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生存凶兆(25)

「ヒュヲオオオォォーーー!」

 心の芯に響く、冷厳なる高位な存在の咆哮。


 その姿は、竜に似た大鷲。胴体だけでプカプカより大きく、羽を広げると神話の生物のような荘厳さがある。体を覆う羽毛は純白だが、先端にいくほど鮮やかな赤みで色づいており、朱と白のグラデーションが天陽の交わりを想起させた。

 細長くも強靱さを感じる四肢には、獰猛な空の狩人の爪。猛禽類のくちばしを備えた顔面と頭部には、鋭い眼。スラリとした造形美を感じさせる。


 極めつけは、背中に生えた二対の大翼。バサリ、バサリと大きく振るわれるたび、あたり一面に強風が吹き荒れる。そのせいか、もしくは彼の存在自体に畏怖を感じたか。崖道に立っていたロックトードたちが美しいまでの整列で、一目散に

洞窟へと駆け込んでいく。端的に、恐れで逃げ帰ったように見える。


「キルニーニャ、無事かっ!?」


 朱白の大鷲竜の背には、一人の青年。全身をテルと同じく護鳥騎士団レイルナイツの青黒い鎧で固めており、ところどころの意匠が戦闘用のものだと主張している。


 頭部をさらした相貌は、陽熱期のレモーナのように爽やかなブロンドヘアと甘い青眼。護国親民の多くが「キリッとした精悍な美青年」と答えるだろう。

 実際、数年前まではからかう意味で「美少年」だったのと比べると、想像通りのイイ男になったと評判であるが、顔の芯にまだ幼さを残しているのがニクい。


「キルニーニャ! 返事をしてくれっ!」

「ちっ……うっさいのが」

「ギッギャッギャ」

「キニャ、あれ知り合い? なんか怖いっていうか……なんだろ、すっごい感覚」

 ユビの言葉は混乱しているようだが、その実、魔生獣マニマルにとっては言い得て妙だ。


「これは……毒化したマナ溜まりっ!? キルニーニャ、そこを下がれ!」

 気付けば青年が一人でに焦りはじめ、またがる白き大鷲竜に命令した。

「リバースレイル! キルニーニャたちを避難させるぞ!」

「ヒュヲオオオ!」

 リバースレイルと呼ばれた大鷲竜が、恐ろしき速度で迫ってくると。


「ぐえっ!」「ギギャ!」「ひゃああぁぁあーーー!」

 キニャたちを四肢の手指ですばやくつかみ、再度、大空へと舞った。


「バカッ! ふざけんなっ! 離しなルー!」

「ヒュヲオオ」

 胴体を丸っとつかまれたキニャが、リバースレイルの足元をバシバシと叩く。


 大鷲竜の獰猛な爪は、彼女の柔らかな体にも、逆の前足でつかまれている黒外殻を背負わない真っ白なプカプカにも触れない位置に収められている。

 まるで、いっさい傷をつけずに荷物を運ぶかのように。


 人の両眼でまず見られることのない大空の旅はすぐに終わった。リバースレイルはカパジーラ山頂村へと逆戻りするようにして、ゼリファたちが進んでいるであろう山道、そこを両側から挟み込んでいる崖の上まで近づくと着陸した。

 そこで、キニャたちをそっと優しく地面に下ろした。


「うううー……私の羽じゃあんな高くまで飛べないよー……」

 高空の旅に、茂みインプがキニャの耳元でぐるぐると目を回している。


「キルニーニャ、大丈夫? ケガはない?」

「うっさいウィル。ないっての」

「そっか、よかった……ゼリファさまに話を聞いてさ、ゾッとしてたんだ」

「ゼリファ? なんでゼリファ」

「カパジーラ山頂村のトキシック・ヴァイフログ討伐に、僕が呼ばれたからね」

「ちっ、それでか」

 言葉選びこそ粗暴だが、彼女らの対話には長年の親しみがこもっている。


 彼はウィリアル・アージェスト。護国王家クリンティアに仕える、護鳥騎士団レイルナイツ第一隊の副長。禁域一頁【人地護鳥】(ディザスト・ワン)こと、王都では大鷲竜エンドレイルの生まれ変わりだと囃される、美しき朱白の大鷲竜「リバースレイル」のリーダー。


「僕が駆けつけたころ、ゼリファさまとテルさんはすでにトキシック・ヴァイフログと会敵してしまっていたんだけど、それを協力して討伐したあとにね。キルニーニャ、君が一人でカパジーラ山頂村に向かったと聞いたんだ。久しぶりにおびえたよ。ああ、ちなみに君が助けてくれた少年は無事だった。ちゃんと父親と合流して、村の人たちや後詰めの衛士隊と山を下ってる。だから安心して」


 暗に、トキシック・ヴァイフログを難なく倒した告げているが、そうであってしかるべきなのが護鳥騎士団レイルナイツの第一隊。テル・クルスのような対人制圧に特化した近衛向きの人材は、あくまで抑止力。王族護衛に特化した予防線。護鳥騎士団レイルナイツの花形とは、対魔生獣マニマル討伐に特化した騎士であり、それこそが彼である。


 といっても。青年の心配は魔生獣マニマル災害より、こちらに偏っているのだが。


「この一年、ずっと探してたんだよキルニーニャ」

「うっさい。私の勝手でしょ」

「メディから家出して、ボズバさんだって心配している。早く帰ってきな」

「うっさい」

「まあ、アードにいることは知っていたんだけどね、それでキルニーニャ……」

「だぁから名前で呼ぶな! それ嫌いだって何十年言わせれば分かんのよっ!」


 ウィルは、キニャの古くからの幼なじみである。

 そして彼女たちの故郷での災害から唯一生き残った、もう一人の人間。


 地底より沸いて出た、禁域八頁【毒底尖兵】(ディザスト・エイト)ヴェノヴェノン・ナイトプレーグが、護国大陸の東南東にある「マイティロット村」をいたずらに襲った日。


 類を見ない魔生獣マニマル災害と、自らの毒爆でまき散らされた劇毒が湖のように広がり、かの地に取り返しのつかない傷痕を今日まで残すことになったあの日。


「キニャっ! ウィル君もっ! 走って! 走るのよ!!!」

「う゛うぇーん! ひぐっ、う゛う゛ぇぇーん!」

「キルニーニャ……泣かないで……」


 二人はキニャの母、エルリーラ・ティロットの手引きで村から逃げ落ちた。

 村人は怪しき風貌の魔女、通称「杖ババ」の世迷い言には耳を貸さなかったが、エルリーラは信じきれずとも、我が子を思い、そのときの覚悟をしていた。


 平穏だったはずの村に、ナイトプレーグの甲高い奇声が響き渡った夜。

 草原の多い村の全方位から、同じような鳴き声が聞こえてくる悪夢の夜。

 地底に潜む毒底ネズミは、己の殺害欲のままに、地面より現れ出でた。


 エルリーラは奇声を聞いた瞬間、来たるときを察した。食卓で口の周りを汚し、好物のツチドリのブラウンシチューに夢中になっているキニャと、たまたま預かっていたウィリアルの腕を両の手でつかみ、顔面を蒼白にしながら急いだ。

 魔女の世迷い言が真実だと悟ってしまい、そのうえで、一瞬で覚悟をあらためた最愛の伴侶である夫と最後の目配せを交わし、四人で家を出た。


 「いってきます」。エルリーラは言葉通り、キニャとウィルを逃がすべく。

 「いってきます」。夫は覚悟通り、キニャとウィルを逃がす時間稼ぎに。

 それが、二人の最後の会話になった。


 エルリーラは両手で子供たちを引っぱり、村の裏手を囲む、深い夜の森を必死で逃げた。ワケもわからぬ事態にキニャは泣き叫んだが、ウィルはジッとこらえた。エルリーラの必死な表情は、人の心の機微を知らぬ少年にも届く訴えだった。


 三人が村から持ち出すことができたものは少ない。


「はぁっ、はぁっ、うっ、はぁ……」

「う゛うぇーん!!!」「プァプァ」

「ルー、我慢して……」「ヒュルー」


 キニャは、まだ指が細く引っかからないため、母にヒモを通してネックレスに仕立ててもらった玩具の指環を首から下げていた。いつも身に着けている、父からの贈り物。それと小さな片手でグッと握った、ブサイクな白い破裂トカゲ。


 一方、村の井戸の修理で遅くなるからとティロット家に預けられていたウィルは、物はなにも持てなかった。けれど、彼が大事に育ててきた、真っ白で柔らかな羽毛を生やしはじめた白い若鳥は連れ出した。奇しくも、エルリーラは両手に二人の子供を、子供たちは残された手で小さな魔生獣マニマルを握り、逃げていた。


 エルリーラが逃げた森の奥に、ヴェノヴェノン・ナイトプレーグ率いる毒底ネズミの姿はなかった。なかったが、そのうち目の前に絶望の光景が広がった。

 この森の先、護国都市アードに向かうための唯一の近道には、暗闇の森のなかでも紫色に光る、ジュクジュクとおぞましい泡を立てる沼地が横たわっていた。


「うっ……!!??」

「う゛ううぇーん!!! ぐすっ、ずずっ、う゛うぇーん!!!」

「紫色……エルリーラおばさん、なんか怖いよ。どうするの……?」


 杖ババが話していたこと。己が愉快のためだけに自殺したナイトプレーグの残した毒沼。それが唯一の細道に、わずかな距離に、子供の両足では渡りきれぬ量で広がっていた。一時の逡巡。その間に、背後から甲高い奇声が響く。


 彼女は覚悟し、決心した。

 娘たちにできる、自分ができる、最大限のことを。


「二人とも、すこしだけ我慢してねっ……!」

「う゛うぇー!!! う゛う゛ぇーええん!!!!!!」

「わっ!? エ、エルリーラおばさん!?」


 エルリーラは針仕事を生業とする細腕で、二人の子供を強引に両肩にかついだ。キニャがどれだけ暴れても、その力が緩むことはなかった。ウィルは涙をこらえてジッとした。そうして彼女が……紫色に一歩、右足を踏み入れる。


「……ッッッ!!!」


 その瞬間、エルリーラは今までの人生で味わったことのない激痛を受けた。

 痛覚が焼け、燃え、刺さり、嬲られる。たったの一足。それだけで、彼女はこれまで自分を歩かせてきた右足の存在を感覚することができなくなった。


 けれど、左足を前に出す。激痛。両足がなくなったかのような喪失感。

 けれど、足はある。感じられないだけで、膝の下にはまだ残っている。

 右足を前に。左足を前に。右足だったものを前に。左足だったものを前に。


 もうすこし。毒溜まりの端。そこでいよいよ力をなくした両足がくずおれ、体が前のめりになって倒れ込む。そのとき膝から上、衣服で覆った太ももにも紫が染みる。声を出せない。息もできない。この世のものとは思えない痛み。


――それでも、無事だった。彼女は守りきった。


 毒溜まりの端で倒れた拍子に、娘と少年は前方に投げ出され、無事だった。

 そしてエルリーラは最後の力を振り絞り、泣きじゃくる娘に笑いかけた。


 逃げなさいキニャ。あっちにいけば、きっと護国が助けてくれるわ。

 行きなさいキニャ。ずっと愛してるわ。いきなさい、私の愛しい貴女。


 声をなくし、事が切れた母にすがりつくキニャの手を引っぱったのはウィルだった。彼は、赤子のために村を開拓した村長であるキニャの父と、息子を生んですぐに亡くなった妻を想いながら、ウィルを男手一つで育てた父親、そして汚らしい装いで長らく村にとどまっていた杖ババとの会合の場におり、話を聞いていた。

 杖ババの話を大人たちは信じなかったが、少年のウィルは信じた。おとぎ話のようなルーの存在や悪の毒底ネズミの襲来は、子供心を躍らせた。でも違った。眼前は地獄で、逃げ去った村にも甘い想像もできない。目の前で死んだキニャの母からも、杖ババの予見がおとぎ話ではなく、残酷な現実だと分からされた。


 ウィルは涙でグチャグチャな顔のキニャを引っぱり、歩いた。森の小枝が手足に刺さり、抜けた先の草原、硬い地面の街道は子供たちの両足を痛めつけた。朝になり、陽が高くなった。たどり着いた。護国大陸の第六都市アード。

 ボロボロの少年と少女はすぐに衛士隊に保護された。ウィルの口から村の様子を知らされた護国衛士たちは、最初はにわかに信じられなかったものの、子供たちのすり減った姿に危機感を覚え、さっそく動いた。そうして変わり果てたマイティロット村を目の当たりにした衛士たちは、護国王都に状況を知らせた。


 知らせを耳にした護国王都の民は、悲惨な魔生獣マニマル災害に震えた。

 そして思い知った。禁域指定種ディザストル、ヴェノヴェノン・ナイトプレーグの害悪を。


 ウィルたちは数日ほどアードにかくまわれた。その間、キニャはほとんど口を開かなかった。まもなく二人は大災害の重要参考人として、豪奢な馬車で王都に連れていかれ、今現在も王座をいただく護国の王にしてゼリファの実父、レイアダ・サバル・クリンティアを前に、ウィルは少年ながら整然と状況を説明した。


 その日から二人は、護国王都リユニオルの中心たる護国王家クリンティアに引き取られた。ウィルは村に起こった悲劇を嘆きながらも、護国の安寧とヴェノヴェノン・ナイトプレーグの絶滅を胸に、国の力で前を向くことを決意した。


 一方でキニャは、保護された家から何度も逃げ出した。そのたびに王都の衛士隊に保護され、諭され、連れ帰らされたが、それでも家出した。

 最終的に彼女は、逃げ出した先で縁のあった壮年の男。護鳥騎士団レイルナイツを引退したばかりの第三隊隊長ボズバ・カイラス、通称”奇怪鉄甲のボズバ”の庇護のもと、彼の隠居先であり、王都から北西にある第三都市メディに移住し、ウィルとも物理的な距離を作った。彼が嫌いだったわけではない。むしろ村の最後の家族だ。


 けれどキニャは、キルニーニャ・ティロットは、胸に抱いたものが異なった。

 なにがなんでも村を取り戻す。毒沼に沈んだ私の村を、絶対に取り返す。

 そのために人を、国を、護鳥を頼るのではなく、自分の力で奪い返す。

 あいつらは全員、まるで、なにも、お母さんたちを助けてくれなかったから。


 言ってしまえば、考えなしの子供の発想だ。誰から見ても懸命な手段は、ウィルのように人々や組織の善意に頼る方法であった。しかし、子供のキニャにはそれが分からなかった。人は、国は、護鳥は、マイティロット村を助けてくれなかったのだから。護国の誰もが知らず、当事者の村人とて信じなかった話と理解していても、失ったものが大きすぎる八つ当たりの熱は冷めることはなかった。


 自分が持つ力に気付いたのは、彼女に残された宝物である、いつしか壊れていた風切り指環を指にはめられる年ごろになったころのことだ。それでも小指では若干ゆるい体格のころ、指環を誤って地面に落としたとき、手に入れた。

 隣にいた、すっかり大きく育ちはじめていたプカプカが、杖ババの語っていた、毒底ネズミのような姿に変貌したのを見た日。彼女はプカプカのもう一つの姿を知り、手に入れた。キニャにとってプカプカは、彼女だけの力だった。


 幼きウィリアル・アージェストは、国の善意に頼ることを決意した。

 幼きキルニーニャ・ティロットは、己の正義に頼ることを決意した。

 それは年を重ね、人格が形成された今も、変わらぬ真意で残っている。


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