生存凶兆(26)
「キルニー……」
「キニャ」
「……キニャ、家出してから一年、大丈夫だった? 病気はしてなかった?」
「さあね。教えてほしけりゃ金払え、金」
「はー、変わらないなキルニー……」
「キニャ」
「……キニャは」
自分の名前が好きではないキニャは、本名を名乗ることはまずない。
それに、ティロットの名は護国大陸では悪い意味で有名だ。
マイティロット村の悲劇は大陸中の誰もが知るところであり、生き残りだと知られれば哀れみや同情など、彼女の好まない感情がこれでもかと寄せられる。そのたびに彼女はイラつく。無関係な善人が語る、昔話にされた自分たちに。
王都に連れていかれ、心が過剰に尖っていた幼少時はそれがとにかく煩わしかった。両親を亡くした憤りと、周囲からの感傷への神経過敏。小麦のように陽気だった金髪はいつしか色をなくし、くすんだ灰のように色あせてしまった。
王都にいる間はそんな彼女をおもんばかって、所在はおおやけに語られず匿われた。おかげでゼリファとて、同じ町ですごしたことがあるという感覚は持っていない。けれど嫌気しかない場所からの強引な家出を重ね、養父であるボズバに無理やりついていってからは、彼女は「キニャ」としか名乗らなくなった。
印象的だった髪色をなくし、やさぐれた感情を上乗せするように成長した彼女を見て、キニャがあのキルニーニャ・ティロットだと気付く者はもういない。
唯一の例外は、彼らだけ。若年で下士官学校へと入学し、十六歳で護鳥騎士団に入団。十九歳という最年少の若さで名誉ある第一隊の副長に任命された、二歳年上のウィルと、その相棒のルーこと、大鷲竜リバースレイルくらいのものだ。
「ヒュヲオオ」
「わー、きれいな魔生獣。まるで護鳥みたいだねー」
キニャの顔から離れたユビが、リバースレイルの周囲を飛んで見回す。
茂みの賢者とて、一般的な生態系に属さない彼の存在は知識にない。
十三年前。マイティロット村を囲む草原地で光っていた白い幼鳥を最初に見つけたのは、ウィルと遊んでいたキニャだ。彼女は宝を見つけたとはしゃぎ、乱暴な手つきでルーを捕まえてウィルに自慢したが、魔生獣を好かない父の反対で泣く泣く手放し、父親と二人暮らしだったウィルの慰めにと譲渡するはめになった。
ちなみに名付けの理由は、「ヒュルルーってうっさいから、ルー」である。
それから二年後、プカプカを発見したキニャが父に再度アタックし、「すぐに死ぬ破裂トカゲなら……」と念願のペットを手に入れるまでも、ルーはウィルのもとですくすくと育っていた。二人が村を脱出し、ウィルが王都でがんばりはじめてからもルーは彼のそばにいて、その体格を徐々に大きくさせていった。
そして若きウィルが下士官学校で頭角を現しはじめたころ、珍しき純白の体色、先端だけ炎滅竜の陽を色づけたような朱色の羽毛、護国ではめったに存在しない鳥類型の珍しき魔生獣の姿は、「【人地護鳥】エンドレイルの再来」と注目を浴び、ウィルの護鳥騎士団への入団の後押し……悪く言えば、入団許可の最大の理由となった。護国の護鳥信仰はときに、本人の思惑とはべつに権力となり得る。
約百名前後いる護鳥騎士は、なにも戦闘要員だけではない。第五隊以下の集団は法や事業の国家整備を担う者たちであり、いわば騎士の肩書きを持つ内政官としての活動が求められる。そういった政務に思惑が、現王レイアダ・サバル・クリンティアの政権安定のアイコンとして、ウィルの白き鳥を求めた。
彼の護鳥騎士としての確かな力量など、あくまでおまけ扱い。エンドレイルの再来を謳うこと自体が、王権の盤石さを誇示するのにうってつけであった。
その結果、現在はその名を大いに知られる護鳥騎士ウィリアル・アージェスト。リーダーである彼のリードのルーは、うわさが肥大化するにつれ、その姿からエンドレイルになぞらえて、護国王より「リバースレイル」の名が下賜された。
昔からの愛称も切り捨てずに済む命名規則は、王の配慮とユーモアだ。
「キニャ、お腹は減ってない? 一応、糧食なら持ってるけど」
「いらない。どーせマズいんでしょ。ってか餌付けのつもり? うざすぎ」
「いやだって、キルニーニャは食べてるときが一番幸せそうだし……」
「うっさい!!!」
護国民にとって、護鳥騎士団には偶像崇拝的な側面がある。それだけに注目対象としての娯楽人気も高い。実際、護国大陸の世襲制ではない王家の構造ではそれが決め手となり、護鳥騎士が歴代の王になった例も少なくない。
とくにウィルは護鳥騎士として優れており、経験こそまだ浅いが、ルーの象徴的な存在感により持ち上げられてきた。昨今は、幼いころからウィルとの親交が厚いビスケッタ姫こと、王家の第一姫「クネール・ミトス・クリンティア」。または、ウィルと同じような方向性で人気の高い第四姫ゼリファとの婚姻を望む声が、王家ロマンスに恋い焦がれる少女や、現役で夢見がちな女性の間で増えた。
つまり、護鳥騎士団は崇高であるが、良くも悪くも俗物的に親しまれている。
……が、絵に描いたような金髪青眼の美青年に、女のうわさは皆無だった。
残念ながら彼の両目には、幼きころからずっと汚れしか映っていないゆえに。
「本当にケガはない? あそこの崖に毒のマナがたまっていたみたいだけど……」
「あんたが買ってきたローブもあるし、大丈夫だって。毒ならプカプカもいるし」
「でも、毒は危険だよ。念のため王都で体調を検査しよう」
「あーもう! うっせえバカ騎士! 過保護がすぎんのよバーカ!」
ウィルはキニャが護国都市メディに移ってからも長年、学校や騎士団の休暇のたびに足しげく訪問した。そのため、ここ数年は騎士団施設に詰めているがゆえに姿をあまり見られない王都にいるときよりも、なぜか休暇でやってくるメディを張っているほうがお目当ての護鳥騎士さまを目撃しやすいと、王都の女性たちにはちょっとした運任せの旅行プランとして人気を博している。
とはいえ、キニャは目立ちすぎる彼を取り巻いている環境にうんざりしているのと、二人の関係を類推されるのが嫌で、一緒に出歩くことはほぼない。
もちろん、マイティロット村の生き残りであると知られたくない、の類推で。
「そうだ、ボズバさんからお金を預かってるよ」
「は? 最初に出せし。ほら、いくらいくら」
「いくらって、20000コルもだよ」
「ケッヒヒ! オヤジのくせにけっこう出すじゃん! ほらさっさと出せ」
「……これ、ボズバさんなりの心配だからね。君が罪を犯さないようにって」
ウィルが渋々差し出した、高価値の護国金貨が手早くぶんどられる。
「うっさいなあ。私がどう生きようと、私の勝手でしょ」
「人さまに迷惑をかけるようなら、それじゃあ済ませられないんだよ……」
ウィルはこの一年、気が気でなかった。養父ボズバに「バカ娘が家出した」と聞かされたとき、彼はこの世の終わりをユニークな表情で描いた。
キニャがいなくなった悲しみはもとよりだが、彼女はメディにいたころから、軽度の犯罪まがいな行為で都市に迷惑をかけていた。野放しにしたものなら、自分の知らないところで彼女が危ない贖罪をさせられるかもと不安になったのだ。
この地で再会できたのは、幸運も幸運だった。彼はあくまでカパジーラ山頂村の魔生獣討伐を目的に出征し、現地でゼリファに状況を聞いただけ。
キニャがアードにいることは別件の調査を通して知っていたが、まさか危険地帯とされるこんな場所にいるなんて――驚きはすぐ、行動に変わった。
ウィルは山道側のトキシック・ヴァイフログをいともたやすく討伐したのちに、第四姫から村に残った最後の生存者の名を耳にした瞬間、彼女らには二の句も告げずにリバースレイルを駆り、その場を飛び去った。
護鳥騎士団でもたった一人しかいない、魔生獣による飛行能力を有する騎士が救命に駆けつける姿は、ちょうど今、山の下で人心地をついているカパジーラ山頂村の村人たちに「あれこそ護国を守護する護鳥騎士の姿だ!」と語り草になっており、トビル少年も将来の夢をあらためて固めてしまったものだ。
唯一、両者とも既知のゼリファは「……そうまでして助けるのがあの子では」とため息を吐いたが。キニャの最大限の生存が約束され、顔の緊張を解いた。
「そういえばキルニーニャ、プカプカはまだ脱皮したのかい」
「ん……なんか、危険だったし、ビビって脱げ落ちたみたい」
「はは、さすがプカプカ。でも、危険なときはキルニーニャを護ってくれよ?」
「ギギャ!」
真っ白な体表をさらす、短い手足とドデカい腹のプカプカに一言申す。黒外殻で頭の上半分が覆われていないと、破裂トカゲのマヌケ顔はさらに引き立つ。
ウィルは、いやキニャ以外の人間は、プカプカが破裂トカゲの変異種、あるいは配合種であると分かっても、ヴェノヴェノン・ナイトプレーグであることは知らない。白い魔生獣が珍しいことを知っていても、彼の黒外殻が短命な毒底ネズミの王、ヴェノヴェノン・ナイトプレーグの証であるとまでは知らない。
だから彼は「プカプカは、脱皮する特種で肥満な破裂トカゲ」と信じている。
それは村が襲われた日、彼がヴェノヴェノン・ナイトプレーグの実物を見ていないのも一因にあるが。そもそも禁域指定種の情報はそのほとんどが創作であり、当の創作でも黒外殻で語られる毒底ネズミの姿などない。それらの真相を知るのは護国大陸広しと言えど、「古きマナ調べの魔女一族」くらいものだ。
そしてマイティロット村に訪れたマナ調べの魔女、彼らにとっての「杖ババ」は村の村長たちとの会合のとき、キニャが捕まえたプカプカのことには触れなかった。プカプカの存在はあくまで、毒底ネズミの存在を露見させた悲運の変異種であって、プカプカ自体には力がないと見誤っていた。
それ以上に、キニャに配慮した。心なき者たちに、プカプカの存在が災いであると罵られ、たくさんの腕を振るわれ、元気な少女が傷つかないようにと。
伝染した恐怖と悪意の痛みを、古きマナ調べの魔女はよく知っている。
「外殻が生えてくるまで、また数日くらいかな」
「……まあ、そんくらいだと思うけど」
「ギギャ」
「それにしてもプカプカ……またお腹大きくなったんじゃないか?」
「ギッギャッギャ!」
キニャのほうも、プカプカの真相はウィルに教えるどころかひた隠しにした。
ウィルが今や護国を守る護鳥騎士なのも問題だが、彼は彼で、キニャとは異なるベクトルでヴェノヴェノン・ナイトプレーグへの憎しみを抱いている。
キニャにせよ、毒底ネズミは村壊滅の元凶として恨むべき相手である。だが、長年連れ添った、残された家族にも近いプカプカの存在を差し引きすると、誰も助けに来なかった護国の不義理が先立ち、悪意の対象はズレた。
いずれにせよプカプカの真相の露見は。
護国にとっても、二人にとっても、都合が悪いのだ。
「それに……その子は茂みインプだよね、キルニー……」
「キニャ。いい加減、ぶん殴るよ」
「……キニャはやっぱり変わってるね。茂みインプと契約したんだ」
ルーの周囲を興味深そうに飛んでいるユビに、ウィルが目配せする。
「は? 誰があんな羽虫と」
「でも、君と彼女のマナがつながってるよ。プカプカと同じ偶発契約かも」
「はあ!? ふざけんなっ!」
「いや僕にそう言われても……きっと結びつきが強かったんだろうね」
ウィルには生まれつき、マナの流れをうっすらと視覚化できる素質があった。
それはリーダーズ協会のマナマギストが専門的な修練で身に着ける技術だ。
通常、リーダーとリードはゼリファとリズのように、リーダーズ協会のマナマギストによる結びつきの儀式を通し、身体のマナを少量だけ相互に介して、相棒となる魔生獣への責任を担う。その証明に簡易契約の証、金色の指輪を身に着ける義務がある。しかしキニャとプカプカ、ウィルとルーは小さなころから身近にいたことと、人の身体に宿るごく少量のマナが幼少期ほど不安定なのもあり、意図せず人と魔生獣との契約の結びつきを作ってしまった。「偶発契約」だ。
人と魔生獣の契約は、人間社会から見た場合に責任の所在を現す現象としてだけ見られているため、双方に身体的な影響はない。ただ、それがキニャとユビの間にも起きていた。先の死中にあって濃密な共感と距離感がマナ同士を結んでしまったようだが、キニャがいまだに幼いだけ、といった可能性もなくはない。
しかし、偶発契約は彼のように特種な才がなければ視認できるものではない。それゆえに護国はリーダーズ協会での簡易契約を義務づけ、金色の契約環を配るのだが……キニャの場合、その契約自体が危ない。プカプカがプカプカだけに。
彼女らは護国に把握されること自体が身の危険だった。トルミットにプカプカを調べたいと言われ断ったのも同様だ。どちらが危険かと言えば、当然いつヴェノヴェノン・ナイトプレーグに変貌するかも分からないプカプカを野放しにしているキニャの側だが、護国大陸において彼女にだけは、その理屈は届かない。
「ともかく、安心したよ……それで、まずは事態を収拾しないとなんだけど」
「どーぞ、ご勝手に。まずは崖から下ろしなさいよ」
「そうだね。ルー、キニャと背中に乗らせてくれ」
「ヒュヲオオ!」
主の指示で、リバースレイルが四肢を折り曲げ、地面に腹をつける。
従順に見えるが、彼は気高く、気性も荒く、ウィル以外の者には懐かない。
……とされているが、隠された一面もある。
「ルー、また大きくなった? んー、フッサフサで気持ちいいねえ」
「ヒュヲオ~~~」
頭を撫でるキニャに、ルーが力を抜いたフワフワな羽毛でスリスリする。
ルーにとって育ての親はウィルだが、最初の見つけの親はキニャだ。幼鳥のころから離れ離れの母親のようにかわいがってくれた彼女のことは、ウィルのように躾もうるさくないので大好きである。それに、知性豊かな彼は二人の凄絶な過去を理解するだけの能がある。ルーにとってキニャとウィルは、大事な家族だ。
当然、ウィルにも雄同士ならではの信頼を寄せており、キニャに向けるものとはまるで別の誇り高き誓いを抱いているが、それはそれ、これはこれ。
護国がいかに善人にあふれていると言えども、高潔なる大鷲竜リバースレイルの甘えたがりを見られるのはキニャだけである。それゆえに、そのせいで。
「ギ、ギャァァァッッ……!!!」
「うっさいプカプカ。威嚇すんな」
キニャが大大大好きなプカプカは、ルーのことが憎らしくて大嫌いである。
同じく、普段はツンとしてかわいげのない顔しか絶対に見せない相棒の堕落に、ウィルは呆れつつも懐かしさを感じる。先に大鷲竜の広い背に乗った彼は、右手を差し出し、ユビをとっ捕まえたキニャの手を引いて、背後にまたがらせた。
「ああ、悪いけどプカプカはまた捕まれてくれ」
「ギギョ?」
「ヒュヲオオ!」
ガシッと、真っ白でふくよかな破裂トカゲが、ルーの前足で捕獲された。
「ギギャァ! ギギャァ! ギッギャァァァアアア!!!」
トキシック・ヴァイフログと対峙しても見せなかった気迫で、プカプカが怒る。
誰にバカにされ、足蹴にされても構わないが、この鳥風情だけはならぬ。
それがキニャを前にした、立派な男の子であるプカプカの意地である。
「うっさいプカプカ。あんたデブなんだから仕方ないでしょ」
飛行に備えて、キニャが目の前の騎士の腰になにげなく両腕を回す。
一瞬、ウィルはビクッと体を震わせたが、キニャは気付いていない。
どいつもこいつも、小悪党なキニャに対する感情が過敏である。
「……キルニーニャ、行き先はゼリファさまたちがいるところでいいかな」
「いや、もっと先にして。アードの近くまで行ってよ」
「えっ、ゼリファさまとは知り合いなんじゃ?」
「誰があんなクソ女。どうせドロドロでキッタナイ格好だろうし、ケッヒ!」
「……キルニーニャ、護国王家の第四姫にそんなこと言うのは」
「それがなに? 偉いやつがブチギレるわけ? ルーは私の味方だよね~?」
「ヒュヲオッ!」
「ほーら! だったら私とルーの前で抗議してみろってのよ、ケッヒヒ!」
「ギッギャァ! ギッギャァ! ギッッッギャァァァアアア!!!!!」
「……君らはほんとに、ハー」
沈痛な面持ちだが、背中に寄りかかるキニャには見えない彼の口は笑った。
過去の出来事から毒というものにとても過敏なウィルが三年前にキニャにプレゼントした制作素材を自前でそろえて王都の腕利き職人に仕立ててもらった一点物の深穴ヘビの白いローブ:約37000コル




