01. パーティーにて
ルーファスがその少女と出会ったのは、軍主催のパーティーでのことだった。
軍部の重鎮に政財界の大物、歌劇歌手に舞台俳優、医師に科学者……名を聞けば、誰もが一度ならず耳にしたことのある錚々たる顔触れが揃ったそのパーティー会場で、伯父から紹介されたのだ。
「こちら、イングラム卿のお孫さんのオディリアお嬢さんだ」
ルーファスの目の前に現れたのは、白百合を思わせる白金色の髪をした、色白で線の細い、およそ軍主催のパーティーと言う場には似つかわしくない、儚い少女だった。
「来週からハーデンの大学に通われるそうでね。ルーファスもよく顔を出すだろう? だから……」
ルーファスとはまるで似ていない、柔和で人柄の良さが滲み出る笑顔が彼の背を強めに叩く。
わずかに息を詰まらせ、ルーファスは伯父を横目に見た。伯父はルーファスの視線に気付かぬ振りで、にこやかに笑んでいるばかりだ。
パーティー会場に、オディリアと年齢の近い男女はルーファスくらいのもの。つまりはそう言うことかと面倒臭さを押し隠して、ルーファスはオディリアへと手を差し出した。
「初めまして。ルーファス・マイヤーです」
それが、少女――オディリア・イングラムとの最初の出会いだった。
***
良い子にしておいで、とイングラム卿が。挨拶が残っているから、と伯父がそれぞれ行ってしまうと、途端に気まずい空気がルーファスとオディリアの間に流れる。
互いに挨拶をしただけで後を頼まれて、ルーファスは正直、困惑していた。とは言え、伯父から頼まれた以上、彼女の相手を務めるのはルーファスの仕事である。おまけに、相手は自分よりも年下の少女で、そんな人物を軍人だの政治家だのばかりの中に一人放置することなど、出来る筈もない。
ひとまずバーカウンターでドリンクを頼み、窓際へと場所を移して、ルーファスはそっとオディリアの様子を窺った。
挨拶の時からにこりともせず伏し目がちに佇む彼女は、ルーファスに一つの噂話を思い出させていた。
――イングラムの白百合。
イングラム卿の息子夫婦が不慮の事故で命を落とし、遺児となった孫の兄妹。
夫婦と共に事故に遭った兄妹は、兄は足を負傷して不自由な体となり、妹は事故のショックで感情を失った。
イングラム卿は二人を引き取り、兄妹の療養の為に自然豊かな田舎に一軒家を建て、彼らをそこに住まわせ、甲斐甲斐しく世話をしていたと言う。
中でも孫娘のことを殊の外溺愛し、決して人の目に触れさせぬよう囲い、リリーとの愛称で呼ぶ程だとか。
軍部に絶大な影響力を誇ると同時に、黒い噂の絶えない政治家の一人でもあるルドルフ・イングラム。そんな人物に、弱みとも取れる存在がいる訳がない――誰もがそう思い、実際に誰一人として兄妹の存在を確認した者もいない、眉唾の噂話。
その筈、だったのだが。
(……実在、したのか)
何の感情も窺えないオディリアの琥珀色の瞳を見つめながら、事故のショックでと言うのも本当の話かと、ルーファスは妙なところで感心していた。
日に透ける白磁のような肌に作り物めいた整った顔は、およそ人間味を感じない。しかし、それは彼女に与えた事故の衝撃の大きさを物語ってもおり、実に痛ましく思えた。
「……祖父がご迷惑をおかけしました」
不意に、オディリアの口から澄んだ鈴のような愛らしい声が零れ出る。
人形が喋った。
思わずそんな感想を抱いてしまう程にはルーファスに軽い衝撃をもたらした彼女は、ゆっくりとルーファスへと顔を向け、感情の薄い顔で続ける。
「私のことでしたら、どうか気になさらないでください」
軽く会釈をし、すぐにルーファスから視線を外すオディリア。それに面食らったのはルーファスだ。
あのイングラム卿が、何の目的もなく孫娘をこんな場に連れて来るだろうか。
ルーファスのそんな警戒心を嘲笑うかのように、ルーファスの元に置いたと言うのにまるで自分に関心を見せないオディリアのその態度は、逆にルーファスに彼女への興味を抱かせた。
それに、イングラム卿の狙いが何処にあるにせよ、かの男の秘した宝に会った、この希少な機会を逃す手もない。
「迷惑をかけたと言うなら、俺の方だってそうだろう?」
もう会話は終わったものと考えていたらしいオディリアの、琥珀の瞳が瞬く。
「俺の伯父が申し訳ないことをした」
微かな戸惑いの眼差しに見上げられ、ルーファスは自分のグラスをオディリアの持つグラスに軽く当てた。涼やかな音が二人の間で奏でられ、オディリアの瞳がほんのり丸くなる。
そんな仕草を見れば、彼女が人形ではなく、一人の人間として存在しているのだとの実感も湧く。相変わらずその反応自体は全体的に薄いとしても、時の経過が彼女の心を少なからず癒したのだろう。全くの無感情ではないのだと知って、ルーファスはどこか安心した。
「俺が一人でいるものだから、きっと伯父が変に気を回したんだろう。お節介な人なんだ」
ルーファスが肩を竦めてみせれば、オディリアは僅かに思案するように目を伏せた後、会場の一点へと顔を向けた。
「あちらの方とお約束があるのでは……」
あちら、とオディリアの視線を辿れば、ルーファスにも、会場の片隅で多くの男性に囲まれる若い女性の姿が確認出来た。
制服を着た厳つい軍人や、高級スーツをこれ見よがしに身に纏った金持ちばかりの中にあって、目の覚めるような真っ赤なドレスを着こなし、金髪の巻き毛をシャンデリアの光に煌めかせている女性。周囲に愛敬を振りまき、扇情的な胸元を控えめに見せつけながらも、油断なく周囲に群がる男達を品定めしている彼女は、今日のこのパーティーの招待客の一人だ。
近頃、人気上昇中の女優、ルイザ・ウォルジー。
ルーファスとの接点は、ほぼない。住む世界の違う、遠い存在の一人だ。そして、ルーファスがお近付きになりたいと思わないタイプの女性。
彼女がこちらの視線に気付く前にルーファスはオディリアへ視線を戻し、小首を傾げた。
「何故、俺が彼女と約束があると?」
「先程から、あちらの方があなたのことを頻繁に気にされているご様子でしたから」
「……そんなに?」
ゆっくりと、しかしはっきり首を縦に振るオディリアの様子に、ルーファスはまいったなと小さく唸る。
ルーファスは、しがない軍属の一人だ。そんな人間をルイザ程の人物がやたらと気にしていれば、ルーファスと何か特別な関係にある相手であると、オディリアが勘違いするのも仕方がない。
だが、ルーファスとルイザの間に接点は、ほぼ、ないのだ。個人的な約束はおろか、ろくに会話すらしたことはない。
「仕事で、一度会ったことがあるだけなんだけどな……」
彼女の様子からして、その一度でどうやらルーファスは気に入られてしまったらしいのだが、実に面倒臭いことこの上ない。
ルーファスは、こちらを窺うように見上げたまま黙するオディリアに眉尻を下げた笑みを向けた。
「俺を助けると思って、しばらく俺に付き合ってくれないかな? それに……ほら、君のお祖父様と俺の伯父、二人の顔も立つし」
どうだろう? と伺いを立てれば、オディリアからは、渋る様子もなくすんなりと了承が返ってきた。
相変わらず感情が表に出ない整った顔だったが、そこに嫌悪の色は窺えない。かと言って、イングラム卿の何某かの命令に義務的に従う様子も見受けられず、ルーファスは無意識に胸を撫で下ろしていた。




