大きくなったような風体のルーファスの友人、ハーシェル・マーヴィンは、襟足の長い金茶の髪を軍帽から方々に跳ねさせながら、一直線にルーファスの元へと駆け込んでくる。


「で? で? 美女はどうだった? ホテルに連れ込んだんだろ?」


 ハーシェルの品のない物言いに、ルーファスは反射的に眉を寄せた。

 彼の言う超絶美女とは、十中八九オディリアのことを指しているのだろう。だが、そうであるなら、彼女との出会いをそのような下卑た言い方で聞かれるのは、どうにも気分が良くなかった。


「何回ヤッた? 良かったか?」


 おまけに、顔を寄せ、心持ち声を潜めてそんなことまで聞いてくる。途端、部屋の隅で大きな物音が立った。

 肩に回されたハーシェルの腕を払いつつ、椅子の背凭れから伸びをするように視線を向ければ、物音の発生源には書棚の整理をしていた、この部署唯一の女性の姿。背を向けているので彼女の表情までは分からないが、一つにまとめた髪のお陰ではっきりと見える耳は、先まで真っ赤だ。

 やや声を潜めたと言っても、たった三人きりだった静かな室内では、ハーシェルの声は十分大きかったのだろう。長閑な地方から都会に出て来た彼女には、この手の話題はどうにも刺激が強いらしい。


 取り落とした冊子を慌てて拾い集めている姿に、ハーシェルが悪びれもせず「かーわいーい」などと口にするので、ルーファスはその脛に一発、固い軍靴の爪先を蹴り入れてやる。

 基本的には気の良い友人ではあるが、如何せん、女性の話題となると興味が先行しがちになるのが玉に瑕だ。


「クレア。悪いんだが、この書類をピンコット少佐のところに届けてくれるか? 一部に不備があってな。これでは承認出来ない。それから、こちらはリンジーに差し戻しておいてくれ。数が足りないと」


 動揺しまくっているクレアの様子を見かねたのか、仕事をしていたもう一人が立ち上がり、やや厚みを持った書類挟みを複数、彼女に手渡した。

 クレアは慌てながらも分かりましたと受け取り、ルーファス達には目もくれず、逃げるように部屋を出て行く。

 その姿が閉まる扉の向こうに隠れると、一時、室内に静けさが戻った。


「お前は毎度毎度……」

「だからって、人の脛を蹴ることなくない?」

「女性に対する性的嫌がらせがあった、と通報してやってもいいんだが?」


 クレアに書類を手渡し、自席へ戻ることなくルーファスの元へやって来たもう一人が、ハーシェルに向かって冷たく告げる。たちまち、ハーシェルは降参と言いたげに軽く両手を挙げ、ルーファスから一歩離れた。


「勘弁してよ、エリオット。俺、軍警よ? 遵法精神に則って公務を執行する正義の人よ?」

「……正義が聞いて呆れるな」


 この部署の長であるエリオット・コルネリウスは、へらりとするハーシェルを氷雪色の瞳で声音同様冷たく一瞥し、ふん、と鼻を鳴らす。

 そして、今度はその視線をルーファスへと向けた。紛れもない興味の色を乗せながら。


「……それで。超絶美女、と言うのは?」


 生真面目な顔のエリオットが、その顔にそぐわない「超絶美女」と言う単語を口にしたおかしさに、背中をむず痒さが走る。それでも、こう言う時に反応する筈のハーシェルが無反応を貫いているところを見ると、この話題は避けられないらしい。


 わざとらしく無言を貫いてみても、二人に頭上から覗き込まれている状態が変わることはなく、ルーファスは結局そうなるのかと、手にしていたペンを置いた。

 椅子の背凭れに体重をかけ、ぐっと背を逸らして二人の顔を見上げる。


「先に言っておくけどな、俺は誰とも寝てないぞ」


 なんなら、オディリアと別れたあの後は、伯父に労われてさっさと自宅に帰宅した。女性を連れ込むどころか、ホテルに宿泊してもいない。

 途端に、ハーシェルが天を仰いで大袈裟に残念がる。


「嘘だろ、ルーファス! イーモンは、あのルイザ・ウォルジーと寝たってのに! お前は収穫ゼロかよ!」

「収穫って言うな。俺はあそこに女漁りに行った訳じゃない」


 そもそも、女性の参加者は女優だの歌手だのくらいで圧倒的に少なく、漁れるほど数はいなかった。それに、ルーファスとしてはパーティーへの出席は断りたかったところを、服飾産業を手掛けるマイヤー家として出席せざるを得なかっただけだ。それも、伯父の連れとして。


 どうしてもと懇願されて、一度だけとの約束で、うっかりモデルを引き受けたのがいけなかったのだろう。断るようにとの言葉を期待して伺いを立てた軍の広報からも、いい宣伝になるとまさかの了承を得られてしまったのだから、驚きだ。


 そんなことがあって以後、度々、軍の方から正式に仕事としてモデルの依頼がルーファスの元へやって来るようになってしまった。

 いっそ広報に異動させるかとの話も出たらしいが、今のところルーファスに異動辞令は出ていない。ただ、その代わりとでも言うように、その広報からはパーティーの招待状がやたらと届けられている。

 現時点ではほぼ全てに欠席の返事を出してはいるものの、昨夜のようにどうしても顔を出さねばならない場合もあるのが、面倒臭いことこの上ない。


 それにしても、ルイザが軍人と一夜を共にしたと言うことは、あの時あの場にオディリアがいなければ、ルーファスは下手をすればルイザに狙いを定められていた可能性がある。むしろ、その為にルーファスはパーティーに呼ばれたと言ってもいい。

 それでも、彼女には申し訳ないが、誘いを上手く躱してその場を辞す自信が、ルーファスにはある。だが、彼女を上手く利用したい上の人間にルーファス達が会話をしている場面でも見られてしまえば、命令の名の下に強制的に彼女をお持ち帰りさせられただろう。


 想像して、思わずぞっとした。

 そんなことになれば、たとえその夜、二人の間に何もなかったとしても、翌日にはゴシップ紙が挙って書き立てるに違いないのだ。


『ルイザ・ウォルジー、あの赤毛の軍人モデルと朝帰り!』


 ――とかなんとか。冗談ではない。


 こんなことに利用される為に、ルーファスはモデルを引き受けた訳ではないのだ。

 それに比べて、オディリアと過ごした時間の、なんと穏やかだったことか。


「……イングラムの白百合」


 オディリアの琥珀の瞳を思い出して、思わずその言葉を舌に乗せる。


「それって、あの腹黒爺の噂話のやつ?」


 横合いから顔を覗かせたハーシェルに、自分が音に出していたことに気付いて慌てて口を閉じるが、時すでに遅し。エリオットまで面白そうに瞳を瞬かせ、長い指が顎に触れて、その口から「ほぅ」と呟きが漏れていた。


「……まさか?」


 訝しみながらも興味津々と言ったハーシェルの視線に、ルーファスは観念して頷く。


「……お前の言う、超絶美女、だよ」

「はぁっ!? ……マジで? ガセじゃなく? 本物?」


 ルーファスが言うや否や、軍帽を振り落とす勢いでハーシェルの顔がルーファスに迫った。残念ながら頭から落ちることのなかった軍帽の鍔がルーファスの額にぶつかり、地味に痛みに襲われる。


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